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ぐれた子ども時代グリコ

コロナが広がり始めた頃から知り合いが毎朝瞑想会をオンラインでやるようになり、何度か参加したことがあったが、移住した後は遠ざかっていた。

たまたまその会にずーっと参加している別の知り合いと話したことがきっかけで参加することになった。

朝の瞑想は心身を整え、頭がスッキリする。

そんな瞑想の中で羊水のなかに浮かんでいる感覚だとか、まだお座りもできない寝てるだけの赤ちゃんの頃に、五感と全細胞を研ぎ澄まさせて外側の情報を取り入れようとしていた感覚、幼少期に大自然の中で風や音、匂い、味を感じたり、空気の粒まで見えたりしていたことを思いだした。

不思議なものだ。

そして、今「ぐれた」になってここ高知の山にいるのは、その感覚を死ぬ前にもう一度味わいたくてやって来たような気がする。

移住する前は「都会から遠ざかることで気候変動を少しでも良い方向に、都会一局集中を緩和させたいとか、新しい家族と新しいコミュニティを模索する」とかカッコいいご託を並べていたのだが、こっちに来てみると来る前には想像もできなかったことを次から次へと体験している自分がいたのだった。

そんな「ぐれた」の子ども時代はどうだったのか?
物心ついた頃から勝ち気で独占欲が強かった「ぐれた」
妹と従姉妹のお姉ちゃんを従えて団地の公園でよく遊んでた。
そのお姉ちゃんができた子どもでいつも私にいろんな事を譲ってくれていた。妹は2つ下で駄々をこねるのが上手で、長女の自分はいい子ちゃんのポジションを保ったまま妹が駄々をこねて欲しいものをゲットするのをシメシメと思って見ていた。

「○○しなければならない」
「○○してはいけない」

私も生まれてから日本でそういう教育を受けてきた。
だから結婚し、子どもを産み、3食昼寝付きでいいねと夫から嫌味を言われても耐え、自分の時間を犠牲にして家庭を守ってきた
だけど
「〇〇してもいい」という選択肢がない人生はもう懲り懲りになったのだ

嫌といってもいい
結婚していても恋愛していい
仕事をしないでもいい

そしてグリコはグレタ(ぐれた)になったのだった

※ 因みにこの文章は2022年(2年前)の秋ごろに書いてほっておいたのですが、最近、読んでみて急に公開することにしました。






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