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私の感覚を理解するのは私だけ #26

土日祝は井戸端会議 #8


随分前だが、村上春樹さんの『1Q84』が世に出た時、店頭でも電車内の広告でもいたるところで小説の表紙やコメントを目にした。

もちろん私も村上春樹さんの作品は大好きで、『ノルウェイの森』を読んで以来、デビュー作から買い集めて何度も読み直していた。
独特の世界観、現実と幻想の硲のような感覚。
ちなみに私は、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』がお気に入りである。

さて、『1Q84』が登場した時、私も見かけるたびに買おうとしていた。
でもなんだか…、流行に乗っているようで、にわか読者になってしまいそうで…とにかくへそ曲がりの私はなかなか購入ができなかった。

もう少し時間が経って落ち着いたらシレッと買って、静かに読もう、なんて自分に謎の言い聞かせをしていた。
曲がりに曲がったへそは、村上春樹さんの『1Q84』ではなくて、ジョージ・オーウェル作『一九八四年』を購入して読んでいた。

今考えれば、それも一緒に店頭に積まれていたに違いない。
結局大きな影響を受けていた。

さあ、このジョージ・オーウェル『一九八四年』はご存知の方も多いだろう。
今回もネタバレしそうなので、あまり語らないことにする。
みなさんに気になってもらえるような、ギリギリのラインを責めるあらすじは私にはどうも書けない。

言いたくて言いたくて仕方ないので、何も言わないという選択をする。

でも、ほんのすこーしだけ触れてみたい。

会話、行動、生活、全てを監視された国。
歴史も都合が悪ければ簡単に書き換えられ、思考も言葉も抑制され私達が知っている自由というものは存在しない。
主人公はそんな監視の目(家の中にも監視カメラがある)を上手くすり抜けながら、自分の言葉で日記を書き、頭の中で自由な思想を思いめぐらせている。

しかし、そんな国で監視をすり抜けることなど可能なのか…!?
主人公の自由というものは果たして達成されるのか??!

たぶん、重要なのは上記の部分ではないと思う。
でも、これ以外を書いたら全部言ってしまいそうだ。

今、キーボードに置かれた右手と左手が好き勝手に動かないよう、それこそ抑制させて文章を書いている。

私が紹介するとすごくつまらない話に感じてしまうのだが、面白いのでぜひ機会があったら手に取ってほしい。

ところで、海外文学はカタカナの名前がどうしても難しくて覚えられない。
誰かが出てくるたびに、前のページへ戻って関係性やそもそも男性なのか女性だったのかをいちいち確認することが多い。

挙句の果てに、早とちりして全然違う読み方をしている時さえあるから、余計にこんがらがってしまう。

そういえば、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャを、ずっと女の子だと思って読み進めていたな…。
途中、男の子だと気づいたとき、フフッと笑いそっと本を閉じた。

「この本は私にはまだ早すぎたな…」

それから数年経ってもまだ手を付けられていない。

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