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人はうわべを見るが主は心を見る

[マルコの福音書 7:20,21,22,23]

イエスはまた言われた。「人から出て来るもの、それが人を汚すのです。内側から、すなわち人の心の中から、悪い考えが出て来ます。淫らな行い、盗み、殺人、姦淫、貪欲、悪行、欺き、好色、ねたみ、ののしり、高慢、愚かさで、
これらの悪は、みな内側から出て来て、人を汚すのです。」

今日の聖書箇所
マルコ7:14〜23

今日もマルコ福音書から恵みをいただいていきたいと思います。

イエス様の時代の宗教家たちはきよめの儀式を熱心に守っていました。汚れた者に触れるなら自分たちも汚れてしまうので、外から帰ると体を水浴までして汚れをきよめようとしていたのです。

そしてそのように聖さを保っている自分たちは汚れている異邦人や律法を守らない罪人とは全く違うと誇り高ぶり、自分たちは正しい者、罪のない者であると自負していたのです。

彼らは罪の汚れは外側から来ると思っており、その事に全く疑いを持っていなかったのです。それに対してイエス様は罪の汚れは内側から湧き上がるものであり、人は食べ物などの外側から入ってくるもので汚れることはないと言われたのです。

これはユダヤ人たちには衝撃的な言葉でした。きよめを大切にしていたユダヤ人とそうではない異邦人の違いを否定する言葉であり、それが真実であればユダヤ人としての誇りやプライドを全て否定することになってしまうからです。

イエス様は罪の本質を明らかにされ、全ての人に罪があることを明確にされたのです。ユダヤ人たちは罪とは外側の問題だと思い、外側の儀式で清めることができると考えていたのですが、イエス様は罪とは内側の問題であり、どんな宗教儀式によってもそれは聖めることはできないと言われたのです。

罪とは心、霊が腐敗していることであり、その証拠が心の中に湧き上がるあらゆる汚れた思いであると言われたのです。そしてその内面の罪に対しても神は聖なる裁きを下されることも明らかにされました。律法はそれを教えるためにあることをイエス様は明らかにされたのです。

[マタイの福音書 5:21,22]

昔の人々に対して、『殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。

それを悟ることができる時、私たちは自らが「救いようのない罪人」であることを知ることができ、その罪と罪に対する刑罰からの救いが必要であることを知ることができるようになるのです。

宗教家たちは罪とは外側のことであり、外側の行いでその罪を解決することができると思い込んでいたのですが、イエス様は罪とは内側のことであり、内側つまり心と霊が変わらない限り、どんなに水を浴びようが、手を洗おうが、何をしようがその罪の汚れをどうすることもできないのだと言われたのです。

しかし人間の心を聖めるものなどあるのでしょうか?人の心はどんな修行や戒律によっても本質的には変わることはありません。人の心は罪により心底堕落し、腐敗してしまっているからです。

[ローマ人への手紙 3:10,11,12]

次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。一人もいない。悟る者はいない。神を求める者はいない。すべての者が離れて行き、だれもかれも無用の者となった。善を行う者はいない。だれ一人いない。」

その人間の罪によって神との交わりを失い、死んでしまった霊を生き返らせ、汚れきってしまった心を聖めるために救い主イエス・キリストが来られたのです。イエス様はその十字架の死によって全ての罪の刑罰を身代わりに引き受け、その十字架の血によって罪の汚れを聖め、復活して聖霊と御言葉を与えることで死んでいた霊を生かし、霊と心を洗いきよめてくださるのです。

私たちもまたイエス様の時代の宗教家たちのように外側のことに心を奪われ、外側を取り繕い、それで自分はやった、大丈夫だ、救われていると偽りの安心感の中に逃げ込んでしまうことが多いのではないでしょうか?

しかし主は私たちの外側を見ているのではなく内側を見ているのです。その事を知る時、初めて十字架の主の御前にひざまづくしかないことを悟り、その十字架の血潮を仰ぎ、その血潮の注ぎかけを受けなければこの邪悪な心をどうすることもできないことを知るのです。

そしてその時、ダビデと同じ祈りを祈る者となっていくのです。

[詩篇 51:10,11,12]

神よ 私にきよい心を造り揺るがない霊を 私のうちに新しくしてください。私をあなたの御前から投げ捨てずあなたの聖なる御霊を私から取り去らないでください。あなたの救いの喜びを私に戻し仕えることを喜ぶ霊で 私を支えてください。

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