語り尽くされてても語りたいこと:エレファントカシマシ
中学3年生のとき、過去に発売された音楽雑誌を、古本屋で買って読むことにハマっていた。好きなアーティスト・バンドの過去のインタビューが載っている雑誌を主に購入していた。
その中の1冊で、ぼくはエレファントカシマシに出会った。宮本浩次さんがギターを持って立ち歌う姿の写真、それがかっこよかった。そのまっすぐな目にやられた。理屈じゃなかった。言葉のボキャブラリー少なくて悲しくなるけど、グッと来た。どんな音楽をしているかわからない。今も活動してるのかさえ知らなかった。その写真にアーティスト情報と宣伝が載っているだけだった。たった1 ページだったように思う。宮本浩次さんはエレファントカシマシというバンドのメンバーで、悲しみの果てという曲を発売するということがわかった。過去の宣伝記事だから、曲はリリースされているだろうし、今CD で聴ける!と狂喜乱舞した。そして、他の曲も聴けるだろうと楽しみが増した。
そこからすぐにCDを買えたわけではない。ぼくは当時中学3 年生。お小遣いが収入みたいなものだ。お小遣いが貯まってから、中古CDショップに行き、熟考し、「sweet memory〜エレカシ青春セレクション〜」というアルバムを購入した。
聴いて、胸が熱くなった。力強くもやさしい声。悲しみの果て、その日から何度聴いただろうか。今宵の月のように、その日から何度聴いただろうか。演奏もかっこよかった。このアルバムは果てしなく聴いた。赤い薔薇がどんどん好きになっていった。月夜の散歩では、じつに繊細な声で歌う宮本さんの表現力の幅に度肝を抜かれた。とんでもない表現者だ。エレファントカシマシというバンドをもっと知りたいと思った。
高校生1年生になってもエレカシのことが好きだった。野球部に所属し、忙しい毎日だったが、エレカシを聴いていた。当時、ぼくは地元から離れた高校に入学したので、下宿をしていた。その1人部屋で様々な音楽やラジオ番組に出会った。野球部の練習のない日は、中古CDショップによく行った。そこで、「 エレファントカシマシベスト」という、港が写ったジャケットのCDを見つけた。曲目を見ると、全曲知らない曲だった。またひとつエレカシの魅力が知れると思い、思い切って購入した。
下宿の1人部屋に帰り、聴くと唖然とした。味わったことない衝撃を受けた。これはエレカシなのかと思った。sweet memoryと全く違う。声がでかく、叫びに叫び、歌詞がとんがっていて、なんというか、爆発!という印象だった。このCDはしばらく聴かなくなった。勝手にショックを受けた。正直、本当に同一人物が歌っているのかと疑った。歌詞カードをみれば若かりしメンバーがいた。sweet memoryを引き続き聴き続けた。そこから、エレカシの歴史を勉強した。ネットにも助けてもらったし、過去の音楽雑誌も読んだ。エレカシの歴史の変遷がわかるに連れ、エレファントカシマシベストを少しずつ聴くようになった。ファイティングマンを聴いて心が燃え、デーデを聴くと爽快な気分になった。
高校3年生のとき、定価のCDショップで、「エレカシ自選作品集EMI胎動期」を買った。直観と全曲知らなかったからというのが理由だ。このアルバムはずいぶんハマった。2枚組で聴きごたえがあった。初期の荒々しさとsweet memoryに通じる穏やかさが同居しているような感じがして、聴いていて心地良かった。随分聴いたが、敢えておすすめは1曲に絞る。キリがないので。生命賛歌という曲には頭をやられた。正直、歌詞の内容がイマイチ理解できない。聴くたびにこういうことかな?と何度も考えた。だんだん音楽すべてを受け入れるようになった。声、言葉の力、演奏の迫り来る感じが凄まじく、心が叫びだしそうになり、強烈に生命の揺らぎを感じた。人間の原初の叫び・人間が持つ根本的な表現欲求(生死への眼差し)を感じずにはいられない。とんでもない曲だと思った。
大学に進学してから、初めてエレカシのライブに行った。アルバイトで稼いだお金が資金だった。その頃には、エレカシの曲は、ほぼ聴き尽くした。そして聴き込んだ。ライブ会場は、Zepp Namba 。ライブ前から、ドキドキが止まらなかった。スタンディングの1階で、ライブ開始を待った。あの4人が会場に現れたとき、生きてる!生きてるよ!と純粋に思った。
たしか、1曲めは奴隷天国だったと思う。こんな曲、エレカシにしかできない。挑発的な宮本さん。会場が一気に熱気に包まれる。最後のセリフ部分は本当にやばかった。狂気を感じた。宮本さんはやはり、エンターテイナーだった。そこから、怒涛のライブが始まった。有名曲は、すべて演奏してくれた。おしりぺんぺんをしたりと、縦横無尽の宮本さん。3時間はライブしてたと思う。エレファントカシマシという1つの生命体が、やさしさも怒りも静けさも励ましもあらゆる感情をも音楽で表現し、会場は小宇宙と化した。感無量の域を超えた。
30歳になった今もエレカシは聴いている。昔ほど熱心には聴いていないが、ふと聞きたくなるときがある。今でも、悲しみの果てを聴いて胸が熱くなる。それぞれの楽曲の振れ幅が激しいバンドだなと本当に思うし、そこが確固たる魅力だ。エレカシは、今も精力的に活動してる。その後ろ姿がもうすでにかっこいい。
こうやって、いろんな人がエレカシのことを語ってる。ぼくもそれをラジオで聞いたり、テレビやYouTubeで見たりしてきた。エレカシへの愛が伝わってきた。ぼくも伝えたくなったので今回書かせていただきました。
ここまで読んでくれた方、誠にありがとうございます。
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