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幸せな結婚生活を送るのに必要なものは何?【襷がけの二人】嶋津輝著

「あなたは一体、何か努力をしてきたの?」
(『襷がけの二人』p241より)

主人公の千代の母が、夫との間に子どもができなかった千代に突きつけた言葉です。

令和を生きる私の感覚から見たら、
「ごく普通のこと」と思いました。

しかし、時代は昭和17年(1942年)です。
まだ日本国憲法に変わっていません。

家父長制の時代で、女性はふつうにお嫁に行って、
跡取りの男の子を生むのが幸せという時代です。
そこから外れることは、困難な人生を意味していました。

お嫁に行く前は父親やその家の長男、
お嫁に行ったら、夫の言う通りに動く。
女性が主体性を持つのは考えられない時代
想像していました。

「相手との関係を良くするために努力してきたの?
私はお父さんに対してしてきたのよ」と
娘に突きつける母親を見て驚きました。


・端から見たら恵まれていたけど

千代の嫁ぎ先は、製罐工場の経営をしてました。
裕福な家庭で、女中さんが2人いました。
更に、その女中さんと千代の関係は良好でした。

しかし現実は、夫とは上手く行きませんでした。
草加の工場長の体調不良がきっかけに
向こうに拠点を移すようになりました。
ほとんど帰ってこなくなりました。

帰ってきても、ほとんど口をきかなくなりました。
結果的に、夫は別の女性との間に子どもを作りました。

「裕福な家に嫁いで幸せそう」に見えても
内情はわからないと感じました。

・日本の戦争と自分の人生を重ね合わせた

「日本は敗れると思ってます」
女中のお初さんはそう言いました。

当時は、戦意を削ぐような発言をすると
特高警察に逮捕されるリスクがあるため、
表立っていう人は少なかったでしょう。

思えば千代の人生そのものだって敗けている。それでも自分は日々を生きている。

 襷がけの二人 p265

裕福な家に嫁いだものの、
自分との間に子どもはできませんでした。
更に、夫と良好な関係を築けず、他の女性のもとへ行きました。
それを含めての敗北なのかと想像しました。

それでも自分は日々を生きているので、
「戦争に敗けて何が変わるのか」という疑問を持っているように思いました。

・確かに運がよかった

空襲後も、千代は生き延びました。

茨城に元女中のお芳ちゃんがいたため、
頼りにできたし、
東京に戻ってからも
製紙工場の寮母の仕事が見つかりました。

寮母をやめた後も、
お初さんの女中の仕事が見つかりました。
(戦後は主人と女中の関係が逆転)

状況を考えると、運がいいのは事実です。
しかし、千代は行動していることに気づきました。

茨城のお芳さんを頼れたのも、
寮母の仕事が見つかったのも、
実際に行動に移したからです。

「生きるため」とは言え、
実際に行動したから、
疎開先と職を得られたように見えました。

結婚した頃の千代とは大違いです。

・感想

この時代は、自分たちの意思に関係なく
家長である父親の意向で結婚相手が決められるイメージを持っていました。

今の時代なら、結婚相手を自分で探さないといけませんが、この頃は他人がお膳立てしてくれました。

以前夫の母が「昔は近所のお節介を焼いてくれる人が、いい人を見繕ってくれた」と話していたくらいです。

「自分から行動しなくても誰かが何とかしてくれる」という考えがあったと感じました。

それでも千代の人生を見ると、
「結婚相手は見つけてきてきても、その後の関係性までは保証してくれない」と実感。

良い関係性を作る努力をしなかったから
千代は自分の子どもが生まれなかったし、
夫が別の女性のところに行ったと感じました。

この時代の女性ですら、
一定の主体性が求められています。
現代の私たちはもっと主体的に行動することを要求されていてもとおかしくないと思いました。

以上、ちえでした。
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