“やさしさ”ってなんだろう

 “やさしさ”とは何だろうか。

 普段使っている言葉の意味を考えてみると意外と分からなくなってしまう。やさしいってなんなんだ!

 女性はよくやさしい男性が好きと言う。具体的にどんな人?と聞くと
「いつも私このこと思ってくれる」
「誕生日には必ずプレゼントをくれる」
「記念日は忘れない」
「かわいいって言ってくれる」

 女性に優しくするのは男としては当然のことであり、あからさまにやさしくしない男はいないだろう。

 私は男なので女性の気持ちは分からないが、男の気持ちは分かる。男が女にやさしくする場合殆どの確率で下心がある。ワンちゃんを狙いまくっているのだ。少なくとも私は下心の塊だ。女性もそこのことはよく分かっているだろう。果たして、下心のあるやさしさはやさしさなのだろうか。

 一方、女性にも言いたい。あなたが求めているやさしさは自分に都合のいいやさしさではないだろうか。自分にだけやさしくしてくれる人ってつまり他の人にはやさしくないってことですよね?それってやさしいんですか?

 つまり、普段使っているやさしさにはエゴが含まれているのだ。自分にとって都合のいい人、自分の言う事を聞いてくれる人、そんな人に対して優やさしいというのだ。ベクトルは常に自分に向いていて、相手のことはお構いなし。これがやさしいということの正体なのか?

 そんなやさしさに対して仏教の視点から明確な答えを教えてくれる本がある。

「やさしい」って、どういうこと?
         -アルボムッレ•スマナサーラ-


 この本ではやさしさとはずばり自然な状態であることと述べている。

 自然ってなんやねん。木になれってこと?と思った方もいるかもしれない。もちろんそんなわけない。ここでいう自然とはそうあって当然の姿ということだ。
 我々人間は1人で生きていくことはできない。必ず誰かに支えられて生きている。今着ている洋服だってどこと誰か知らないたくさんの人が関わってできているのだ。
 つまり、人間にとって自然な状態=人と支え合う関係なのだ。

 目の前でお年寄りが転んだとする。その時「大丈夫ですか?」と声をかける。
 母親がご飯を作っている時に赤ん坊が泣き出したら父親が赤ん坊のもとへ行く。(逆もまた然り)
 先輩が後輩に仕事のやり方を教えて後輩は先輩から学んでいく。

 どれも自然とそうすべきことだと分かる事柄だし、どれも助けが必要なものだ。そう、必要なのだ。けっして欲しいものではない。

 やさしさとは人と人が支え合う上で必要な支え手助けのことであり、そうあって当然な状態で行われるものだ。

 エゴがある優しさはもはや優しくないのだ。なぜなら必要ではなく欲しいものだから。過剰の優しさとも言えるし、優しくないとも言える。


そう考えると本当にやさしい人ってどのくらいいるのだろうか。

 話がめんどくさくなって書いている私も分からなくなってきたが、私は常に女性に優しくありたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?