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発達障害に代わる言葉、「ニューロダイバーシティ」について

「ニューロダイバーシティ(Neurodiversity)」という言葉を聞かれたことがあるでしょうか?

これは「脳・神経の多様性」という意味で、簡単に言うと「発達障害」に代わる言葉です。

発達障害を障害としてではなく、文字どおり、脳・神経の多様性としてとらえようということです。

英語圏では、発達障害の子のことをNeurodivergent kid、のように表現し、多くの場合、Developmental disability (発達障害)とは表現していません。ちなみに、発達障害でない子のことはNeurotypical kid です。

私の友達には、いわゆるニューロダイバーシティの子の親が何人かいます。ところが、その友達の誰も、ニューロダイバーシティという言葉は知りませんでした。

このニューロダイバーシティという言葉は、実は経産省のHPにも載っています。
ニューロダイバーシティの推進について (METI/経済産業省)

ところが、宣伝不足なのか、誰も知らないんですよね…

私はこのニューロダイバーシティという言葉が、日本に根付いてほしいな、と願っています。なぜなら、発達障害を障害としてではなく、脳・神経の多様性ととらえることによって、発達障害の子も、その親も、もっと楽に生きることが可能ではないか、と思うからです。

発達障害の子は、そうでない子より日常生活が大変なので苦労します。しかし私の知る限り、本当に苦労しているのは母親です。発達障害の子の母親は、ひとりで全てを引き受け、疲弊しています。なぜなら、発達障害の子の父親は、自分の子を「発達障害」と認めたくない人が多く、したがって子どもが療育施設に通うことも「恥ずかしい」と考え、施設の送り迎えや事務手続き、行事なども参加拒否。結果的に母親が独りで奮闘しているケースが非常に多いからです。

母親が発達障害についての本を読んだり、療育施設を調べたりしているのに対し、父親は何もしていないケースはよくあります。私の周りで、両親が同じくらいの熱量で子どもの発達障害に向き合っている家庭は、ただ一家庭だけです。

発達障害を持つ多くの母親は、余裕を失って目はうつろです。その原因は、わが子の特性にあるというより、本来協力者であるはずの夫が何もしないからではないか、とよく感じます。

なので「発達障害」ではなく、「ニューロダイバーシティ」という言葉が日本に根付くことによって、父親も我が子の特性を障害としてではなく、多様性ととらえ、そうなればもっと我が子に向き合えるようになるのではないか。

そうちょっと希望を持ってしまうのですよね…

たかが言葉、されど言葉。

日本にぜひ「ニューロダイバーシティ」という言葉が根付いてほしいな、と願っています。




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