#2 アイドルと俳句

こんにちは。一般人です。

「アイドルと俳句」と言っても、プレバトに出ているキスマイの話ではありません。そうです、ももクロの話です。

前回の記事では、私が2011年頃にももクロにどハマりし、社会的にも大きなムーブメントが巻き起こった要因を、AKBへのアンチテーゼという観点から記しました。今回はもう少し主観的に、なぜ私がももクロが好きなのかを「王道」と「ルール」という観点から書いていきたいと思います。(今回はかなり主観になりそうです。あしからず)

世間一般の方がももクロに抱くイメージは様々かと思いますが、おそらく、「異端児」「邪道」「アイドルらしくない」といった方向のイメージが根強いのではと想像します。少なくとも、「ももクロこそが王道のアイドルだ!」と思っているのは、ファン以外でそう多くはないでしょう。

確かにももクロは、プロレス的演出、斬新な楽曲、奇抜な衣装など、いわゆる「アイドルらしく」はない要素を多く取り込んできました。これは事実。ただ、私が思うに、ももクロは決して確信犯的に奇をてらっていたわけではありません

初期のももクロの様子を見ていただくとわかるかと思うのですが(「はじめてのももクロ」という映像が詳しいので、お時間あったらご覧ください)、ももクロやそのマネージャーはあくまで王道アイドルを目指していました。しかし、事務所で実質最初のアイドルグループ。メンバーやスタッフ誰もがアイドルの「やり方」をわからず暗中模索していたのです。

王道アイドルソング「走れ!」ではなく奇天烈な「行くぜっ!怪盗少女」をメジャーデビューシングルのA面にした時あたりから、少しずつ王道からは外れていきます。もちろんこれは意図的なのですが、ここでも、あくまで「アイドルらしくないことをやってやろうぜ」的な魂胆は見られません。単純に、こっちの曲が面白いかな、程度のことです。

もちろん、何を持って「王道」かは人それぞれなのですが、やはり「王道」への憧れというのは、重要な要素のように思えます。

少し話は変わりますが、なぜ俳句がいまだに文化として栄えているのかーーこれは、「5 7 5」という字数制限、季語のルールという制約の厳しさにも要因があるのではないでしょうか。これらのルールの下で伝えたい思いや描きたい情景を詠むことに俳句の醍醐味があるのであって、それを「俺は邪道だから800字の俳句を詠むぜ」みたいにやってしまったら、面白くないどころか薄ら寒くすら感じてしまいます。(ピンとこない方は、「サッカーで手を使う」に置き換えていただいても構いません)

私は、正直BiSには全く魅力を感じませんでした。今でも、WACK系のグループさんはあまり得意ではありません。それは、私の目には、最初からルールを逸脱することに楽しみを覚えているように映るからです(ファンの方、間違っていたらごめんなさい)。実際にプロデューサーの渡辺氏は、次のように述べています

「(略)応募してきた子たちも、もちろんBiSHに憧れてる子が多いですけど、GANG PARADEとかEMPiREとか好みも多岐に渡ってるし、ちょっとずつ変わってきて邪道が王道になるのかな?とは思いつつ、邪道は邪道……というか常にカウンターでありたいなと思ってはいます。(略)」

つまり、WACKグループは邪道であることにプライドを持っており、それを良しとしているわけです。もちろん、これはこれで素晴らしい考え方ですし、否定するつもりは毛頭ありません。

ただ、私の個人的な好みとして、やはり初めから邪道を良しとする考え方には馴染めないのです。ルールを守り王道を歩こうと頑張っているんだけど少しはみ出てしまうーーももクロのこの感じが、私は好きなのです。

確かにももクロはAKBという「王道」へのアンチテーゼでもありました。ですがメンバーはAKBへの大きな憧れを抱いていましたし、AKBの手法を取り入れていた面も多々あります。決して「常にカウンターでありたい」と思っていたわけではないのです。それが、ももクロとWACKの大きな違いだと私は思います。

ちなみに、現在のももクロはかなり王道になりつつあります。楽曲は未だに飛ばしすぎなものもありますが、結成11年を超え、自然と王道と重なっていったということでしょう。

今回は前回にも増して主観的になってしまったかもしれません。言わんとすることが伝わったなら、幸いです。

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