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「(親亡き後)という悪夢」

2023年3月3日、大江健三郎氏が亡くなった。

日本を代表する小説家であり、現在もなお文壇の第一線を走る作家の訃報に、海外諸国からも追悼の声が寄せられた。

私自身、大江健三郎氏の著書については高校の現代文の教科書でちらりと触れた程度で、決して熱心な読者というわけではなかったが、それでも、「訃報に触れたら少なからず心がざわつくであろう著名人のひとり」としてぼんやりと認識していた。

私にとって大江健三郎といえば、「大江光氏の父親」という印象のほうが強い。大江光氏は自閉症という障害を持ちながら音楽の天才的な才能に恵まれ、世界的に著名な作曲家としてその名前が知られている。

しかしながら、光氏がどんなに天賦の才能に恵まれていたとしても、大江健三郎氏が亡くなった今となっては、「親亡き後を過ごすことになった障害者」であることに変わりはない。

障害児(者)の両親にとって、あるいは、障害を持つ当事者にとって、「親亡き後」は重大にして切実な問題である。障害の程度が重く、両親への依存度が強いほど、「親亡き後」の持つ意味は重くなる。

重度障害者にとって「親亡き後」は死を意味するかもしれないのだから、冗談抜きに深刻な話である。

だからこそ、障害者を我が子に持つ両親は「親亡き後」を案じるあまり子供を半ば強引に施設に入れたり、家庭内だけで頑なに抱え込んでしまったりする。

あるいは、障害を持つ子を手にかけてしまうことも、決して空想の話ではない。

私の母も、重度の脳性麻痺を持つ私の行く末を心配していたようで、事あるごとに「私があなたよりも先に死んでしまったら……」と、寝言のように繰り返していた。

両親はともに60代後半でまだまだ元気だが、還暦を過ぎたあたりから「親亡き後」をリアルに考えるようになり、実家近くの介護施設に預けることを真剣に検討していたらしい。

大江光氏が父である健三郎氏にどの程度依存していたのか、それはわからない。おそらく、一般的な家庭よりも多くの収入に恵まれているだろうから、少なくとも経済的な意味では、「親亡き後」のハードルはクリアしていると言えるかもしれない。

大江光氏も60代。親亡き後について、あるいは自分自身の死について、どのようにとらえているのだろうか。

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