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たまにはnoteで人生考えさせてくれ2021

その場その場を生きる、快楽主義的なやり方でのらりくらりと進んできた僕でも、人生を考えてしまうことが立て続けにあった。
悔しいとか、悲しいとか、そういう単一的な感情の話ではなくて、もっと奥底の「このままで自分はいいのだろうか」という、将来への答えなき問いかけの話だ。
あまりに色んな角度から、そんな問いかけが浮かんでくるので、このまま一人で抱えて寝るという訳にもいかず、あてもなくnoteに綴ってみることにする。
すごく内面的な、ナイーブな話なので、読む人が読んだら気を悪くするだろうし、「そもそもこれは誰のために書いているんだ?」という疑問も浮かばれるだろう。ただ、そもそも日記を書き始めたキッカケ(続いていないけど)を読み返してみると…

なんだかんだ、と、紆余曲折ありまして、会社を休むことになってしまった。なので、これから、また日記を書いて、今のこのどうともならない気持ちを文章に残していきたい次第なのです。
もはや、自分のための記録的な意味合いが強いので、別にみなさん読まなくてもいいです。でも、もしお付き合いいただけるなら是非。これまで以上に、個人的な吐露をWebに垂れ流します。

現実逃走日記 2021.11.3

と書いていて。今こうしてうだうだと書きたくなっているのも、まったく同じ気持ちなので、そういうこと。そういうこととして、受け止めなくてもいいので、しばし垂れ流しだけさせてもらえれば。めちゃくちゃ長いぞ。

あと、noteって、こういうワンテーマの文章向きの媒体だと最近やっと気づいた。日記向いてない。今更後戻りできないけど。

そもそも、絶賛休職中である。気づけば2か月目になってしまった。
仕事が嫌になって休み始めた癖に、仕事がないとないで不安が自分を覆う。金銭的にも、いつまでも減額された給与でやっていくのはしんどい。こちとら借金持ちなのだ。
大体、いつ終わるのか、というか、何を根拠に復職とするのか、出口が見えなさすぎて不安になる。医者にいっても、のらりくらりと「とりあえず延長します?」と軽いノリで言われるばかり。何を根拠にそう診断しているのか。俺の話何も聞いてないだろ、と思ってしまう。
この前も「休職延長しますよね」と当たり前のように言われて、「いや、仕事戻りたいんですけど…」と言い返してしまった。一旦、時間をおいて、もう一度話すことになった。
ただ、確かに今の自分がフルパワーで復帰できるとも思わない。そもそも、今の職場に嫌気が差しているのだから。
そんな矛盾の間で揺れ動くだけで、どっと疲れてしまい、胸が少しドキドキして、嫌な汗が出てきて、薬飲んだら落ち着いて。そんな繰り返しである。

しかし、このナイーブな話をきちんと相談できる相手もほとんどいなくて困っている。
「28歳にもなって、今更恥ずかしい…」という気持ちも少しある。それだけでなく、これが初めての精神的な落ち込みではなく、もう人生において何回目かの出来事なので、「またアイツが…」みたいに、どこかで軽蔑されているんではないかと、自分の中で勝手なバリアを張ってしまう。
ましてや、人前だと陽気に振る舞いたいタイプ…なんなら少し背伸びしてまで…なので、自分の「陰」を出すのが今更気恥ずかしい。
その結果が、ネットに闇を垂れ流す、という、最も恥ずかしい行動に至っている。で、ネットだと、自分が思っている以上に、強めの言葉で「陰」を発信してしまう。しかも、頻繁に。そりゃ慣れっこにもなり、あまり周囲から心配されなくもなる。仕方ない、自業自得だ。

そんな自分のことを、ありがたいことに、心配してくれる人もいる。
大学時代、あまりきちんと話していなかった友人が、飲みに誘ってくれた。
「大丈夫か!」と俺の目を見て言ってくれただけで、なんだか凄く泣きそうになって、ギュッと抱擁されたような気持ちになった。
彼は、俺の悩みが解決されるよう、色んな問いかけをしてくれた。嬉しかった。けど、自分は少し、そんな会話が気恥ずかしくて、次第に話題を逸らしてしまった。こんな時まで照れ隠ししなくていいのに。素直になれない。
居酒屋では、斉藤和義の「やさしくなりたい」が流れていた気がする。未熟な自分だがなんとか変わりたい、という切実な思いが籠った歌だと思う。まさに今の自分にぴったりだな、と、今更ながらに思う。

彼以外にも、たくさんの友人が、この機会に自分と会ってくれた。
会えなくても、連絡をくれた友人もいる。
なんだか鈍感になっているけど、多くの友人が未だにいるという事実に、もっと自分は頼っていいはずだ。ちゃんと、元気な姿で「ありがとう」って伝えなければ。

周囲の友人たちは、自分よりもっとキチンと人生を歩んでいる。
「結婚します」という報告が、ビックリするほど、立て続けに入ってきた。
「子供ができた」という報告もよく聞く。
その度、こうしてうだうだと自分ごとでのたうち回る自分の生き方を反省する。もちろん、きちんとめでたいという気持ちはあるし、やっかんだりはしていないので、ご安心いただきたい。そこまでこじらせてはいない。

ただ、大学を卒業してからも、馬鹿みたいなことを言い合って遊んでいた友人たちとの関係性も、そろそろ終わりなのかな、とも思う。
それぞれが自分たちの守るものができたら、こんな友情よりも優先するべきものがあると思う。きっと、自分だってパートナーがいたら、次第にそうなっていくのだから。もういつまでも青春のように浸っていてはならない。
堅実に生きなければ。自分が周囲の幸せを邪魔するような人間にはなりたくない。

大学の友人とは異なる、アイドル現場で出会ったオタクたちとの飲み会があった。自分より、少し下の年代が中心だ。
ある1人が電話で告白の結果を聞く、という報告をした。そんなことになったら、皆で見守るしかないじゃないか。
23時、その結果を代々木公園で聞くことになった。男8人、このクソ寒い季節に、ましてや深夜に、代々木公園だなんて、人はほとんどいない。バカだなぁ、と思った。でも、すごくワクワクしていた。
結果はあまり喜ばしいものではなかったが、彼を励ますように、皆で必要以上にバカみたいにはしゃいだ。お酒も入っていたし。もちろんマスクはして。
当然終電は無くなり、ギリギリ電車のあるヤツの家に泊まることになった。なんだか、学生の頃を思い出して、胸がキュッとなる、バカバカしいけど、たまらなく楽しい一夜だった。それはまさに青春だった。

でも、そんな時間も、もう終わりが近づいているんだと思う。
そうなると、自分もパートナーが欲しい、なんてうわ言を考えたりもする。
A子さんの恋人」を読み返していたりしたから、尚更だ。

そもそも恋愛が下手だ。長続きしたことないし、いつも気持ちが過剰になって、その気持ちをきちんと伝えられなくなって空回りしてしまう。
ここでもあの言葉が浮かぶ。「28歳にもなって…」
大体、「寂しいからパートナー欲しいな」なんて考え方が甘いんじゃないか。人を精神安定剤みたいな扱いするな。

とはいえ、まずは仕事だ。恋愛に割ける余裕が、今の自分にはほとんど無い。休職して人生考えてる人間が、「好きな子できた〜」とか言ってる場合じゃない。
「とりあえずマッチングアプリでもやってみたら」と言ってくれる友人は多いが、なかなか気が進まない。精神をとてつもなく消耗してしまいそうだから。自分の容姿に自信がない、その割に異性の容姿は気にしてしまいそうで、そんなクズがやるべきことではない。とりあえず会ってみる、という心の余裕もない。ただでさえ仕事でもがき苦しんでいるんだ。もがき苦しんだ先で、なんとか結果を残したいんだ。
周りにどれだけ言われても、やはり今の自分に恋愛は無理。
「ぐずぐず言う前にやれ」と言われても無理。
仕事すらこなせない人間が、恋愛なんて無理。
もうこればかりは、自分の中で揺らぐことのない考えだ。悲しいかな。

だけども、性欲は人並み、いや、多分人以上にあるので、AVはめちゃくちゃ見るし、風俗もボーナスが入ったら行ってしまう。ダメだな。
こればかりは、人からどう責められても「ごめんなさい」としか言いようがない。簡単に、性欲に負けてしまう。
…どう考えても、ここは書かなくてもいいことだけど、自分自身について逡巡するうえで、この事実からは逃れられないので、きちんと記しておく。

風俗といえば、自分が書いた「ソープで初体験」ブログは、男女問わず本当に多くの人から「読んだよ」と言われる。その度恥ずかしくなり、消そうか迷うのだが、「面白かったよ」の二言目に弱い。消せない。

さて、本題に戻す。
「このままで自分はいいのだろうか」

未来に向けて歩き出さねばならない。転職活動を始めてみた。
前回の転職は実質引き抜きだったので、きちんと自分から動いてみるのは人生初だ。
単純に今の職場を変えたいから、という気持ちもあるが、今の自分が市場においてどれだけの価値があるか、試してみたいという気持ちもあった。

色んなことが分かった。
世の中には思ったより転職エージェントが多い。
全く希望していない仕事を進めてくるサイトが沢山ある。
映像業界を志望していると、必ず一度はアダルトの仕事が薦められる。
そして、思ったよりも、自分を評価してくれる企業は多そう、ということも。書類はスルスルと簡単に通る。

ただ、そこからが問題だ。新卒の時もそうだったのだが、現場レベルの面接は一盛り上がりの好感触で通過するのだが、社長レベルになった時にまぁ面接が通らない。嫌われている。
別に小手先のテクニックでごまかそうとしているわけではなく、いつも本心できちんと話しているのだが、嫌われる。通過しない。何故だろう。
社長から見ると、俺のダメなところが全部見抜かれているのだろうか。ならばその理由も全て正直に打ち明けて欲しいが、面接はそうともいかない。

新卒時代を色々と思い出し、まさに”悪戦苦闘”しているが、このもがきの先に輝かしい未来があると願いたい。
願いたい、そう願いたい、だが、なかなか強く意思を保つのは難しい。
そんなこともあり、思わず占いに手を出してしまった。(好奇心もあり)

色々と自分について教えてくれて面白かったのだが、基本は自分の生年月日を打ち込んで出てくる情報だった。そんなん、誰でもできるじゃないか、と、少しガッカリしてしまったが、性格は当たっていたし、31歳からはとにかく信じられないくらい絶好調の10年間がやってくるらしい、というのも、自分の支えの一つにはなった。これで励まされるなら安いものだ。
しかし、人生の決断について、タロットカードで見てもらったものは、どっちつかずなよく分からない結果ばかりだった。よく言えば、自分の悩みがもろ結果にも出ているようで、結局は「占いに頼らず自分で選べよ」と言われているように思えた。いや、それ占いに行った意味〜!

こんな日々だが、きちんと刺激も受けている。
明日のたりないふたり 特別版」だ。
5月に公開されたオンラインライブ「明日のたりないふたり」に未公開映像を追加されたもので、12月12日に映画館で1日限りの上映がされた。(現在はHuluなどで見られる。)
オンラインライブの時点で見ていたのだけど、改めて凄まじい、見ていてとにかく圧倒される、山里さんと若林さんが交わす言葉の殴り合い。そして、特別版で追加された、終演後倒れ込む若林さんの姿。
そこには圧倒的な「熱量」が込められていて、自分もこうした、見た人がうなされるくらい、熱のあるものを作りたい、いや、作らねばならない、と改めて決心した。

「熱量」の話でいえば、先日放送された「マツコ会議」で、マツコとDJ松永が交わした会話も、まさにそれで。(奇しくもCreepy Nutsは「明日のたりないふたり」にも重要なピースとして登場する。)
”色んな歯痒さを乗り越えて、結局残るのは熱”という話に、惰性で仕事してちゃいけないなと奮い立たされたのだった。

「明日のたりないふたり」が今の自分に突き刺さったのは、2人の漫才が最後に辿り着いた結論の部分も、である。
少々乱暴な言葉でまとめると、これまで様々な「たりなさ」を変えようともがいてきた2人が、最終的に「たりなさ」を肯定し、これがあったから今の自分がある、そしてきっとこれからもたりない、という結論に辿り着く。もちろん、それには、「たりなさ」への格闘が常にあったからだ。

今の自分は、前述の通り、とにかく自己肯定できない部分が多い。
でも、そこから逃げずに格闘し続けて、いつか肯定できるようになりたいと思った。
単に「たりなくてもいいよね」じゃなくて、彼らのようにもがき続けて、きちんと自分なりのゴールを得ることが、「明日のたりないふたり」を見た上での覚悟だと思う。「たりないふたり」からの「のびしろ」を自分も見つけていきたい、と思うと自然と映画館で涙を流していた。

そう、とにかくこのままではならないのだ。歩き出さないといけないのだ。
そんな今の自分に、ピッタリな曲が先日リリースされた。スカートの「海岸線再訪」だ。

曲自体は一聴抜けのいいポップソングなのだが、歌詞を追うと、実はそう明るくない。
歌い出しからいきなり、
「足りないピースが 多すぎやしないか」なのだ。
しかし、そうした事実から歩き出すのがこの曲で、
「むやみやたら広がる 問の中に ひとつも解はない」と歌いながらも、
この曲は最後の一節で
「足りないこともある 数は重要ではない
 ああ 暮れてしまった 窓に光が射す」という言葉に締め括られる。
これくらいの温度感が、むやみやたらにポジティブな歌とは仲良くなれない自分にはピッタリなのだ。きっと、ここまでの長文を読んでいただいた皆さんなら、そんな自分を少しはご理解いただけると思う。(理解しなくてもいいけど)

なので、この曲を一つ、今の自分のテーマソングとし、迫り来る年の瀬、そして新たな年へと突き進んでいこうと思う。
もう青春時代は終わりだ。自分の手と足で、きちんと生きる場所を確保していかなければ。
あ、そういう意味では、とりあえず自分の部屋の掃除からした方がいいかな…。

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