三島由紀夫は自分の背中が見えたのか

三島由紀夫氏が好きな理由。
自分が見えてゐるところ。
実際、三島由紀夫氏は、同業の作家たちから、自意識過剰だと評されてゐる。つまりは、いつも自分の姿を鏡に映して点検してをり、人からどう見えるかを常に計算に入れて自分の言動に細心の注意を払って生きてゐる人物だといふことだ。
だから、何をやってもわざとらしい、演技をしてゐる、そして、うがったことを言ひたい評論家などは、三島由紀夫はずっと無理をしてゐた、本心を隠してゐた、そして、そのことに疲れはてて自殺してしまったなど評してゐた。

三島由紀夫氏には、今では日本の伝統文化を頑なに守らうとした右翼的、保守的な人物、国粋主義者などのイメージがあるが、作家として世に出たときは、むしろ、旧い日本社会の道徳的価値観を打ち破る新しい世代だと見なされてゐた。
敗戦後の日本は、完全な負け戦を喫して「鬼畜米英」のアメリカ人に占領されるといふ衝撃により、それまでの日本の伝統文化的なものがすべて否定される雰囲気が生れた。
三島由紀夫氏は、その雰囲気、すなはち、伝統文化や日本の慣習や道徳といったもろもろの価値観を全部否定したいといふ日本人たちの造り出してゐた空気に乗る形で、まんまと、気鋭の新人作家として読者を獲得したのである。
三島由紀夫像は一つにまとめにくいものなのだ。

三島由紀夫氏の自決に関しては、日本の伝統文化をとりもどすといふ主張に反感を持つ人たちは、どうしても三島由紀夫氏の自決を大塩平八郎の乱のやうな義挙と捉へることができない。
大塩平八郎の義挙とは、政治的な状況に対して精神が「その状況には魂が喪はれてゐる」として、それを理由に、政治を否定しようとし、そして、敗北することだ。精神は政治に対して必ず敗北しなければならない。
つまり、大塩平八郎の乱のやうに、たちまち鎮圧され、政治的な状況にはなんの影響ももたらすこともできない無駄な暴力、完全に失敗した企てとして歴史に記録されるものでなければならない。といふのも、敗北することだけが精神の政治に対する優位を示すことができるからだ。
そんな暴力的行動、つまりはテロルのことを義挙と呼ぶ。

かういふ義挙に反発する人たちは、三島由紀夫氏の自決とは
才能の枯渇による文学的行き詰りを隠すため
マスコミの寵児を演じ続けたことに拠る精神の窶(やつ)れの果ての鬱病
快楽殺人者のサディズムが自分の肉体に向けられた個人的な猟奇事件
そして、今でもよくささやかれるのは、
ホモの心中
といったことになる。

三島由紀夫氏の文学的才能は否定することができない。だから、才能が枯渇したとするしかない。そんなふうに、三島由紀夫氏の思想が気に入らない人は、三島由紀夫氏の正面からではなく、裏に回って、背中に何かついてないかと探すのだ。
背中になら、本人も知らない何か間抜けな弱点がぶら下がってゐるかもしれないと思ふのだらう。

作家であっても、それが男性なら、その背中となるものはやはり下半身だらう。下半身事情を捜査すれば、本人が知らないかどうかはともかく、本人がなんとか世間から隠しておきたかったものが出て来るはずだ。

三島由紀夫氏と恋仲だった男性が手記を書いた。床入りのとき、その若者の胸で三島由紀夫氏が
ぼく、シアワセ
と囁いたとその手記にはあって、それが三島由紀夫氏の思想を嫌ふ人たちの間でしばらく評判になった。
やはり思ったとほり、マチズモをふりまはす三島由紀夫氏はほんたうは女々しいオカマのやうな男だったのだといふことで喜んだ。
三島由紀夫氏がホモだと信じてゐる人たちは今でもゐるが、三島由紀夫氏は、或る時期から、すっかりホモ遊びには興味を失ってゐた。
ホモ小説とされる『禁色』は、男性同士の性愛には面白味も深みもなく、男性の肉体は平板で一度で飽きてしまふ。それに比べると、女との恋愛には複雑な駆け引きがあってよくできたゲームのやうに格好の暇つぶしになるし、女の肉体は奥へ奥へといくほどに秘められた魅力が顕はれてくる。だから、ホモの世界からは足を洗ふといふ宣言にもなってゐる。

実生活でも、三島由紀夫氏は三十歳前後に、妹にそっくりな女性と恋愛してゐた。その女性と最初に会ったとき、その女性は、十七歳で早逝した妹の享年に近い、十八歳だった。
三島由紀夫氏の自決から五十年後、三島由紀夫の名前を付ければ本が売れる時期となったので、その恋愛の相手もインタビューに応じて、暴露話を行った。

その本の宣伝文句。
三島由紀夫像が一新される歴史的証言

『直面(ヒタメン) 三島由紀夫若き日の恋』(文春文庫)が本の題名だ。
興味のある人は読めばいいと思ふが、わたし個人としては、三島由紀夫像にはまったく変化が無かった。

他人が語る三島由紀夫象、私だけが知ってゐる三島由紀夫といったものは、どれもこれも、三島由紀夫氏が小説やエッセイや対談や講演などの中に織り交ぜた言葉の中にみつけることができる。すべてが書きつくされ、語り尽くされてゐる。

三島由紀夫氏の自意識は過剰といふより異常だと思ふ。
三島由紀夫氏は自分の背中を見ることもできたらしい。何か、鏡を合はせて自分の背中まで視線を投じることができたのかといふ比喩を使ひたくなるが、さういふことは、現実としては、作家として想像力が自己にも向いたといふことだらう。

他者や社会について作家の想像力は深く浸透し、或いは高く昇って俯瞰する。
その想像力がすぐれたものなら、自意識としても発露するのはもっともなことだ。
三島由紀夫氏はいつもどこでも自意識につきまとはれてゐたのは確かで、わたしには、そのことが三島由紀夫氏とその作品の魅力の源泉なのだ。


付記
堀間善憲さんからの質問に回答したもの

わたしがかねて不思議なのは、そんな自意識のオバケの三島がなぜ最後に「水と油」のような仏教に接近したのか、です(『豊饒の海』の仏教はニセモノではなさそう……)。ご見解があればお聞かせください。
 
 
わたしの見解といふか、思ひ込みは、以下の通りです。

現実とは何かを探っても何も出てこない。世界にはなんの意味も無い。
って話でないかなと思ひますが。
『豊饒の海』の第三巻ですよね。
あれは、転生した事実が、実は、頭の中の物語だった
とする第四巻に備へたものだと思ひます。

三島由紀夫氏には「生きてゐてもまったく生きてゐるといふ現実感が無かったに違ひない」と指摘する精神科医系の評者は多いです。
読んでると、まさに、そんな人の書いたもので、そのあたりが精神の健全な人には人工的でわざとらしい感じがするのだと思ひます。

人間が頭の中から出るには、行動して死ぬしかないといふ結論を出して、
『豊饒の海』の完成した日の朝に、その架空の話を書いた人物が割腹する場所に向かふ、さういふストーリーになったやうです。完全に作者もあの小説の中の登場人物の一人になってる。

三島由紀夫氏は享年四十五歳ですが、あの『豊饒の海』はライフワークと本人が銘打ってゐて、四十七歳くらゐになるまで、時間をかけて書く予定だったさうです。
作者が現実に身体をぶつけて死ぬことになり(もともと、三島由紀夫氏は戦後もずっとその機会を求めてゐた)、本来はどんな小説だったのかは、誰にもわからなくなりました。

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はい、確かに『暁の寺』が重大な個所ですが、ただ、それ以上にわたしは『豊饒の海』全巻のラストシーンに仏教の世界観を感じます。そして、その最終回原稿は、実はあの年の8月にすでに書き上げていたという説もあり、それをあえて決起の日の朝に編集者へ託したのも三島らしいポーズのような気がします。というわけで、わたしはあの作品はあれで完成していると思うのです(『天人五衰』の分量が少なめだとしても)。なんといっても三島はまず作家だったのであり、もしライフワークの出来に不足があればたとえ決起を遅らせてでも仕上げたのではないでしょうか?

お返事、ありがたうございます。

>8月にすでに書き上げていたという説

それが事実らしいです。本人もどこかで語ってゐたやうな。
だからこそ、最終稿は、11月25日の朝に編集者を家に呼んで手渡しする予定でした。編集者が遅刻しちゃったんですよ、ひどいわ。

>わたしはあの作品はあれで完成していると思うのです(『天人五衰』の分量が少なめだとしても)。なんといっても三島はまず作家だったのであり、もしライフワークの出来に不足があればたとえ決起を遅らせてでも仕上げたのではないでしょうか?

ここは、わたしはまったく違ふ見解です。

三島由紀夫氏は、作家としては生きて生きて生き延びるしかない、一方、人として誠実に生きるには死ぬ必要がある、その間で生きるのは体が二つに引き裂かれるやうな思ひだと言ってゐる。

わたしは、作家は死ぬことができない人間だと思ひます。だから、生きることもできない。ただ、書くしかない。

堀間さんとは、文学といふもの、生きるといふことに関して、本質的な見解の相違があるのを感じます。
だから、対話は成立しない感じがします。
みんな違ってみんないい
といふことで、退散したと思ひます。

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