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「君が手にするはずだった黄金について」ネタバレあり感想&徹底考察|小川哲

どうもTJです
今回は2024年の本屋大賞にもノミネートされた小川哲著「君が手にするはずだった黄金について」をネタバレありでレビュー、そして考察をしていく
小説を特段読むわけではないので、説得力はないのだが非常に素晴らしい作品だった
6つの短編のうち、最初の一話は無料で読むことができるのでまだ読んでない方はぜひ読んで頂きたい

あらすじ・著者

才能に焦がれる作家が、自身を主人公に描くのは「承認欲求のなれの果て」。
認められたくて、必死だったあいつを、お前は笑えるの? 青山の占い師、80億円を動かすトレーダー、ロレックス・デイトナを巻く漫画家……。著者自身を彷彿とさせる「僕」が、怪しげな人物たちと遭遇する連作短篇集。彼らはどこまで嘘をついているのか? いや、噓を物語にする「僕」は、彼らと一体何が違うというのか? いま注目を集める直木賞作家が、成功と承認を渇望する人々の虚実を描く話題作!

https://www.shinchosha.co.jp/special/ogon/より

著者は「ユートロニカのこちら側」で第3回ハヤカワSFコンテスト〈大賞〉を受賞しデビューした小川哲
以後「ゲームの王国」「地図と拳」「君のクイズ」などでも多くの賞を受賞している注目の作家だ
今回、著者の作品を読むのは初めてだったが、設定が巧みで非常に面白かった
今は「ゲームの王国」を読書中

どこまでが虚構か?

今作のメインテーマとしてはあらすじにもある通り、承認欲求の成れの果てだ
嘘に嘘を重ね、金を、名誉を、才能を得ようとする登場人物を、主人公(筆者自身)はどこか白い目で見る
しかし彼らと接していく上で自分は彼らと何が違うのか
なぜ俺は小説を書いているのかという根源的な問いに向き合うことになる
この問いの答えは後に考察するとして、今作の面白いところはこの問いに向き合っていくにつれて、何が現実で何が虚構かが分からなくなってくる点

主人公は著者自身、つまりは小説家だ
小説家は現実に起こった出来事をもとに虚構(フィクション)を作り上げる
それでお金と評判を獲得していく職業だ
しかし今作はそのプロセス自体が小説(虚構)になっているため、読み進めていくほど現実と虚構の境界線が分からなくなってくる
これが今作の最大の魅力であり、この小川氏の手のひらで転がされていく感覚がどこか気持ち良い
そしてそのことは序盤から登場人物のセリフからメタ的な形で示される

「小説です。これまでたくさん読んできたでしょう。エントリーシートに小説を書けばいいのです。就職活動はフィクションです。あなたはフィクションの登場人物です。話が面白ければ、別に噓でもいいのです。真実を書こうとする必要はありません

「プロローグ」p28より

偽物:なぜ「全部クソだ」と言ったのか

今作は6つの短編で構成されているが、そのうちの1つ「偽物」から印象的なシーンを取り上げ、考察していきたい
あらすじとしては新幹線のグリーン車で偶然再開したババリュージという男
僕は彼に好感を持つも、周りの同級生は「あいつは偽物のデイトナを巻いているから、ヤバいやつだという」
見た目で人を判断するなよ、僕は心の中で必死に周りの声から争い続けるも最終的に彼は偽物だと知る
この短編の最後、主人公は「全部クソだ」と言って終わる
果たしてなぜ主人公は「全部クソだ」と言ったのか
それはババリュージが偽物だったことはもちろん、自分がババリュージに対して現実を直視しない綺麗事を吐いたからだ
中目黒でババリュージと飲み明かした後、主人公はババリュージへの質問に対してこのような発言をする

「小説家に必要な才能なんてないと思います」と僕は答えた。「漫画家と違って、絵を描く能力も必要ないですし、ミュージシャンと違って歌の能力も、楽器の能力も必要ありません。小説家に必要なのは、なんらかの才能が欠如していることです。僕たちは他の何かになれないから、小説を書くのです」

「偽物」p174より

この後、ババリュージはこの発言を自分の言葉としてパクり、次のように発言する

「漫画家に必要なのは、なんらかの才能が欠如していることです。僕たちは他の何かになれないから、漫画を描くのです」

p192より

これが主人公の脳内でリフレインして「全部クソだ」と吐き捨てる
主人公は就活には失敗した、それでも小説家としては成功を収め、十分に生計を立てられている
これは主人公(小川氏)に間違いなく小説を書く才能(黄金)があったからに他ならない
にも関わらず、主人公はババリュージに才能は必要ないと嘘をつく
これがババリュージの発言として客観視した時、あまりに自分の言ったことが綺麗事で塗りたくられているいることに耐えられなかったのだろう
だってババリュージは才能を持たない偽物なのだから

俺は何者なのか?

主人公は何者なのか?
怪しげな青山の占い師、80億円を運用し、承認欲求の成れの果てと化したトレーダー、偽物のロレックス・デイトナを巻く漫画家……
彼らと相対していくうちに、主人公は彼らと何が違うのか分からなくなってくる
それでも作中から導き出される主人公(著者自身)の答えは明白だ

「俺は小説家である」

思えばこの小説は主人公が就活を諦め、小説家を目指し、そして書き上げた作品が山本周五郎賞の最終選考に残るところで終わる
作中で主人公は虚構を物語にする自分と承認欲求を求める彼らと何が違うのかに悩む
そして小説家とは果たして何者なのか分からなくなったとも口にしている

それでも主人公は誰よりも小説の可能性を信じている
それは読者としても書き手になったとしてもそうだ

クリプキの主張を置き換えてみる。本物の世界には、小説では回収できない剰余が存在する。でも、と僕は反論したくなる。小説には、本物の世界では味わうことのできない奇跡が存在する。いつもその奇跡に出会うとは言えないが、特別な本に出会ったときは、言語で説明できない類の感動をおぼえる。百パーセント言語によって構成された本という物体が、どうして言語を超えることがあるのだろうか──少なくとも、言語を超えたような錯覚を得ることができるのは、どうしてだろうか。  その秘密はきっと、読書という行為の孤独さの中にある。

「プロローグ」p26より

小説を書けば書くほど、小説がわからなくなっていくような気分になることがある。小説にはさまざまな可能性があって、僕にはその可能性のすべてを掬いとることができない。しかし、小説を書いてみなければ、小説の可能性に気づくこともない。小説を書くということは、僕の知らない、僕には届きようのない小説が無数に存在することを知るということでもある。

「受賞エッセイ」p210より

俺は何者なのか

「小説家である」
その答えを手にしようと主人公はラストでも文章を書き始める
自分の好きなことを見つけ、それを実行する
これこそが本当の黄金であり、承認欲求の螺旋階段から抜け出す出口となる
そんなことをこの小説は教えてくれるのかもしれない

エディは最後、生まれ育ったカリブ海の港町に帰ってくる。船からおがくずに包まれた氷を運びだす。エディは氷に触れ、妹にリンゴを与えた日のことや、船乗りとして世界中を旅した日々を思い出す。そして最後に、神への祈りの言葉をつぶやく──冒頭シーンの文章を書きながら、そんなことを夢想する。  僕はラップトップに向かって文章を書きはじめる。

「受賞エッセイ」p211より

いかがだっただろうか
こんなに書いておいて、腰が引けてしまうがまた気になった作品があったらレビューする予定なのでスキ、フォロー、コメント等なども良かったら是非
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では!

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