先生


私は戦時中、他の教師たちと同様に、ただひたすらに熱心な教師だった。その七年目に敗戦に遭った。日本はアメリカ軍の占領下に入った。アメリカ軍の指令で、教科書はかなりのページを墨でぬりつぶさなければならなかった。そうした作業を、生徒に指示しながら、まだ若かった私の胸は、耐え難い屈辱感にさいなまれた。昨日まで胸を張って教えていた教科書に、墨をぬらせるという、この異様な体験の中で、私は坂をまっさかさまに転がり落ちるような速さで、虚無の淵に落ち込んだのである。

三浦綾子「新約聖書入門―心の糧を求める人へ」


熱心な先生って、かうなるのよね( ´艸`)
といふか、こんな教師に教へられてたら、軍国少年だった吉本隆明もサヨクになっちゃうよね。

今も、たぶん、学校の先生は、なんにも考へずに熱心に教へてゐるんぢゃないかしら。

昨日まで胸を張って教えていた教科書に、墨をぬらせるという、この異様な体験の中で、私は坂をまっさかさまに転がり落ちるような速さで、虚無の淵に落ち込んだのである。

って、真顔で書ける。
墨をぬらせる
胸を張って教えていた
それぞれの行為の主語は誰やねん?

虚無の淵に落ち込んだのである
ってもともと、自分が無くて、存在が虚無やん。

世の中のイデオロギーに盲従して、パラダイムシフトしたら、思ひきり反省して、次の時流に乗る。
それが、良心的な「いい先生」。

こんなに文明化した社会、もう「学校制度」はもう要らない。
だから、もちろん、「先生」なんて、ゐなくていいのよ。

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