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繋がり。

人はどんなときに、人と繋がりを
感じるのだろうか。

わたしは、フッとしたときに
淋しさが溢れてくることがある。

だいぶ減ってきたものの、
フッとした瞬間に湧き起こるのだ。 

でも、逆に分かり合えているという状態は
どんな状態なのだろうか。

わたしのこの人生〝つながり〟は大きなテーマであると
最近感じる。

つながりは目に見えない。
言葉で〝つながっているよ〟といったところで
身体と身体が触れることで〝つながっているよ〟と感じたところで
認識できない気がする。

だからこそ、不安になるし淋しくなるのかもしれない。

自分の感覚と相手の感覚が一致しているかわからない。
ましては、自分の中の感覚も一致しているかわからない。
自分の頭と心と身体が一致しているときに
深いつながりを感じるのではないだろうかという
妄想と仮説。

それを求めるがゆえに、求めすぎるがゆえに
見えなくなってきたり。
だからこそ、ただ単に今を感じる作業がわたしにとって
誰かと繋がる、自分と繋がる唯一の方法なのかもしれない。

そう思いながら、フッとSNSを開いてみると、
「あなたが相手と本質的に繋がるためには、相手に対する判断が消えなければなりません、〝限定的な判断〟によって、自分と相手の間に〝見えない壁〟をつくります」
というストーリーを目にした。
ホントにそうだなと感じる。
ジャッジせずに、物事を眺める、その練習がやはりなによりも
「つながり」を感じるためのプラクティスなのかもしれない。



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