語り尽くされてても語りたいこと:ゆず


 ぼくが小学生の頃のこと。母は、台所で夕飯の準備をするとき必ず、ラジオかCDで音楽を聞いていた。そのとき、ゆずがよく流れていた。「ゆず一家」というアルバムをよく流していた。ジャケットがほのぼのとしていて、それだけで癒された。今でもアルバムの曲は染み付いている。4時5分という曲でモスコミュールって何?ってなり、巨女という曲でコーヒーってどんな味やろ?ってなり、境界線という曲で静かな気持ちになった。少年を聞いて、奮い立った。雨と泪は今聞いても心に深く沁み入る曲だと思う。全曲、日常的に流れていた。直接、母からゆずが好きといったことは聞いてないけど、きっと好きだったと思う。小学校が終わり、帰宅して、宿題してたら、夕飯の香りがして、宿題が終わると台所に顔を出す。ゆずの曲が流れている、母と雑談する。ぼくはそのまま影響を受け、ゆずを聞くようになった。もちろん母に薦められた覚えもない。


 2004年アテネオリンピックで栄光の架橋がよくテレビやラジオから流れていた。さっそく、小学校で合唱課題曲になり、みんなで歌った覚えがある。栄光の架橋が収録された「 ONE」というアルバムが9月に発売された。1年経った頃に、母が購入した。おでかけの車内でよく聞いた。1曲目のわだちの歌詞から沁みる。こんな広い心を持ちたいと思った。当時恋なんてしたこともないのに、桜木町を聞くとなぜか胸がキュッとなった。夢の地図で気持ちが解放された。よく聞いた。今、このアルバ厶を聴き直したら、確実に小学校のときを思い出すだろう。音楽にはその人の記憶が結びついていると思うから。


 その後も、ゆずは台所や車内で、よく聞いた。流れていた。自分からラジカセで聞いた記憶があまりない。中学3年生のとき、高校受験のため、1年間だけ塾に通わせてもらえるようになった。それまで塾に通ったことがなかった。授業料が高く、その分実力も着く厳しい塾だった。親には大変感謝している。塾の行き帰りの車内はやっぱり、ゆず率が高く、曲に励まされた。こういうとき、栄光の架橋はより胸に沁みる。奮い立った。模試の結果に一喜一憂しながら、志望校に合格するため、勉強を積み重ねた。ストーリーという曲を聞いて、勉強するぞ〜!とスイッチを入れていた。


 志望校に合格したとき、嬉しさやらホッとした気持ちやらで胸がいっぱいになった。ただ、掲示板での合格発表において、母が先にぼくの番号を見つけたことにぼくは驚いた。掲示板に人だかりができ、なかなか見えないなぁと感じていたら、合格を母づてに聞いた。母の視力は良すぎた。

 

 高校に入学して、ゆずを一切聞かなくなった。ゆずは好きだが、やっぱり、ゆずは実家で聞くものだった。実家で自然に流れているものだった。下宿の1人部屋で聞こうとは思わなかった。


 そこから時は流れ、2023年。ぼくはその年の奈良マラソン(フルマラソン)にエントリーし、本番を目指して、日々走っていた。

 恋人の、走ってる姿が見たい!元々走るの好きなら完走できるんじゃない?などの言葉を受け(最初は拒否した。しんどいよ、あんな距離走れへんわと喚いた。その後落ち着いて話し合い、ぼく自身で意思を固めた)、出場を決めた。

 練習では、若草山や平城京跡、奈良公園、奈良市内を走りまくった。昔から走ること自体は好きだった。歴史的名所を意図的に巡り、観光RUNと名付けた。猿沢池の周りを走るのがなぜか気持ち良かった。4時間〜5時間走れたら42.195キロ完走はできると感じ、タイムを計りつつ、走る距離を徐々に伸ばしていった。

 走ってるとき、様々なことが頭を駆け巡る。昔の記憶やら最近のことやらがいつのまにやら浮かぶ。走ってる時の自分の脳内思考が読めず、それがまた新鮮でかなり面白がった(ちょっと他人事)。自問自答あり、一人会議あり、仕事のことやら人間関係、いろいろ浮かんだ。

 今まで聞いてきた音楽も浮かんだ。本当はiPodで音楽聞きながら走りたかったが、iPodを持っていないし、スマホにイヤフォンの手段もあったが重いのでポケットに入れたくなかった。iPod買わなくても、頭の中で音楽流せばいいんやん!という思考になり、手ぶらで走ることを優先した。自身の脳内にラジオDJを出現させ、好きな曲をひたすら流す。しあわせすぎる。走るのは超しんどいが、音楽が並走してくれるなら心強い。実際に心強かった。走りながら、小さく曲を口ずさんだりした。苦しいとき、好きな曲のフレーズは響いた。その曲は、ゆずの曲だった。「 ONE」というアルバムに収録されている、命果てるまでという曲。走ってるとき、この曲に何度も救われた。もうこれ以上走れないとないと思ったとき、この曲を脳内に流した。曲を聞いて、魂が燃えた。大げさと思われてもけっこう。魂が燃えた!心体が引き締まった。ある日走っていたら、小学生のときに聞いていた、命果てるまでがふと蘇った。その日から走るときは脳内プレイリストに加えた。青っていう曲にも走る勇気をもらった。

 走っているといろんな景色に出会える。早朝の薄闇に走り始め、朝日が昇るのをみた。敢えて夏の昼間に走った。その後の冷たい水は最高だ。夕焼けに照らされて走った。若草山はいつも涼しい。平城京跡の空気は気持ちよく、開けた大地に開放的な気分になる。朱雀門を見上げ、迫力に何度も感動した。


 奈良マラソン当日の空気感はやはり異質だった。とんでもない人数のランナーが、鴻ノ池陸上競技場に集まり、一斉にスタートする。その中にいると、やる気と恐怖と喜びと不安などが入り混じる。やるだけのことはやってきたが本当に大丈夫か?と胸の内側から声がした。コースだって、地図で確認したけど、初めて走る。 

 

 マラソンがスタートしてからはもうただただ必死。観客の声援が聞こえ、他のランナーにどんどん抜かされていく。途中でやっと気付いた。自分のペースで淡々と走ろうということに。音楽を脳内で流した。プレイリスト開始。命果てるまでをまず流す。今生きて走ってることを実感し、走った。走った。給水。走って走って走って今走ってる。途中でバナナも食べた。走ってきてよかった、走ってる、走りたい。身体の部分部分を感じた、心臓が高鳴る、かつてない負担だっただろう。脚も腕も足も背中も指も腹も奮闘中。折り返してからがまた苦しい。復路は、バナナを多めに食べた。今まで出会った大切な人たちの顔や姿が浮かぶ。実家の台所でゆずが流れていたことも思い出した。様々な記憶が混在しながら、音楽は流れ、前を見て走った。声援に感謝の気持ちを抱き、隣を走るランナーもがんばっている。みんなゴールを目指している。ゴールまでもう少しのところで、恋人にも会えた。

 ゴールの瞬間、空を見た、果てしなく青かった。

 ゆずの曲に力をもらった。命果てるまでが並走してくれた。昔聞いた感動を今も覚えていて、今も感動していて、音楽の力を強く感じた。

 ゆずは、2024 7/31 に「図鑑」というアルバムを発売した。18枚目の最新アルバムだ。

 近年のゆずの曲をほとんど知らないし、最新アルバムの曲も聞いたことがない。けど、今のゆずを感じてみたい気持ちがむくむくと育っている。実家の台所で、ラジカセにCDをセットして、曲を流してみたい。母はどんな気持ちになるだろうか。



 



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