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日記を書くこと(今月のテーマ:自立)

みなさんこんにちは。例年よりもだいぶ遅いですが、ようやく肌寒い季節になってきました。いかがお過ごしでしょうか?

今月の早稲田哲学カフェの対話イベントは「自立」というテーマで行います。それにちなんで、毎月更新しているこのnoteのコラムテーマも、今月は「自立」について、メンバーそれぞれの思いや考えを綴っていきたいと思います。

元々今月の対話のテーマを「自立」に決めたのは今回の対話のファシリテーターを担当する私です(コラム内で名前を言う時もあれば、言わない時もあります。その時々の気分で決めているのですが、ご容赦いただけると幸いです)。「自立」と言うテーマについて考えようと思ったのはごく単純な理由からで、より精神的に自立した人間になりたいと、ここ最近感じるようになったからです。そのために私が最近続けていて、意義があるなと思っているのは、日記を書くことです。

日記を書くとき、私はなるべく正直であろうと努めます。一日を振り返って、退屈だと思った日は退屈だと書いて、楽しいと思った時は楽しかったと書く、クソだと思った時はクソだと書きます。私たちがどれだけ他人や自分に対して偽ろうと思っても、自分に生まれた感情は否応なく内側に堆積していきます。小さな感情ならすぐ去るかもしれませんが、大きな情動であれば長時間そこに滞在します。そしてそれがあまりに積もり積もっていくと、私たちは体調を崩したり、他人に対して思いもよらない言動をしてしまったり、酷いことには、その元にある感情から目を背けようとするほど、不毛な行動や自己嫌悪が加速していきます。少なくとも私はそういった経験をしたことがあります。

それが良いものであろうと良からぬものであろうと、感情は何かしらの発散を求めているのだと思います。私たちが小さい頃にはそんなことを考える必要はありませんでした。お腹が減った時には泣いて、好きな人に会えた時には全身で喜びを表現しました。感情と表現の間にはほとんど隙間などなかったのです。

表現。それが感情に適切なカタルシスを与える方法の一つなのかもしれません。私にとって日記を書くことはその最も手頃な方法です。他人の目を気にしたりせず、静かに自分の内側を見つめて、そこに適切な言葉を与えていく。うまくいけば、書き終わった後で私は少なからず肩から荷が下りたような気持ちになります。そして、そうすることで初めて、私は他人と関わった時にも、その瞬間、その相手に集中することができるし、不要に自分と他者との境界線をぐちゃぐちゃにせずに済みます。そして自分が他人を求めている時には、互いの境界線を尊重しながらも、素直に相手を求める。そういう態度が自然に身についていくような気がしています。

「自立」についてあなたはどういう考えがあるでしょうか?今月の対話で皆さんの意見を聞くことを楽しみにしています。

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