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SNSに写真あげるカップルなんやねん

 昔、インスタグラムをやっていたのだがそこで恋人との写真をあげまくっている人がいた。彼氏とどこそこに行ったよ!、〇〇大好き!、ずっと一緒だよ♡、とまぁこんな感じの文とともにラブラブな写真を毎日のように投稿していた。別に人がどんな写真を投稿してようがその人の自由なんだからいいんだけど、どうしても違和感が残る。

 そもそも、恋人とのプライベートな時間をわざわざ人に見せる必要があるのだろうか。私はあなたが好き、あなたは私を愛してくれる、この双方のやり取りだけで満足できないのだろうか。

 結局、そういう人は不安なのだ。自分が幸せなのかどうか、相手が自分を愛してくれているのかどうか、自分では判断ができないのだ。だから人に見せて「いいね」をもらわないと満足が出来なくなってしまっているのだろう。

 仕事なら他人からの評価は大切だから第三者の評価を気にするのは当たり前だ。しかし、恋愛は愛する者同士の個人的な営みであり、他者など関係がない。お互いがお互いのやり方で愛を育んでいくべきだ。

 恋愛は仕事に成り下がってしまったのか。いや、仕事というよりファッションなのだろう。ファッションは自分が楽しむと同時に自分が人からどう見られるかが大切なポイントだ。恋人は洋服なのだ。自分に合った洋服を探すように、自分に合った人を探そうとする。そして、見つけると鏡で自分の姿を確認するかのようにSNSで恋人との時間をさらして「どお?似合ってる?」と確認するのだ。そして、古くなったらポイッと捨てる。洋服なんだから当たり前か。

 別にファッションのように楽しんだっていいじゃないかとリア充たちに袋叩きにされそうだが、そんな人に言いたい。「あなたは誰を愛しているんだい?」どこまで行っても自分しか愛していない。それが本当に恋愛なのだろうか。

 では、真の恋愛とは、人を愛するとは何か。偉そうなことをたくさん書いたが、正直私にもわからない。死ぬまでに「あぁこれが愛することか」と実感するのが夢だ。ただ、我々の多くが恋愛や愛だと思っていることは、大いに違っていると思う。人からの評価を気にする愛なんてちゃんちゃらおかしいのである。愛するということについてもっともっと真剣に考えるべきだ。本当に人が愛し合うことが出来れば、争いはなくなると信じている。

 最後に、おすすめ本をご紹介。エーリッヒフロム「愛するということ」。まさに今回のテーマにドストレートの内容である。人間はみんな読むべき名著である。では、また会いましょう。




 といいつつ、恋人ができない私はいちゃいちゃする人がちょっとうらやましかったりするのは、ここだけの話である。

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