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川上弘美「猫を拾いに『真面目な二人』」

川上弘美の短編集「猫を拾いに」の中の一編、「真面目な二人」。

【物語要約】
主人公の島島英世は、大学の授業中にカウンター(交通調査でつかうようなやつ)をカチカチさせている女の子、上原菜野と仲良くなる。
菜野は、「気持ちが動いた時」にカウンターを押している、と言う。
恋人と別れるか別れないか、悩んでいた英世は、菜野のカウンター方式を取り入れ、自分の気持ちを数えることを試す。英世はもうひと工夫して、黒色と白色のカウンターを用意した。恋人に対して、嫌な気持ちになったら黒を、良い気持ちになったら白を、それぞれ押すのだ。
結果は圧倒的に黒い気持ちが勝ち、英世は別れを決意する。
そんな英世に、菜野は「真面目なんだね」と言う。

「上原さんは、白黒わけないの」
「うん。だっていい気持ちがほんとうはいやな気持だったり、反対に、いやな気持ちが、後で考えると、楽しい気持ちとつながっていたりするから、わたしは、自分の気持ちをちゃんと分類するのが、めんどうくさいって思っちゃうんだ」

川上弘美「猫を拾いに『真面目な二人』」新潮文庫

昔、「反応しない練習」という本に、自分の心が反応した時に「あ、反応した」と気がつくことが、心の平和を取り戻す一歩です、みたいなことが書かれていた。
だから、菜野のように、カウンターを使って、自分の気持ちが動いたときにに、カチカチとカウントしてみるのは、瞑想するよりも、心の安定のためにはいい方法かもしれない。

英世のように、黒と白のカウンターを用意したら、普段の私は、圧倒的に黒をカウントすることが多いような気がする。朝寒くて起きれなくてカチ、猫がnoteを書くのを邪魔してきてカチ、遅刻しそうになってカチ、満員電車にうんざりしてカチ、上司にイライラしてカチ。
私の心は、まっくろけ、である。
そして、それに絶望して、またひとつ黒のカウンターをカチ。

でも実際は、菜野がいうように、人の気持ちは点では捉えられないし、綺麗に黒と白にも分けられない。黒から白までの濃淡が、マーブル模様を描いて複雑にいりくんでいるのだと思う。ぐるぐる行ったり来たりしているうちに、マーブルの渦の中に入り込んでしまう。そして苦しむ。

思い出すのは、とある女の子とのことだ。
その子は、昔の会社の同僚で、歳は30歳くらい。
肌は青白くて、気が強そうな切れ長の目にはしゅっとしたアイライン、形のいいぽってりした唇には赤いリップ。真っ黒なストレートのショートボブが似合っていた。足元は常にヒール。
仕事がバリバリに出来て、性格もキツそうに見えるけれど、実は私、アニメオタクなんです、というギャップ萌えする子だった。
アニメオタク、というちょっぴり内向的な部分を見せながら、人と話をするのが好きで距離を詰めるのも上手かった。
褒め上手で、自己肯定感の低い人は、多分、男でも女でもイチコロだと思う。気をつけていないと、ぐいぐいと引き寄せられてしまう、不思議な吸引力のある子だった。

その子とは、本の趣味が合って、お互いの好きな本を貸し借りし合った。
一緒に飲みにも言った。そして、私も彼女も、片想いをしていた。
私たちは、まるで、中学生が放課後、教室の隅でこっそり打ち明け話をするように、片想いの切なさを分かち合い、連帯感を強めたのだった。

私のほうの恋は、もう無理だとわかっていた。
一緒に仕事をしていて、しばらく経つのに、少しも距離が縮まらない。
相手は、自分の都合がいいときには、ベラベラ話しかけてくるけれど、こちらが話しかけるタイミングを間違えると、釘束をぶつけるような態度をとるような人だった。万が一上手くいったとして、彼と微笑み合いながら一緒にいる想像が全くつかない。でも、「好き」という感情だけは残っていて、もう、「自分の執着を捨てるのです」という、仏の道に入るしか私に残る手立てはないと思っていた。

しかし、彼女はもっと現実的だった。
「私にまかせて」
そう言うと、翌週には、私と彼が仲良く話ができるように立ち回り、一緒に飲みにいく機会までセッティングしてくれたのだった。
それと同時に、彼女は、自分の恋愛も着々と推し進め、あっという間に気になる彼と、お泊まりデートを果たしていた。

「自分、コミュ障なんで」という発言とは裏腹に、彼女の行動力は、圧倒的だった。女っぽくて、タバコを吸っている姿も素敵で、お酒も強くて、カラオケも上手で、考察好きなアニメオタクで、読書も好き。
奥手で内向的なのかと思いきや、自分の欲しいものをなんとしても手に入れる押しの強さも持っている。

彼女といるのは、本当に楽しかった。
こそこそとランチタイムにした恋の作戦会議、彼女の行きつけのスナックで歌うカラオケ。彼女はやっぱり椎名林檎が好きだった。
夜中をすぎて、コンビニで買ったビールを公園で飲みながら、グダグダと過去の恋愛話をした。その時の、夏の夜の匂い、飲み屋街の賑やかさ、肌にあたる湿った空気。

彼女といると高揚感があった。しかし、同時に私は怖かった。
私の領域に、彼女が液体となって流れ込んでくることが。
私は、彼女のLINEがそっけないと、寂しいと思うようになっていた。何か面白いことがあると、話をしたいと思う相手は彼女だった。
もしかしたら、恋に似た感情を、私は彼女に持っていたのかもしれない。でも、私は、彼女の海に溺れたくはなかった。
私や、好きな人とのことを、支配されたくもなかった。
第三者にコントロールされなくては、話も出来ない関係なんて、上手くいくわけがない、と思っていた。結局、彼とはあまり仲良くなれなかった。
そして、私は彼女を少しずつ、避けるようになった。

彼女とのメッセージのやりとりを見返すと、あの時は、恋をしていて、地に足がついていなくて、フワフワ浮かれて二人で騒いでいるのが、本当に楽しかったんだな、と思う。
でも、彼女の強さが、凄まじい行動力が、だんだん、私にはキツくなってしまった。

もし、あの時、黒と白のカウンターで自分の気持ちを数えていたら、どちらが勝っていたのだろう。

「やっぱり、気持ちって、分類できないね」

川上弘美「猫を拾いに『真面目な二人』」新潮文庫

あの時であれば、私のカウンター機は、黒の方が勝っていたかもしれない。でも、その黒い気持ちは、楽しかった気持ちや、嬉しい気持ちと切り離すことはできない。

「ごめんね。私、ずいぶん好きだった。でも、好きでも、一緒に居ることが辛くなること、あるんだね。」
そう彼女に伝えられたら、良かったな、と思う。

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ルル秋桜
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