一生懸命な人が苦手

 一生懸命な人が苦手である。こんなことを言うと炎上するかもしれないのだが、苦手だから仕方がない。いつもパワフルに活動してエネルギッシュで努力・忍耐・根性なんて言っている人がいたらおそらく僕は発熱するだろう。

 かくいう私も昔は一生懸命な人間だった。中学時代、部活の部長をしていた私は部活大好きな熱血部長であった。とにかく一生懸命だった。部長としての責任もあるし、やればやるほど成績も伸びて楽しかった。そんな私は一生懸命やらない他の部員が許せなかった。遅刻するやつ、手を抜くやつ、とにかくそういった人を呼び出し注意しまくった。私は部長であり、一生懸命やってるんだから正しいに決まってる。一生懸命やらないお前らが悪い、という誰でもわかる理屈で攻撃しまくった。

 高校に進学してからは大学受験のために一生懸命勉強した。偏差値が40くらいの学校であり、クラスのほとんどが推薦で大学進学する中私は一人一般受験で大学に行くことにした。一生懸命だからだ(いや、一生懸命勉強してたらもっといい高校行けてたんじゃね?ってツッコミは置いときます。)ほかの連中は一生懸命に生きていないからアホだ。私は一生懸命に勉強して偉くなるんだ。そんなことを思って高校生活を過ごした。こんなんだからクラスに友達は少なかった。

 大学に入っても一生懸命だった。小中高の教員免許を取得し、教員採用試験も一発で合格した。夢かなって学校の先生である。これからも一生懸命頑張って生きていこうと思っていた。しかし、限界がやってきた。

 学校現場はとにかく大変だった。休憩時間が2分という話を聞いたことがある方もいるかもしれないがあれはマジである。社会人3日目のペーペーにもかかわらず責任重大な仕事がどんどん降ってくる。頭がおかしくなりそうだった。できないといっても「ほかの先生はもっと頑張ってるよ」「子どものためだから」「先生の愛情が足りないんじゃないの?」「もっと苦労したほうがいいんじゃない」こんなことしか言われない。クレイジーだ。極めつけは当時組んでた学年主任が一生懸命な人だったのだ。子どもと関わることが大好きな素敵な人だったが、結果として僕はつぶれた。その先生は子どもに保護者にも好かれるスーパー先生で何時も子供のために一生懸命働いていた。そんな人と組むとどうなるかというと、比較されるのだ。「それに比べてうちの担任は………」ということになる。コロナで休校になった時もほかの先生は定時で帰る中、その先生発案で読書の宿題として、子ども一人一人に対して図書館で本を選ぶというということをやった。しかもメッセージを添える作業まで取り入れられて、子どもがいないのに遅くまで仕事をさせられた。その先生曰く「授業準備は平日やるものではありません。土日にやりなさい」ということらしい。素敵な先生なんだよ…すごい人なんだけどその一生懸命さに毎日毎日いっぱいいっぱいだった僕は限界を迎えた。ただでさえ限界な毎日なのにその一生懸命さについていくことが出来なくなり、夜眠ることが出来なくなり、そしてついに学校に行けなくなるのだがそれはまた違うときに話そう。

 さて、話が愚痴っぽくなってきたが、ここまでの話をまとめると一生懸命頑張ってきた私は、さらに一生懸命な人につぶされたのである。ここで思い出すには中学時代である。一生懸命だった私はそれをいいことに他者を傷つけ続けてきたのではないだろうか。今の私みたいに一生懸命になれないみじめな自分を蔑ませていたのではないだろうか…ということである。

 別に一生懸命であることは悪いことではない。大学受験のために一生懸命勉強する、甲子園に行くために必死で部活に取り組む、素晴らしいことだと思う。しかし、一生懸命には危険も潜んでいる。一生懸命な人は周りが見にくくなっていると思う。一生懸命という大義名分があるんだから何をやってもいいと思ってしまうのだ。例えば教員。”子どものため””聖職だから””やりがいがあるから”そういった素敵な理由から一生懸命働く先生はたくさんいる。素晴らしいことだ。しかし、現実問題、仕事が膨大な量になり、残業と責任だけが次次にのしかかる。結果教師は魅力的な仕事ではなくなり、志願者が激減するという事態になっている。すべてが一生懸命さのせいではないが、原因の一端は担っているのではないだろうか。

 また、個人で一生懸命やろうと思うことは大いに結構だが、それを他者にも求めた場合いわゆるパワーハラスメントになりかねない。一生懸命できることは人それぞれ違うのだ。何時間も読書ができる人もいれば活字を見ただけで嫌気がさす人もいる。一生懸命にやるということは自分を律する言葉であり、人に言うべきではない、と思う。「いつも明るく」、「感謝の気持ちを忘れない」、「やればできる」、こういった言葉も同じ理由で自分に語り掛ける言葉であり人に言った時点で、言葉の暴力になりかねない恐ろしさを持っている。

 こんなことを考えながらTwitterを見ると、芸能人が「やればできる」「夢は叶うよ!」「あなたはすごい」とか、平気でつぶやいている。こいつらなんの責任も取らないくせによく平気でこんなこと言えるよなと、あきれ返っておならブーである。いや、私の性格がひん曲がってるだけなのか。こんなことを考える毎日である。

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