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男?女?

私は物心ついた頃からスカートをはかずに、小1から小6までずっとズボンで通した。別に意識していたわけではない、ただ、私用のスカートが家になかっただけだ。

スカートをはきたいともズボンが嫌だとも思ったことがないからズボンだった。花柄だったりしたから、男の子用というわけではなかった。周りの女の子はもちろんスカートをはく。学校で強制されていた訳ではないから。

髪もショートカットかおかっぱ頭だった。

中学生になって制服になるとスカートをはいた。特に嫌だと思ったことはない。ただ、ずっとズボンだったから座るときに足を開いてしまい、友人からよく指摘されていた。不良ではなかったので、長くすることもなくノーマルな長さで卒業した。

小学生までは遊ぶのに男女関係なくつるんでいたが、中学になると女の子だけの集団にいるようになった。いわゆるいじられキャラではあったが、いやではなかった。

髪は中学時代一度も切らずに伸ばした。中三になると背中まで伸びた。そこに意味はない。高校入学の時に肩までの長さにカットした。

初めて男の子と映画を観に行った時のピンクのワンピースは何故家にあったか記憶にない。私服は中高時代はほとんどない。制服かジャージで過ごした。

就職してスーツを買った、スカートの。でも、周りの先輩方がラフな格好で仕事をしていたので、すぐにジーンズをはいていくようになった。たまにスカートをはくと、デートか?とからかわれた。

ここまで打ち込んで、私は自分が女でよかった、とか男になりたかったとか強く思ったことがないことに気づいた。さすがに痴漢にあうとわー!いやだ!と思ったが、だから女は嫌だとも思わなかった。

性自認が私は男であるとも女であるとも強く思ったことがない。LGBTQ+のQもしくは+であるかもしれない。

たまたま好きになった人が男であったけれど、女であっても抵抗はない。動物であったかもしれないし、偶像であったかもしれない。そこらへん、曖昧模糊である。

かわいいもかっこいいも私には同価値の誉め言葉である。生き方としてかわいい、かっこいい、どちらもありだ。

娘たちは小さなレディとして扱ってきた。娘たちにとっては母親という存在としてよりも乳母であり、執事でもあった。

漫画でいわゆるBLものなども読むが、特にそればかり好んで読むわけではなくもちろん毛嫌いしてるわけでもない。子供の頃から少年漫画も少女漫画も読んでいてどちらも面白いと思った。どちらの世界も私的にありだった。

一体私の心は女なのか男なのか今もって謎である。

体は女性体である。妊娠、出産もした。それでも心まで全くの女なのかははなはだ疑問である。

昔好きだった人が、常に男と女のことについて考えている、と言っていたが、私は常に考えていない、どちらも強く意識していない。

ただ、生活に困ったからと言ってホステスなどの性産業に従事しようとは思わなかった。けれど、そういう世界の住人がいるからこそ、市井の女性たちが危険な目に合わずに済んでいる部分もあるから、有難い存在だとは思う。

なんだかんだ言っても強姦は怖い。それは男性であっても性対象になる場合もあるから同じだろう。

映画「バービー」をみてラストシーンが唐突であると思ったが、ここまで打ち込んで思うことは、最後はそこにたどり着く、である。

体的に女性である、それは紛れもない事実。そこからすべては始まり、終わる。

そういうラストだったんだな。

これから先も私はたぶん男女ボーダーレスで生きていくんだと思う。

三女妊娠中、よく、やはり男の子が欲しい?と聞かれたが、私は茶化し半分、半ば本心で中性体の子が欲しいと答えていた。

男である、女である、そういう、しがらみ、しばりは周りがつけていくものであると自分の生い立ちから思った。もちろん、生粋の女性、男性もいるとは思うが、異を唱える人は増えていくだろう。

様々なことがボーダーレスになっていくだろう。それは誰にとっても生きやすい世界になることを夢見て。

私は自分の生き方が好きである。

いつでも私は一生懸命生きてきた。

休むときも一生懸命休んだ。

頑張りどころでは火事場の馬鹿力で乗り切った。

私だけのオリジナルな人生。

そうそう真似できないと思うが、真似したいと思わないと思うが。

心の充足感はどんな偉人にもどんな成功者にも負けない自負がある。

他人がどう思うか、他人にどう思われるか、そんなことを気にしていたら、人生なんてあっという間に終わってしまう。

ないものでなく、あるものに目を向けて生きてきた、ただそれだけのことなんだけど、人ってどうしても欠落してるものに目がいくよね。仕方ない。でもね、ちょっと見方を変えたら、見えてくるものが違ってくるよ。

試してみてね。