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気を遣うことと自我の強さ

みなさまの馬が合う友達とはどんな人たちですか。

私は小さい頃から、「友達を選ぶ」ことが難しかった。
誰とでも仲良くなれるといえば長所でもあるけれど、断れずに、
勝手になんだか使われているような気分になったり、ずっと違和感を抱えたまま接してしまって、結局気まずい離れ方をしてしまったり…
それに人の思っていることがなんだかわかるような気がして、気を遣って
自分がすり減っていくような思いを抱えたり。

今は断ることを覚えて、比較的自分のスペースを守ることができるようになったと思う。

でも、これは全部自分の問題だった。
どうしてこんな目に遭うんだろう?と小さい頃は思っていた。

第一に、繊細すぎることから他者と関わるたびにいろんなことに思いを巡らせて疲れていたこと。これは先天的な脳のアレだと勝手に思っている。
第二に、もしかして自我がかなり強いかもということ。
このどちらもは、関係しあっているかもしれない。

この二つ目のは、親友とそんな話をしていて気づいたことだ。もともと「こだわりが強い子だ」と母親に言われてきたが、私は色々な人と関わるうちに、
「これだけ人に気を遣っていて、相手に合わせることができるのならこだわりが強いはずがない」と思っていたのである。

しかし、これは多分パラドックスで、自分が心の中で「嫌だな〜」「合わせたくないかもな」と知らずに感じているから、相手の顔色がかなり気になる。これはどういうことかと言うと、自分がそう感じているなら、相手もそう感じるだろうと言うことを予測してこちらは行動したりしているということだ。これは逆に相手をも傷つけてしまう。

小さい頃から拗らせていたのだな。

今となると「嫌だ」となったら離れるの術を使うことができる。そうなる前に私は私よと言えるようになったら自然とそんな目には遭わないような気もする。あと高校を卒業するとあの小さい箱から出られるので一人で動くのが楽になる。

とにかく、私はこれだけ「自我が強い」のならこのまま突っ切っていくべきだ。生かすしかねぇ。と思った。

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