その秘密は、日本語にある

高木さん
日本の天皇制を考えていると、たぶん古事記までいくのだろうと思います。
そして、その秘密は、日本語にある、というような。母音と父音と子音が3つそろっているのは、日本語を含め、スコシしかなく、その人々は虫の音を雑音と感じない。たしかに日本語はすべての音をオノマトペで表せてしまう。日本語を話す人々は、穏やかな人々なのでしょう。キリスト教の三位一体の神は、天ばかり観ていて、地球(大地)が欠けている。町も石畳で土が覆い隠されている。アラビア語は、父音だけ。父、母、子が3つそろっているのは日本語。そういう言葉のことが、脳みそ、考え方、哲学、生き方に、作用してくるっていうのが不思議ですね。確かに、アラビア語の地域は砂漠ばかり。

あやのん『今日、誰のために生きる?✧♡』2024年2月12日(のコメント欄2月13日)


>日本の天皇制を考えていると、たぶん古事記までいくのだろうと思います。
>そして、その秘密は、日本語にある、というような。

同じ意見です。
だから、学校教育によって、日本語が「現代語」と「古典」に分断されてゐるのは大変なことだと感じてゐます。
千何百年も経ってる日本語(文字で表記される前も含めるともっと)が、今も、普通に理解できて、同じ日本語で戦争に負けるまでは和歌も詠んでゐた。それが文語と呼ばれるものでした。

今は、和歌も文語で詠めなくなってゐる。
詠めなくても平気。
文語で詠む気が無い。

話し言葉そのままで歌を作ってゐるのは、それって、
みんなの反感を買ふと思ふけど、ピアノの弾き方を習はずに鍵盤を思ふままにたたいて音を楽しんでゐるのと同じだと思ひます。
それでも十分楽しめます。それなりに面白い音を出す人が出て来て喝采されて、その人が先生になって「現代ピアノ」を教へ始めるでせう。

でも、さうしてゐるうちに、ピアノ本来が楽器としてどんな能力を発揮できたかといふことは誰も知らなくなる。

日本語は、今や、誰も弾き方を知らなくなったピアノ。
それで何の不自由も感じてない。
今の日本の生活では、古典との生きたつながりのない日本語を話してゐても、まったく不自由は無いから。

言葉を道具としてみるなら、今の日本語でまったく不自由が無い。
むしろ、移民してくる外国人にもわかるシンプルな日本語に改良してゆくべきです。これからは面倒なことはAIが考へてくれる。
わたしたちは、できるだけわかりやすい日本語を使ってその場ですばやくコミュニケーションできればいい。さうすることで、生産性があがってゆく。経済が上向いて、給料が増えて、「豊かな暮らし」になっていく。

でも、言葉が文化であり、言葉が文化を創り出して、「過去から現在にまで生きて来た言葉」の使用が文化を動的平衡によって維持して、「過去から現在まで生きて来た言葉」の使用が文化を内発的に変化させるのだとわかったら、日本語の現状に対する見方が変はると思ひます。

そういう言葉のことが、脳みそ、考え方、哲学、生き方に、作用してくるっていうのが不思議ですね。
って思ふやうになると思ひます。

日本語があるから天皇制も生まれ、千何百年も前に文字として記された日本語が読めて、聞いて理解できて、同じ文体で書くこともできたから、天皇制も千何百年も続いたといふことがわかってくる。
天皇家は和歌の宗家だから日本の文化の核☆だったのです。

(日本文化の場合、核は空です。ドーナツの穴。この穴があるからドーナツ。文化の中心が空だから、日本文化なのです。中空によって創造される文化、かういふ文化はおそらく日本文化しかないと思ひます。)

さうすれば、
仮名遣ひを変へられて、以前のものを「旧かなづかい」と呼んで疑はないことや、漢字を略字にされて使用数も制限されてもかへって楽になった、能率が上がったと喜んでしまってることや、
日本語に関する・そんないろんなことに、疑問を感じるやうになると思ひます。

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