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手紙(短編小説)


昨日の夢にまた崇が現れたよ。

部屋の壁に1人もたれてぼんやりしていたら、ドアから崇が入ってきた。いつものように、黙って私の隣に座ってくれた。
私は、今日こそ崇に伝えようと思うのに、舌がうまく動かなくて。
「どこにも行かないで」と瞳で叫ぶことしかできなかった。
だけど崇は、そんな私の気持ちはわかっていると微笑みで答えて、私と手をつないでくれた。夢なのに崇の手は温かで、うっすら汗ばんでいた。
少しでも動かせば、それがきっかけで、崇が手を離してしまうのが怖くて、じっとしていたんだ。
昨日の崇は、何も言えない私を、包み込むような優しい目で、いつまでも見つめていてくれたよね。

私ね、崇を傷つけたことずっと後悔しているんだ。もう一度あの夜に戻って、もう会わないと叫ぶところから、やり直したい。きっと崇は何も言わず、私のことを、悲しげに見つめるだけなんだろうけどね。

崇はいつも私の言う事は、何でも聞いてくれた。欲しいと言うものは全て買ってくれた。キスしてと言えばキスしてくれた。朝まで抱きしめていてと言えば、私が目覚めるまで、眠らずに抱きしめていてくれた。
だけど、自分からキスをしてくれないし、好きだと最後まで言ってくれなかった。
何度も私のこと好き? と聞いたのに。黙って微笑んで、目を逸してしまうのが悲しかったの。
でもね、今ならわかるよ。泣きたい位に。本当は誰よりも、私のことを愛してくれていたこと。

夢の中の崇は、いつものように優しくて。その手の温かさが嬉しくて。だから目が覚めて泣いたの。
悲しくて、悲しくて。
もう一度崇に手をつないでもらえるなら、今すぐ死んでも構わないと、神様に祈りたいほどに。

どうして夢は、必ずいつか覚めてしまうの。目が覚めてこんなに悲しくなるのなら、夢でも会わないほうがいいのかなって、そんなふうに思ってしまうよ。
崇に会いたいよ…。

この前ね、佐々木君に告白されたよ。崇の友達なのにひどい人って思った。
「もう崇の事は忘れたほうがいいよ」だなんて。
あ、誤解しないでね。いくらあの日別れ話をしたからって、崇に対する気持ちは何一つ変わってないから。

「たまには外においしいものでも食べに行かない? 」と、突然佐々木君から電話がきたの。たまには誰かと出かけるのもいいかなって、ふとそう思ったんだ。
佐々木君に何が食べたいかと聞かれて、カレーライスと答えたの。崇が嫌いなカレーライス。
いつか2人でレストランに行った時、私がカレーライスを頼んだら、崇は悲しそうな顔をしたよね。
「ごめん、カレーライスそのものがあまり好きじゃないんだ」
珍しく崇がそんなこと言うから、私はあの時、二度とカレーライスを食べないと誓った。
でもね、佐々木君と食べるなら、カレーライスがいいと思ったの。
何故かはわからないけれど。

どうしてカレーライスが嫌いなのと私が聞いても、崇が答えるはずもないとわかっていたから、聞かなかったけど。
佐々木君に聞いてみたの。崇がカレーライスを嫌いな理由を知らないかって。幼稚園からの友達なんだもの。きっと知っていると思ったの。
「こんなことを勝手に教えていいのかな」と最初は迷っていたけれど、最後には教えてくれたよ。崇が小学校1年生の秋に、お母さんが出ていた時の話。初めて聞いたから驚いた。

その日幼い崇は、いつもと同じように、夕飯の買い物に出かけるお母さんの背中に向かって、
「母ちゃん、今夜はカレーにして」と言ったんだってね。
「わかった」と振り返らずに答えて、そのまま、玄関から出て行った、崇のお母さん。
どうしてお母さんが大きなカバンを持っているのか、少し不思議に思ったけれど、まさかそのままいなくなるなんて思いもしなかったって。そして、それからカレーライスを食べられなくなったこともね。

悲しい思い出だったから、佐々木君の話を聞きながら、泣いちゃったんだ。
夜になっても帰らないお母さんを心配したけど、自分はまだ小さくて、どうしたらいいかわからなかっただろうなとか。
仕事で遅いお父さんが帰るまで、お腹がすいて切なかったろうなとか。
どうして自分を連れて行ってくれなかったのと、泣いたこともあったろうなとか。

昔の崇を思うと切なくて、ずっと涙が止まらなかった。
泣き止まない私に困った顔をしながら佐々木君は「梨香ちゃんはいい子だね」と言ってくれた。
「崇が好きになった理由がわかるよ」って。
崇は、ほんとに私のことが好きだったと思う?と聞いたら「当たり前だろ」と答えてくれた。あいつ、自分の気持ちを表に出さないからなと、つぶやきながら。
佐々木君の告白は、ちゃんと断ったから安心してね。
カレーライスを食べながら泣き出した私を見て、同情しただけだとわかっていたしね。

崇と最後に会ったあの日から、崇の気持ちをずっと考えてたの。
私が「崇とはもう会わない」と叫び、崇を置いて出て行こうとした時のこと。
私は引き止めて欲しかったのに、崇は何も言わないから。だから私のこと、本当に好きなのかなって、わからなくなったの。
でもこのまま出ていけば、きっと追いかけてきてくれるって、そう期待してしまったの。まさか追いかけてこないなんて思わなかったの。
崇が私を失っていいと思うはずないと、信じていたから。

崇は怖かったんだよね。
もしも私を引き止めることができたなら、傷つかないで済むけれど、崇が私に行くなと頼んでも、出ていってしまったら。
また置き去りにされたなら。
崇はもう二度と人を愛することができなくなるかもしれない。そんなふうに思っていたのかなって。

もう会わないと告げたら、私を引き止めるために、好きだと言ってくれると思ったの。そんな浅はかな考えのせいで、崇を失うことになるなんて思いもしないで。

いつでも、どんなわがままも許してくれたから。翌朝、やっぱり会いたくなったと崇のもとに戻ったら、何も言わずに私を受け入れてくれるはずだった。優しく微笑んで、私が伸ばした腕を取って、静かに抱きしめてくれるはずだった。

何度悔やんでも、自分が許せなくなるよ。

どこに行けば崇に会えるの?
いつになれば、崇は私を許してくれるの?
神様、これが罰なら、私は喜んでどんな償いもするから。
だからお願い、崇を返して。
もしも崇がいないことが夢ならば、私は二度と眠らない。

いつもこれで最後の手紙にしようと思うのだけど、そんなことはできそうもないの。
夢の中の崇が温かい理由、ちゃんとわかっているよ。本当は、崇は今も夢の中にいるんだよね。
あの日、たくさんの薬と、飲めないくせに飲んだ、たくさんのお酒のせいで、もう二度と目覚めることのない眠りについたままの崇。
現実の世界から、崇の体が消えてしまったけれど、眠りの世界に逃げ込んだ崇は本当はまだ生きているのよね。

夢の世界と現実の世界が反対になっても、そんなに問題ないと私は思うの。
それに崇がいない現実は、私にとって生きる価値など何もないから。
夢の中の崇は、全然変わらなくて。朝まで抱きしめてと頼んだら、いつもと同じように抱きしめてくれる。
だから私は寂しくないよ。

この手紙はポストに出す事は無いけれど、崇にちゃんと届いているとわかっている。だってこうして眠る前に手紙を書くと、いつも夢に現れてくれるから。
もちろんこれは私と崇の2人だけの秘密だよ。

今日も佐々木君から電話が来て、たまには外に出たほうがいいよって言われたけど、佐々木君は何もわかっていないんだよね。
外に出て、佐々木君とご飯を食べに行くことよりも、この部屋で眠りながら、崇に抱きしめられている方が、私は何倍も幸せなのにね。

私を失ったと思った崇は、梨香を愛していると言う代わりに、自分の命を私にくれた。梨香のいない世界なら、生きていても仕方ないよと。

崇の言葉は届いているよ。
私も同じ気持ちだから。

あの朝、床に散らばったたくさんの空き缶の間に、小さいメモを見つけていたんだ。
ゆらゆら揺れる細い字で「梨香」と小さく書いてあった。その続きは、今度会ったときに聞くからね。

今夜も夢で会いたいから、崇が来るまでここでずっと待っている。
私のわがままを一つ残らず聞いてくれる、崇が今でも大好きだから。

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