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教会なんて関係ないのか?

[エペソ人への手紙 4:14,15]

こうして、私たちはもはや子どもではなく、人の悪巧みや人を欺く悪賢い策略から出た、どんな教えの風にも、吹き回されたり、もてあそばれたりすることがなく、
むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。

今日の聖書箇所
エペソ4:7〜16

今日もエペソ書から恵みをいただいていきたいと思います。

エペソ書は教会とは何かという教会論が中心です。

イエス・キリストが天からこの地上に降らられ、そして十字架の死にまで従い、復活され、神の右の御座にまで高く引き上げられたのは信じる者たちが教会に所属し、それぞれの賜物を用いて教会を建て上げていくためなのです。

[エペソ人への手紙 4:10,11,12]

この降られた方ご自身は、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方でもあります。こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。

キリストはどのようにして教会を建て上げて行かれるのでしょうか?パウロはキリストが教会に与えられた秩序に従うことによって教会は建て上げられていくと言っているのです。

キリストは教会に権威者を与えてくださいました。その権威者たちは聖徒たちを整え奉仕の働きへと導き、キリストのからだを建て上げるという役割のために主から権威を与えられています。そのような権威に服従すること、キリストが立てられた秩序に従うことで教会は建て上げられ、一人一人の聖徒たちの賜物と可能性が引き出され、聖徒たちはキリストの満ち満ちた姿にまで成長していくのです。

[エペソ人への手紙 4:13,14,15]

私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。こうして、私たちはもはや子どもではなく、人の悪巧みや人を欺く悪賢い策略から出た、どんな教えの風にも、吹き回されたり、もてあそばれたりすることがなく、むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。

教会こそが父なる神の御心であり、ご計画であり、聖徒たちを守るための父なる神の方法なのです。つまり教会を離れて信仰の成長はなく、教会から離れて悪魔の策略から守られることもないということです。

信仰生活とは自分一人で行う自分のためのものではないのです。信仰生活は教会共同体を通して初めて可能であり、信仰生活の目的は教会共同体を建て上げるためだということです。

救いの目的は決して自分のためという個人的なものではなく、自分の満足のためという私的なものでもありません。救いの目的は主の教会を建て上げるためであり、それは共同体的なものであり、公的なものなのです。

それゆえ悪魔はその救いの目的を破壊するために救いの目的を個人的で私的なものに変えようとするのです。教会なんて関係ない、一人で信じていたらいい、教会の都合なんて関係ない、自分の都合優先で信仰生活をしたらいいんだよ、教会のために自分がいるんじゃないんだ、私のために教会があるんだと惑わしてくるのです。

そのように信仰を肉的で私的なものに変質させることができれば、その人はイエス様を信じているとは言っても主の教会に真の意味でつながることもなくなり、主の教会を建て上げるために用いらていくこともないでしょう。

そうなるとその人の霊的信仰的な成長もなくなり、神のご計画はそこでストップしてしまうのです。その人を通して神の国が広がっていくこともなくなるのです。悪魔はそのように教会なんて面倒くさい、自分一人で好きなように自分の都合に合わせて信仰したらいいんだよとあたかもその人の味方であるかのように装ってその人を惑わし、教会を通して受けるべき恵みと祝福を全て奪ってしまうのです。

それゆえ教会は自分のために生きればいい、自分勝手に信仰生活したらいいという悪魔の惑わしをいつも断ち切っていかなければならないのです。自分を捨て、自分の十字架を負って主に従って主の教会を建て上げていくようにと聖徒たちを教え、戒め、矯正し、訓練していかなければならないのです。

それが愛をもって真理を語ることです。肉に死んで御言葉に従い、御霊に従うようにと絶えず教え、語り、戒めていかなければならないのです。その時、主のいのちの働きが起こり、聖徒たちは主の教会の中で栄光から栄光へと変えられていくことになるからです。

現代は極端な自分中心主義の時代です。それが教会にも侵入して信仰生活も自分中心、人間中心でいいかのような惑わしが入り込んでいます。しかしそれは肉を生かし霊を殺す悪魔の恐ろしい策略なのです。

私たちはそのような惑わしに惑わされることのないように祈り、主とその教会を愛してしっかりと教会につながり、教会を通してキリストの満ち満ちた姿にまで成長させられていきたいと思います。

今日の祈り
主よ、あなたを愛することはあなたの教会を愛することであることを悟らせてください。あなたの教会にしっかりとつながりキリストの満ち満ちた姿にまで成長させてください。

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