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「私的演劇日記5」

この演劇日記も、早いものでPart5になってしまった。今回は観劇日記である。例によって過去記事は以下の通り。

虹の素「ダーフォの国」を観た。神奈川県立横南高校(横浜にある架空の高校である)を舞台にした青春群像劇の1作で、虹の素12ヶ月連続公演「雨上がりには好きだといって」シリーズの5作目にあたる。ちなみに、タイトルにあるダーフォは造語らしい。

今回の舞台は横南高校の小さな放送室。そして、1日の終わりを静かに彩る星空だ。

7月6日、午後8時ちょうど。日本中の灯りが一斉に消える瞬間。記念すべきこの一瞬に立ち会い、言葉として記録すべく、横南高校の生徒会メンバーは一夜かぎりのラジオ放送を決行する。

青春の1ページを切り取った群像劇ということで、冒頭から軽妙な空気感で物語は進んでいく。舞台がワンシーンということでいい意味での密室感があり、登場人物たちの会話もテンポよく紡がれていき、ほどよい笑いもある。

だが、笑いだけでは終わらない。軽快なテンポでつながれていたはずのセリフはいつしか遠い日の忌まわしき記憶へと結びつき、やがて、押し殺していたはずの感情を呼び起こす。

東日本大震災、卵子凍結、人工授精、過度な競争社会……高校生の瑞々しい感性によって紡がれる言葉はどれもまっすぐで、だからこそどこか痛々しい。その言葉の断片は時として鋭い刃となって社会の不条理に向けられつつ、彼ら自身の心の奥底に重く沈殿する。単なる青春の群像劇で終わらせず、科学文明の闇にまで言葉のメスを入れる軽やかな発想力と筆力には脱帽するしかない。セリフの随所には天文学にまつわるトリビア的な情報がさりげなく散りばめられており、ちょっとした雑学としても楽しめる。実際の公演時間と劇中に流れる時間がぴったりシンクロする構成も見事である。日中にあえて公演を持ってこなかった理由が納得できた。

登場人物によって語られる言葉、エピソードは暗く、重い。しかしながら、彼らには希望がある。「こんな世界でも精一杯生きようよ!」という熱く不器用なメッセージで溢れている。

「とにかく、生きている」

それこそが「雨上がりには好きだといって」シリーズに込められたメッセージではないだろうか。

午後8時ちょうど。会場が静かな闇に包まれて、「ダーフォの国」は終わる。エンディングに流れるアメリカのスタンダードナンバーが心地良い。

「雨上がりには好きだといって」シリーズはまだまだ続く。8月の「オリキュレールの糸」もぜひ観てほしい。


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