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神の言葉に挑戦しないで従いましょう

[列王記 第一 22:34,35,36,37]

そのとき、ある一人の兵士が何気なく弓を引くと、イスラエルの王の胸当てと草摺の間を射抜いた。王は自分の戦車の御者に言った。「手綱を返して、私を陣営から出させてくれ。傷を負ってしまったから。」その日、戦いは激しくなった。王はアラムに向かって、戦車の中で立っていたが、夕方になって死んだ。傷から出た血が戦車のくぼみに流れた。日没のころ、陣営の中に「それぞれ自分の町、自分の国へ帰れ」という叫び声が伝わった。王は死んでサマリアに運ばれた。人々はサマリアで王を葬った。

今日の聖書箇所
I列王22:29〜40

今日も列王記から恵みをいただいていきたいと思います。

アハブはミカヤを通してアラムとの戦争に出るならば必ず敗北し、そしてアハブは死ぬことになるという神の言葉が与えられていました。

しかしアハブは大胆にもその神の言葉を無視して、神の言葉に挑戦していきます。自分の願い通りにアラムとの戦争に出ていくのです。そして神の言葉が実現しないように知恵を使って最大限の努力をします。

攻撃が自分に集中することが予想されるので、自分は王服を着ないで南ユダのヨシャファテ王に王服を着させるのです。本当に卑怯な手を使って自分を守ろうとするのです。

ここで不思議なのは信仰深いヨシャファテ王がアハブの言いなりになっていることです、ヨシャファテはミカヤの預言を通してこの戦争が主の御心ではないことも知っていたのです。自分が王服を着て、アハブが王服を着ないというのも明らかにおかしいと思ったはずです。

それなのにヨシャファテはアハブの言いなりになって戦争に出てしまい、王服を着て命の危険を招くのです。

[列王記 第一 22:32,33]

戦車隊長たちはヨシャファテを見つけたとき、「きっと、あれがイスラエルの王に違いない」と思ったので、彼の方に向きを変え、戦おうとした。ヨシャファテは助けを叫び求めた。戦車隊長たちは、彼がイスラエルの王ではないことを知り、彼を追うことをやめて引き返した。

信仰深いヨシャファテだったのですが、アハブの娘と自分の息子を結婚させていたので、アハブの誘いを断ることができず流されてしまっていたのです。そしてそれはヨシャファテを非常に危険な状態に陥らせてしまったのです。

人の言葉に従っているだけなら神の言葉に従うことはできず、状況、環境に従っているだけなら神の言葉に反逆することになってしまうことがあるのです。人との関係を大切にしているだけなら神との関係を破壊してしまうこともあるのです。

ヨシャファテはいのちの危険が迫った時に主に叫び祈り、主の憐れみによってその危機から救い出されました。こうなる前に主の言葉に従い、アハブの言葉を退けるべきでした。私たちもまたいつも目を覚まして誰の言葉に従っているか、何を一番大切にしているかを点検していかなければなりません。

アハブは神の言葉に挑戦してあらゆる手段を使って自分を守ろうとしたのですが、それらの努力は全く意味がありませんでした。アラムの一人の兵士が何気なく放った矢がアハブの胸当てと草摺の間の隙間に当たって深い傷を負ってしまったのです。

アハブはすぐに兵士たちを見捨てて戦場から逃げ出そうとしたのですが、戦闘が激しくなってそれもできなくなり、結局、出血多量で死んでしまうことになったのです。

変装も胸当ても草摺もあらゆる人間の手段と方法はアハブを守ることはできませんでした。アハブが熱心に拝んでいた偶像もアハブを守ることはできませんでした。アハブは神の裁きの言葉など実現させないとあらゆる手段と方法を使って神の裁きの言葉に挑戦したのですが、それらは全て神の言葉の前では無意味であり、神の言葉は全てそのままアハブに実現してしまったのです。

戦車の中にたまっていたアハブの血はサマリヤの池で洗われますが、その池で犬がその血を舐めたとあります。これもまたエリヤに語られた裁きの預言がそのまま成就したのです。

[列王記 第一 22:38]

それから戦車をサマリアの池で洗った。犬が彼の血をなめ、遊女たちがそこで身を洗った。主が語られたことばのとおりであった。

[列王記 第一 21:19]

彼にこう言え。『主はこう言われる。あなたは人殺しをしたうえに、奪い取ったのか。』また、彼に言え。『主はこう言われる。犬たちがナボテの血をなめた、その場所で、その犬たちがあなたの血をなめる。』」

聖書を細かく見ていくとどれほど神の言葉がその通りに実現していっているかが分かるのです。聖書が語る明確なメッセージは私たちが神の言葉に従うなら生きるということであり、神の言葉に反逆するなら死ぬということです。

[創世記 2:16,17]

神である主は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

私たちはアハブのように、アダムのように神の言葉を退けて挑戦し死ぬ者となるのではなく神の言葉を信頼してそれに従い、生きる者となりたいと思います。

しかし罪と弱さのある私たちにそんな事ができるのでしょうか?そうです。私たちにはそんなことはとてもできないのです。それゆえ御言葉に背く罪を悔い改め、イエス様の十字架の血によって赦し、聖めていただき、祈って聖霊様の力と助けをいただいて一つ一つ御言葉に従っていくのです。

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