そんなこと

中学校の、休み時間の教室で、皆よりひとり大柄な男子が、男の自慰について語り出した。女子もゐた。
「みんな、やってんねん。さうやなあ」
その男子は手振りなどを交へて詳細に解説し終はると、歯を剥きだして笑ひながら、周囲を見回した。特に女子の顔を舐めるやうに見た。
たぶん、ホームルームの時間に、セックスは人間として自然な営みで少しもいやらしくない、恥ずかしいことではないから見ても見せても恥ずかしくない、といふやうな話を女の先生から聞かされてすぐ後のことだったと思ふ。実際、アメリカのエリート学生が集まる大学で学生運動のカンパを募るために、有志の男女が白昼のキャンパスで少しも恥じらふことなく公開したといふニュースが日本に伝へられたころだった。
わたしはその男子の笑ひ顔がとても醜く見えて、前よりいっそう嫌ひになった。
真っ赤になってゐるわたしを見て、一番親しくしてゐた女子が、
「え?たかぎくんも、してるの?」
と尋ねた。
身をかがめて覗き込むその子の、びっくりしたやうな表情が、うつ向いて逃れやうとしてゐたわたしの、恥ずかしさで泣きそうになってゐる目とぶつかった。
そのころには自分のことをオレと言ってけんめいに男らしさを演じるやうになってはゐたが、まだわたしが親しく話をするのはほとんどが女子だった。わたしの見かけはもう少しも女性的ではなかったが、女子たちは、おそらく、わたしに他の男子たちから漂ひ始めた男の匂ひを感じてゐかったのだと思ふ。男の匂ひを感知できるやうになったその年頃の女子たちにとっては、男の匂ひがしなければ、よしんば自分たちより背丈が大きくても、それは子供にすぎない。教室に男子がわたし以外に誰もゐないと、女子たちは自分たちの身体やーこれにはわたしも驚いたが、スカートをめくって経血でどうしたとかの話を始めることまであった。
だから、その子の驚きはもっともだった。

中学の一年生ではなかったと思ふから、二年生のときだらうか。三年生のときでないのだけは間違ひない。その頃は、男子も女子も誰もが、「あのこと」を薄々であるか見てきたやうにであるかの程度の差はあれ、みんな、気づゐてをり、しかもそのことに対する自分たちの態度を決めかねてゐた。
かうして休み時間や放課後にはなんとなく群れるときも、この頃はすっかり男子と女子の二つの陣営を作ってくっきりと居場所が決めて対峙するやうになってゐた。男子たちだけになると、あの女子の胸がどうだとか、体育の時のあの女子の体操着姿の下半身がどうだとか、さういふ話を盛んにして下卑た笑ひを共有し始める時期である。
だから、余計に「あのこと」に関しては自分たちもいずれ当事者であると覚悟を決めたり、女子の中にはすっかり当事者の者もゐるが黙って素知らぬ顔をしてゐたりするやうな時期でもあった。
要するに、誰もが戸惑ってゐた。
その戸惑ひを、あの愚かな男子は、考へ足らずの教師に教へられたとほり、なんら恥ずべきことではないものとして、男女のたむろする休み時間の教室で、おそらく男子たちにとって戸惑ひの極みでもある男の性欲と、それに対する無様な精神の敗北ついて、手の動きすら添へながら、とくとくと語ったのだった。

「たかぎくんも、してるの、あんなこと?」
わたしは、
「オレは、そんなこと」
と言って、そのまま黙った。もう顔からはまさに火が吹きさうだった。あんなでもなくこんなでもなく「そんな」といふ言葉の先には、わたしの幼少期があった。

わたしはものごころつくころには身体の倦怠感と気持ちの抑鬱感に苛まれてゐた。雨が降る前は片頭痛がして、土砂降りが始まると吐き気で苦しんだ。暑くても寒くても身体が動かなくなって布団に入ってゐた。
そんなときは輾転反側といったていで何度もねがへりするだけで眠れない。
いつだったかわからないが、あるとき、やはりねがへりをうってうつぶせになったときに不思議な感覚がわたしの―ここではぜひ詩的な表現をさせてもらひたいのだが―小さな小さなまだ白い薔薇のつぼみから全身に広がった。わたしは無意識でさらに腰を前後に揺すってゐた。
身体からも心からも重苦しいものが次々と飛び去って、走るやうに夢中になって腰を揺する頃にはわたしは何か光りの中で浮いてゐるやうな気持ちになった。
それはあるところまで強く輝いてわたしをすっかり包んでしまひ、そこからゆっくりゆっくり鎮まっていった。わたしを捉へてゐた底知れないさびしさは、その時間の間は、わたしの心身の外にゐてわたしを見てゐるだけだった。

それからわたしは毎日それを欠かしたことがなかった。風邪で熱が出ても、むしろ、熱で苦しい時こそ、それを行った。
毎日の暮らしでも、それなしでは身体は重くて床から出られなかったし、夜はそれなしでは心は昼間の喧騒を再現してざわつくままでとても眠れなかった。

わたしが中学校の教室で顔を赤らめたのは、そのことだけではなかった。それだけなら女の子の友達から同じことを聞いたことがあった。お床の中で膝をいっしょうけんめいに擦り合はせてるとふんわり雲に乗ってるやうな気持ちになるから、しょうちゃんもやってみたらと、幼稚園の時に一緒に遊んでゐた女の子に言はれたことがある。
だから、そのことだけではなかった。もっとおそろしいことにつながってゐた。もうわたしのは薔薇の小さなつぼみではなくなってゐた。それはあれに近づいてゐた。
空き地や緑の多い公園で女の子たちと遊んでゐると奇妙ななりをした男がふらりと近づいてきて、前を開く。
わたしは女の子のひとりに手を引かれながら走った。
さういふことは、女の子たちの中に混じって遊んでゐると、忘れたころに定期的に起きることだった。女の子たちは案外平気だったが、わたしは脳裡からそれを消し去ることができなくて、勝手に思ひ出されるたびにかたく目を閉じた。さうすると、かへってそれがはっきりと見えてしまひ、なんども頭をふった。わたしのそれはなんだかあれと似たものに近づいてゐた。
さらなる災ひが降って来た。或る時、中学に入る前だったと思ふが、朝晩のほんのいっとき、身体も心もどこか不思議な光りの中に入って揺られてゐるやうな時間を突然失った。
穏やかに続いて少しずつ消えるはずの幸福が崖から落ちたやうに消えた。
そして、まだかすかと言へるほどうっすらであるが、決して無いことにはできない、ほとんど透明なくせに濃厚で煩はしい、奇妙な液体で汚れた下着が残った。
その匂ひが漂ってきたとき、わたしは吐き気がした。

思春期に差し掛かった男子ならみんな経験することなのだらうが、その時のわたしは、これまで重ねに重ねた罪が遂に発覚して罰せられたのだと思った。
わたしがこっそり家族から隠れて幸福感に浸ってゐたこと。
生れてからいつも重苦しい身体と沈んだ気分で生きることがわたしの果たすべき義務だと思ってゐた。そんなわたしが、誰にもみつからずに幸福をこっそりと味はう方法を見つけたこと。
それを神さまはずっと見てゐてどこでどんなふうに罰するかを思案してゐたのかもしれない。
小さく白くつつましかった薔薇が病気になって醜くめくれ上がってしまったと思ったわたしは、そんなバカなことまで考へて、それを見るたびに震えてゐた。

相談できるのは、どんなことにしても相談といふことをできるのは、幼稚園のときの先生だけだった。何年も前に結婚を期に教職は辞され、婿養子の伴侶の方と共に家業をお継ぎになってゐた。可愛らしい女の子の母となってをられた。
わたしは先生に見てくださいと頼んだ。当然、先生には一瞬の躊躇があった。それが後々、わたしを苦しめた。
「大丈夫。かうなるのよ。大人になってきたの」
先生はわたしよりも恥ずかしそうな顔をしながらさう言った。
その顔を見て、切羽詰まってしたことだったが、先生との関係を自分から壊してしまったやうな気がした。けれども、わたしにはそれしかできなかった。そこから身体が腐っていくやうな恐怖に駆られて先生を訪ねたのだった。
わたしは例によって泣き出した。
幼稚園のときから、先生の前では、わたしはじきすぐ泣きだしたものだった。泣くのは甘えるためだ。泣いても叱らない大人は、わたしと関はる大人の中では、先生だけだった。先生はわたしの頭を抱いて胸に寄せてくれた。わたしは自分をずるいヤツだと軽蔑しながら、やはりもっと甘えたくてわんわん泣いた。
その後、先生とは会ってゐない。

中学に入ってから、わたしは知識として自分の身体の変化を理解した。だから、まもなく本格的な射精が起きても驚きはしなかった。けれども、あのやさしい光の中で身体も心も溶け合って漂ふやうな穏やかな時間は二度と来なかった。なにも得られない、むしろ、何かを一回ごとに失っていくやうな、自己を切り刻む手作業になってしまった。

わたしはそれらのことを次々と思ひ巡らして、もうこれ以上赤くなれないほど頬を赤らめながら、
「オレは、そんなこと」
と言ったのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?