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エッセイ「鉄道員の子育て日記 ⑤平凡なる朝」

 今日は土曜日。週休二日制のおかげで、現在の職場はほぼ全ての土曜が休みである。人間、慣れというものはこわいもので、入社した頃は半ドンの土曜日があったことなど既に忘れてしまっている。

 日頃、小さい子供相手に奮闘を続けてお疲れのせいで、休日はかみさんも気が緩むのか、既に朝も九時近くになろうというのに、いまだ布団の中で惰眠を貪っている最中である。我が輩は休日の朝、何故か早起きをしてしまう癖があり、土曜日の朝の番組はたいして面白くも無いがとりあえずテレビをつけては、新聞の番組欄をチェックしているのである。子供達もかみさんの横でウダウダ、ゴロゴロを楽しんでいる。

 体を動かさなくても腹は減るもので、何か食べるものはないかと冷蔵庫や台所の周辺を物色してみる。最近、近くのコンビニの閉店セールでまとめ買いしたお菓子を見つけたが、子供達の分なので勝手に食べると後からしつこく苦情を言われそうなので、さすがに手をつけられない。子供は、ほんとお菓子のありかや残りの数には敏感である。

 朝食のパンを買いに行こうと子供達に言うと、ふたつ返事で了解された。車ですぐのところにお気に入りのパン屋があり、そこの「明太フランスパン」が今、我が家のマイブームなのである。特に三歳になる娘は、辛党のため、「めんたいふらんすとかれーぱんかう。」ととても積極的である。六歳の息子は我が輩に似て甘党のため、違うパン屋の蒸しパンが言いと主張するが、別方向であることと商店街の中に位置するため車で乗り付けるのが難しく却下した。本人は不服そうである。

 しかし、車に乗ると、ふたりとも既にハイテンションであり、後部座席で飛び跳ねている。そして、どこで覚えたのか知らないが、小さい子供がよくはまる「お下品」な歌をふたりで口ずさむ。正確に書くととても恥ずかしいので割愛するが、お尻の穴からガムテープが出てくるという奇想天外な内容である。この唄を最初に作詞した子供に会って見たいとも少しだけ思う。

 パン屋につくと、道路脇に数台の車が停まっている。近所ではけっこう有名なお店である。お目当ての明太フランスは、既に無く次に焼きあがる時間が表示されている。最近のお店はどこもそうだが子供用に小さなショッピングカートなどが用意してあり、このパン屋にも小さなトングとトレイがおいてあった。子供たちは、ひとりづつ勝手に自分のパンをトレイに入れていく。
 我が輩はお目当てのパンが焼きあがるまで、サービスで置いてあるコーヒーを楽しむことにする。少し前なら、考えなしに無数のパンを取ったり、手で商品のパンを触ったりしないかとハラハラしていたが、最近はかなり行儀良くなってきて余裕で見ていられるようになった。子育てにおける問題は、子供の成長と共に、しつけや勉強や進路など様々なものが生じるのだろうが、今は子供達と一緒にでかけるのがとても楽しい。

 パンが焼きあがった。レジにみんなで並んでいたが、娘が店員のお姉さんに自分の分は別に入れてくれと頼む。息子もすぐに真似をする。どんなに相手が子供であろうと「お客様は神様である。」結局、お姉さんは、ご丁寧にも三つの袋にパンを分けてくれた。スーパーでは袋の減量化を実施しているところがあるのに、パンを買うのに、こうやって二枚も三枚もビニール袋を使うのであれば、ごみ問題はいっこうに出口を見つけられないことになるであろう。親として許してしまったのは反省すべき点である。

 すぐに家に帰ろうかとも思ったが、息子のために商店街のパン屋にも寄ってから帰ることにした。先週の休みに、きつく叱ったことも少し気にかかっていたからだ。車では乗り入れ出来ないので、近くに停めて息子をひとりで買い物に行かせるようにした。最近は、お金の計算も出来るようになり、時々おつかいも頼むようにしている。小雨の降る中、ひとりでパン屋に向かうのを我が輩と娘で車の中から見守ることにした。

 しばらくして、ビニール袋に入った蒸しパンをふたつぶら下げて息子が走って戻ってくるのが車から見ることが出来た。手提げ袋に入ってはいないため、緑と黄色の蒸しパンがひと目で解る。その姿に「ちゃんと出来るようになった。」と我が子の成長を喜んでいた矢先、息子は急ぐあまり手にしていたパンの袋を道に落としてしまった。慌てて拾うその姿には「まだまだだな。」と残念に思う気持ちと、「まだ小さくてかわいいな」とすぐに大きくなって欲しくないと思う気持ちが入り混じる。

「蒸しパンあったよ」と車のドアを開け、自分のお気に入りがあったことに満足しながら息子が報告をする。「はい、おつり」とこちらもご丁寧にビニール袋に入っている。店のひとが入れてくれたのであろう。「よし帰るぞ!」と車を出すと間もなく子供達が話を始める。どうも話は「誰がどのパンを食べるか」ということみたいだが、蒸しパンは息子が落としたためその責任をとってで自分で食べると気の強い妹を相手に言い張っている。「お父さん、僕が落としたからせきにんで僕が食べる」と「セキニン」という言葉を知っていることに少し驚きながらも、息子の話を聞くと「道に落としたパンは、もうおいしくないから二つとも僕が食べる」そうだ。故意かどうか定かでないが、なかなか知能犯ではあるようだ。

 自分の過失で、自分が犠牲となって蒸しパンを全部食べるという論理が気に入ったのか、得意げに主張を続けている。これでは子供の理屈に負けたような感じだ。大人げないかもしれないが何かくやしい。娘にも蒸しパンは行き届かない。ここは親としてちょっと意地悪をすることにした。

「そうか。でも道に落ちたパンはバイキンがついているから、子供が食べたらお腹痛くなるからお父さんがふたつとも食べるよ」と言い返すと「えっ、でも袋に入っていたから汚くないよ」とうろたえて返事をする。間違いなく慌てている。

「だったら、大丈夫だ。おいしいやん。ふたりで分けて食べり」ととどめをさす。
 最近になってふたりとも口がますます達者になっている子供達であるが、説教する立場上、論理的な展開ならまだ子供に負けるわけにはいかない父親の我が輩であった。

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 この話は子供たちが小さな時のある朝のお話。ただ子供たちとパンを買いに行ったときのことですが、こうやってエッセイにすれば、後に読み返したときに、まるで昨日のことのように風景が蘇ります。
 昔、子育て日記から始めた日々の記録を、エッセイ風に書いてみたことから、私の創作活動は始まりました。
 そして、このnoteに出逢ったことで、多くのひとに作品を読んでもらうことが可能になったことに感謝します。


 今、危機にある鉄道の地方ローカル線を応援する目的で創作をしています。よろしければ以下の作品も読んでいただければ幸いです。
 


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