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不登校だった19歳が思う理想の高校

 中学校までは優等生でいろいろ器用にこなしていた自分は、高校に入りすぐ不登校になった。

 受験勉強への違和感、大量の課題に追われる日々、先の見えない不安など、さまざまなものが重なった。もう何をするにもエネルギーが尽きていた。

 結局、夏休み明けから1回も学校に行かずに留年。2回目の1年生は楽しく過ごしたものの、2年生になりまた不登校に。なんとか頑張ろうとしたものの、また単位が切れ最終的に中退。高卒認定試験に合格し今は通信制の大学に通っている。

 ありがたいことに友人には恵まれ、理解のある先生にも出会えた。また、勉強自体は好きだったし、苦手でもなかった。全てが嫌だったわけではない。でも行きたいのに行けなかった。


 そこで、学校がどのようなものだったら、何があったら行けただろうかということを中退して1年が経った今、考えてみたい。

 自分が不登校だったのが高校なので、高校限定で考えてみたい。また、あくまで理想ということで、これが現実的に可能かどうかも一旦おいておきたい。

教育制度編

 国語、数学、英語、理科、社会。主要科目の勉強が役にたっていることを実感することが最近多い。もっと勉強しておけばよかったとすでに感じている。

 でも学校でやることの優先順位は違うと思う。「生きること」についての教育が圧倒的に足りないと常に感じていた。5教科の勉強を無くす必要はないけど、もう少し負担を減らして別のことをしたかった。そして、学ぶことが面白くなる工夫がもっとあっていいはずだ。

1.もっと生活に身近な勉強を

 保健や家庭科の授業が昔から好きだった。受験に関係ないから気楽ということもあるが、何よりすぐに使えることを学べるからだった。勉強が楽しくなるには実際に学んだことが役立っているという感覚が重要だと思う。

 健康やメンタルヘルスに関すること、料理や洗濯などの家事全般、もっと学びたいといつも思っていた。また、法律やお金のこと、時事問題など社会に出ていく上で知っていた方がいいことも深く学びたかった。

2.農業、食についての勉強

 実際にある教員がこのようなことを言っていた。「コメの作り方を知らんでもコメは食える」
今の社会ではその通りだ。

 でも、食のことがあまりにもないがしろにされていると感じる。学校を利用して、皆んなが農業や食についての理解をもち、家庭菜園くらいはできるようになっておいた方がいいのではないか。

 食べ物がないと死ぬ。そして食べ物があるのが当たり前ではない。食料危機も叫ばれるなか、「人間が生き物である」ことを忘れさせないきっかけがあった方がいい。

3.大学のような授業

 週に1時間でいいからあってほしかった。教員は好きなことを話し、生徒は聴きたい授業を自由に選ぶ、大学のような授業。物理教師は学生時代の研究内容を熱弁し、現代文の教師はオススメの本をひたすら語り、公民の教師が社会問題を解説。そんな時間があってもいいんじゃないか。

 今の高校の勉強は大学受験で、点数をいかに効率よく取るかに焦点を当てすぎている。推薦入試なども盛んにはなってきているが、実態はあまり変わらない。

 学校教育は勉強が面白い、楽しいということを感じさせるものであってほしい。


キャリア教育編

 座学の勉強と同じくらいの時間、キャリアについて、人生について考える時間があってほしかった。例えると、料理の技術は勉強したが、レシピのレパートリーを知らないという状態だった。学校の勉強はキャリアについて考える時間があると、より活きてくるはずだ。

1.インターン、職業体験

 とにかく、この世の職業というものを沢山知りたかった。それを知らずに文系理系を1年次に選択させたり、学部を選ばせたりするのは酷だ。高校卒業後、進学しない場合はもっと重要になってくると思う。

 ありとあらゆる職業について、話を聴くだけでもいいから視野を広げられていたら、また自分は違ったと思う。社会の仕組みや、お金を稼ぐことの尊さを知るいい機会にもなったはずだ。

2.「しくじり先生」的な講演会

 一応、OBなどが講演会に来て、キャリアについて学ぶ機会はあった。しかし、彼らの多くはエリート街道を進んできた、大企業の幹部やアナウンサー、プロスポーツ選手などだった。

 もちろん、彼らから学ぶことも沢山あった。でも、「いろいろ失敗して大変だった。今はなんとかやれているけど、これだけには気をつけてね」という失敗した経験から学ぶ方が高校生には響くし大切だと思う。単純にその方が面白いし。


学校生活編

 最後に、学校生活。学校に行きたくなるような、もしくは不便や不安を感じさせないようなちょっとした工夫がもっとあっていい。学校は楽しいものだということを、いつも感じて生活ができるような環境なら最高だった。

1.学校の色

 普通、学校の外壁はコンクリートで、教室は蛍光灯の白に照らされている。勉強に集中させるという意味ではその方がいいのかもしれない。でも殺風景な感じが嫌だった。

 照明は暖色で明るいもの、校舎は美しい木で作られ、グラウンドはきれいな緑の芝生であったらいいな。別に本当に木でできてなくても、天然芝でなくていい。大事なのは色なのだ。色や明るさは心の状態を大きく変化させる。

 ちなみに、このような外観の中学校をこの間の旅行中に発見した。場所は軽井沢。お金のあるところは違う。

2.教室のイスの配置

 1人の先生と、多くの生徒が向かい合う形が好きじゃなかった。教員との距離に生徒によって差が生まれるからだ。個人的に、後ろの席だと発言しづららかったし、前の席は後ろからの目線が気になった。

 教員を生徒が丸く囲むようをイスの配置をしてみたら面白そうだ。生徒同士の距離も近くなり、発言する機会も増えるのではないか。できるかどうかは1クラスの生徒数にもよるが、少子化が進む今、やってみたら面白そうだ。

3.機能的な制服

 制服自体に抵抗はなかった。逆に毎日着る服を選ぶとなっていたら面倒くさかっただろう。

 しかし、動きづらいし暑さ寒さの調節が難しかった。ブレザーも学ランも経験したが、いろいろ不便だった。しかも高校の上履きはトイレのスリッパのようなもので、歩くとパカパカ音がなる。

 体育教師いわく、悪いことをしても簡単には逃げられないようにするためと、笑いながら言っていた。もし本気で言ってるのならドン引きだが、本当のことは分からない。とにかく、意味不明だった。

4.サークルのような部活動

 これに関しては、自分は満たされていた。サッカー部だったが、顧問は放任型。みんなで自由にワイワイやっていた。学校に行ってなくても普通に参加することを受け入れてくれてありがたかった。

 ただ、それはウチだけが例外で、他の運動部は勝利を目指して厳しくやっていた。我々はだらしないとか、結果出せてないなど後ろ指をさされることも多かった。

 決して、目標に向かって頑張っている人を否定するつもりはない。でも純粋に楽しんでいる状態を悪く言われるのは違和感があった。やっぱり、好きなことを仲間と共に楽しむことの方が、勝つことよりも大事だと思う。

 また、大学のサークルのように、身体を動かすことを目的とし、いろいろなスポーツや遊びを緩くやる部活動があってもいいんじゃないかとも感じていた。


もし現実に存在したら

 もし、このような自分の理想の学校が現実に存在するとする。おそらく、中学卒業時の自分は選択しなかっただろう。理由は簡単、進学や就職の実績がこの学校では乏しいはずだからだ。

 いろいろ経験した今だからこそ、列挙したようなことを思っているのであって、中学の自分とは価値観が違う。まあ、価値観を根本的に覆すようなこんな経験を、よく乗り越えたなと自分でも思う。

 不登校になってよかったなとは心から思っている。他にもいろいろ感じたり気づいたりしたことがあったし。少し道は外れちゃったけど無駄なことなんて何もなかったし、本当の自分自身に出会った気がする。

 せっかく元気になって少しは大人にもなった?から、これから教育や不登校について携われることができたらいいな。




 お風呂でちょっと考えたことを文字にしてみたら、2時間もかかってしまった。noteも暇人だからできることだな



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