白いユキ
存命だった頃、大磯の義母がパート先の和菓子屋から貰いうけた子猫を飼い始めた。
全身真っ白なメスで「ユキ」と命名する。猫かわいがりとはよく言ったもので、「ユキちゃん、ユキちゃん」と、実の娘である妻よりも溺愛する風だった。「私にはあんな笑顔、みせたことない」と、立腹していたくらいである。
日中は放し飼いで、玄関先にちょこんと座っていたりする。その姿が愛らしく、道行く誰もが「ユキちゃん」と声をかける。地元のちょっとしたアイドルだったらしい。
その中にネコ好きのライターもいたらしく、あとから新聞のコラムで紹介をされもした。
2000年春、その義母が急死した。大磯の実家には、ユキと義父だけが残される。
義父も”彼女”をかわいがっていたし、せめてもの慰めになるかと思っていたら、しばらくして我が家で引き取ってくれないかと打診がくる。ネコの面倒をみる気力が、とても湧かないというのだ。
その頃はアパートから山間の一軒家に引っ越していたし、飼うこと自体に支障はない。
ただ、僕も妻もペットを飼った経験がない。子供も小さかったし、内心はいろいろと不安もあった。
猫というのは飼い主でなく、家に懐くと聞いている。暮らし馴れた場所からまったく環境の異なる我が家に連れてこられ、ユキ自身のストレスはいかばかりだろう。正直、気が重かった。
義親父さんの気持ちを考えれば、願いをむげに断ることなどできない。受け入れを決め、ユキを迎え入れる準備を始めた。
エサやトイレの砂、飼い方などをネットで探せる時代になるのは、もう少し先だ。
ペットショップの店員と話をしたり、専門誌など買ったりしながら、なんとか体裁を整えた。あとはまぁ、やっていく中で必要に応じて覚えるしかないだろう。
ユキは、義父の車でやってきた。
預かって義父が帰るまでのことは、特に記憶がない。帰ってしまってから、「さて、いよいよだ」と思ったことだけ覚えている。
ネコの表情から気持ちを読みとる芸当なんて、僕には出来ない。それでも不安そうに啼き続ける声が、今も耳に残っている。
まだ幼かった息子と娘が近寄ろうとすると、サッと身をそらし、2階の奥に隠れてしまう。
なんとか階下に連れてきて食事をさせようとするが、すぐに駆け上がり、再び身を潜める。
用意したトイレを使った形跡もないから、どこで用を足したやら。
そんなことを繰り返しながら、1日目の夜は更けていった。
やってきて2日目の午後。何かの都合で開けた玄関のドアから、ユキがものすごい速さで外に飛び出してしまった。
あわてて後を追うが、見回しても姿はない。見ず知らずの土地で、一体どこに行ってしまったか。
それからひたすら、近隣をさがし歩いた。幸い、僕が住む団地内なら住民以外の出入りはないが、下まで降りて通りに出れば、それなりのスピードで車両が行きかっている。どこかで撥ねられていはしないか、気が気でない。見つけてもまた逃げられたりしたら、もう打つ手がない。
夕暮れて、裏手の山に回ってみた。猫の習性がどんなのものかわからないが、そんなに遠くまでは行っていない気がする。
少し上ったところに薪小屋があり、ユキはその暗がりに潜んでいた。僕を見てどうするかと思ったが、「にゃあ」と小さく啼いて、なんの抵抗もせずに腕に抱きかかえられた。
帰宅の道すがら、怒りの感情は湧かず、なぜか申し訳なさばかりを感じている。見つかった安堵感とあたたかいユキの体温を感じているうち、僕の目頭に熱いものがこみ上げてきた。
イラスト hanami🛸AI魔術師の弟子
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