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証人としての生き方【アウシュビッツは終わらない これが人間か】

裁判所で証人として話している、
あるいは、インタビュアーに促されて話している。

そんな情景が浮かんできました。

自分が見聞きしたものを淡々と語っているように感じました。 

メロディアスライブラリー2018.1.28放送。


・完全な幸福もなければ不幸もない。

遅かれ早かれ、人はだれでも、人生には完全な幸福はありえない、と悟るものだ。しかし反対のこと、つまり完全な不幸もありえないと考える人は少ない。

アウシュビッツは終わらない これが人間か  p12

完全な、つまり100点満点の幸福がないのはイメージができます。
しかし、その正反対の0点の状態は、考えてみると滅多にないと気付かされました。

・無知のままでいたいと望んだ

戦後、学生からの質問に答えた著者。
8個の質問が載っていましたが、その1つに
「ドイツ人は知らなかったのか」とありました。

当時独裁政権だったため、ジャーナリズムは機能しませんでした。報道規制があったからです。
それでも、ドイツ国民に強制収容所の存在は隠せなかったという事実に驚きました。
しかし、そこで起こっていたことは知らなかったそうです。

更に驚いたのは、秘密警察ゲシュタポの職員ですら強制収容所の内部はわからなかったことです。

この事実に対して著者は「知りたくなかった、無知でいたかった」と答えてます。

・忘れたいと願う人と警戒する人

著者は後者です。
生き延びた人の中にも、2通りの人がいました。

強制収容所を訪れるのを拒み、話題にすることすら避ける人。
一方で、思い出すことは義務。社会が忘れ去ることを警戒している人。
特に後者には、元「政治犯」や政治思想などを持っている人が多いようです。

著者が後者でなければ、この本は誕生していないでしょう。
今の時代を生きている人間として、先人の想いを汲み取るのは義務とさえ思います。

・感想

「証人として語った」

「忘れたらいけない。忘れさせない」という意志を感じさせます。

時系列は少々前後していました。
章ごとに登場人物も変わるので「誰だろう」とわからなくなるくらいです。

出会った人と親しくなっても、
入れ替わったり、亡くなったりするので、
出会いと別れをたくさん経験しているように見えました。

戦後に若い人たちに対して語っていたのが印象的です。
この書籍内の若い人たちも、今はいい年になってそうですが。

淡々と書かれているので、より一層証人が語っているように感じました。

以上、ちえでした。
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