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小説「着物でないとっ!」⑮-1

15 和裁士のこころ

 「おはようございます」

ビュッフェ会場で先に食事をしていた幸にゆきとさくらがあいさつする。

「おはよう。昨日は何時に帰ったの?」

「えっ?時間ですか?」

いきなりの質問にふたりは戸惑った。そしてお互いに返事を譲り合っていたが、結局お酒については常習犯のゆきが答えた。

「いえ、二時くらい前にはたぶん、その…」

「覚えてないってことね」

つきあいの長いゆきのことである。幸には教え子の行動が容易に推測出来た。厳しい小言で嗜めようとも思ったが、昨日は自分が心配をかけたこともあり、その一言で止めることにした。

「集合、ロビーに八時で良いわよね」

とだけ伝え、コーヒーを飲み干して席を立つ。

「は、はい。大丈夫です」とふたりは慌てながらも答えて、足早に朝食の列に並んだ。

「もう、あんたにつきあったら碌なことはないわ」

「だって、せっかくの京都なのよ。さくらも、乗り気で次の店行こうって言ったじゃない」

昨夜は、柴田が手配してくれた先斗町の料理屋で打ち上げを行ったあと、幸に許しをもらってふたりで別の店へと向かった。 

こじんまりとしたバーで飲んだまでは覚えているが、競技が終わったこともあり、ついはしゃいでそれから後のことは二人とも覚えていなかった。

「そんなに食べられるの?」

ゆきが皿に盛った大量のおかずをまじまじと見ながらさくらが少しあきれる。

「大丈夫よ。集合時間までは一時間あるから、間に合うわよ」

「いや、時間の話じゃないんだけど」

 昨日の競技会場に着くと床に敷かれていた畳は除かれていて、表彰式用に折りたたみの椅子が並べられていた。前方の机上には大きなトロフィーが三つ飾られていて、それぞれ優勝者に贈られる金賞の内閣総理大臣賞、銀賞の経済産業大臣賞そして銅賞の文部科学大臣賞である。

「あの金賞を獲らないといけないのね」

ゆきとさくらはトロフィーを目の前にしながら、幸の優勝を改めて願った。

 「 では結果の発表を行います。選手の方は座席に着くようにお願いします」

参加している若い選手たちは、応援してくれた師匠たちの元を離れ不安そうに席に着く。

「先生、私たち優勝願ってますから」

会場の前方に和裁士会の会長を中心に主要な人間が並んで座る。和裁士のほとんどは女性であるが、その顔ぶれは男性ばかりであり、女性はひとりだけである。これまでは、男性が重要な役職についていることについて疑ったことの無いゆきであったが、今は和裁士会についても多くの疑問をいだくようになっていた。待遇改善のためにも和裁士会にはもっと頑張ってもらいたいと思ったが、会長はかなりの高齢のように見え、他のひとたちも自分たちの置かれた現状について、精力的に改善してくれるようには思えなかった。

会長がマイクを握った。

「それでは、コンクールの結果について発表いたします」

見かけによらず大きなしっかりとした声である。ゆきはさっき心の中での悪口が聞こえたのではないかと心配になった。

「まず銅賞の文部科学大臣賞ですが……京都……太秦和裁……野本ゆかり!」

若い女性特有のキャーッと言う声があがった。地元のため多くの応援団が駆けつけているが、喜びの歓声にはもっと上位を狙っていたためか失望の声も混じっている。

 ゆきとさくらも優勝だけを望んでいるため、金賞以外で幸の名前が呼ばれないように願っているため安堵のため息を漏らした。

「次に銀賞の経済産業大臣賞ですが……」

銀賞で名前が呼ばれなければ幸の優勝の確立があがる反面、入賞さえ逃す恐れも出てくる。競技中に作業を止めてしまった幸の姿が二人の頭をよぎる。あの時間のロスが競技の中でどこまで大きな影響をもたらすのかか予想が出来ないため、不安を拭うことが出来ない。

会長は紙を開いて名前を読み上げようとした。しかし、何故か読むのを止め、用紙をずっと見つめている。ついにスタッフを呼び、何やら質問をしている。会場の誰もが何が起こったのかが分からずざわめきが起きる。

「なに、何、どうしたの?」

ゆきとさくらは大事な場面での想定外のトラブルにさらに不安になる。

「失礼しました。発表します」

結局何が起きたかは分からなかったが、結果は変わらないようだ。

「京都……」の言葉にまた会場がどよめく。「五条和裁の……トニー、コーエンさん」

「ウォー!」

喜ぶ歓声を周囲からの驚きの声が打ち消す。皆、唯一参加した外国人の男性和裁士の結果に関心を強くもって見守っていたためであった。

ゆきは、結果の発表をひとりで待つ幸が心配でふと会場内を見渡した。幸が下を向いたまま微動だにせずにいる。顔は見えないが膝の上で両手を組み、小さく上下に振っているのが分かる。学校の存続がかかった今回の競技会で、優勝だけを条件付けられた幸のいたたまれない気持ちがその姿に全て表れていた。

そして、幸の前に座るトニーも同じように床を見つめて微動だにしていない。しかし、トニーは優勝を逃したのがよっぽど悔しいのか、幸とは異なり身体全体が震えていて、何か怒りの気配さえするようにゆきには感じられた。

ふたりの心情を察したゆきは、結果の発表が早く終わりふたりを解放してあげて欲しいということを祈るばかりだった。

「ゆきちゃん、ゆきちゃん、どうなるかな? 先生優勝するよね?」

さくらも自分の不安を口にしないと自分がおかしくなりそうだった。優勝出来れば良いが、入賞さえ逃した場合、どんな顔をして幸に話しかければ良いのかを考えたら怖くてたまらなかった。。

「では最後に、優勝の内閣総理大臣賞の発表を行います」

つづく


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