僕の青春①【カナダ編】
こんにちは!Recept代表の中瀬です。
過去を振り返るシリーズです。
英語が好きすぎる
私は昔から英語が大好きで、得意分野の一つでした。
今振り返ると、高校受験も大学受験も英語で突破した面が強いです。
そんな私は大学時代も英語を自主的に勉強していて、洋画を字幕入れながら英語で見たり、オンライン英会話で英語を話す練習をしました。
当時はネイティブの英語を聴きまくって発音を真似して、スマホに自分の声を録音していたのですが、今になってそのデータが出てきて一人で恥ずかしくなっています。
カナダでマーケを勉強することに
そんなことをしていたら実際に海外に行って英語で授業を受けてみたくなりました。
今考えれば他にもいろんな選択肢があるのですが、当時、ブラッドピットに憧れすぎていた面もあり、できるだけ海外でネイティブの人と話したいと思っていました。
私は機械系の学部だったのですが、できるだけスキルとして役に立ちそうでかつ、英語でも勉強しやすそうなことをしたいということで、デジタルマーケティングを海外で学ぶことにしました。
カナダの専門学校でデジタルマーケティングの授業や現地インターンをして、その後、現地企業で就職しようと考えていました。
コロナ到来
カナダへの留学は私にとって、初めての海外でした。
パスポートも初めて取得して、ワクワクドキドキです。
初めてカナダに降り立った時のことは今でも忘れません。
全てが新鮮で、本当に絵本の中に飛び込んだみたいな気持ちでした。
昼は温暖で過ごしやすく、夜はめちゃ寒かったです。
信号機も、家も、学校も、カナダ製のセブンイレブンも、全てがみたことのない物で、私の人生でもトップレベルにワクワクしました。
すると、カナダに入って1週間でコロナが到来しました。
ロックダウン。そして就職難民
コロナなんて大したことないと思っていたのですが、異国の地で、罹ったら死んでしまうのかもしれないと思うととても怖かったです。
さらにカナダはロックダウンして、州を跨いだ移動はできなくなりました。
この時点で私のオーロラを観に行くという一大イベントは姿を消しました。
とは言っても、授業はオンラインで行われます。
就職の前乗りみたいなイメージで、マーケティングのボランティアも行って、旅行系の会社でマーケティング業務のお手伝いをしました。
(結局、マーケティングを勉強したのに、私が一番バリューを発揮したのはExcel作業をpythonで自動化した時でした)
ボランティアを経ていざ現地で就職活動をしたのですが、ほとんどダメでした。
アルバイト並みの給料で買い叩かれるか無償のボランティアしかなく、大したスキルもないカタコト英語の日本人がありつけるホワイトカラーの仕事なんて、ロックダウンしている都市にはありませんでした。
「自分にはこんなに価値がないのか」
「今まで自分の価値は大学の名前だけだったんだ」
そう思いました。
日本ではある程度良い大学で、体育会の部活で主将も務めたことがある。そんなことで周りから評価されることもありました。
カナダに行ってみるとなんて自分は無力なんだ。
ネガティブになったらいかん!ということでとにかく行動しようと思いました。
そして、住んでた家の近くに会社があったので直撃して、社長に直談判したところ雇ってもらえました。
社長は韓国人で、同じアジア人同士仲良くしようやみたいな感じですごく気に入ってもらいました。
就職先は水産工場
私が就職した会社はかまぼこを作っている会社で、私はその工場でひたすらタラを捌きまくっていました。
1日に何百匹のお魚を殺しまくってお金を得ていました。
毎日返り血でビッタビタになっている中、私は思いました。
「これが大卒がやる仕事か?」
そうして、私はカナダで就職するという路線を諦め、日本の企業に就職しようと考えるようになりました。
そこから、カナダで日本の企業の面接を受ける生活が始まりました。
同時に水産工場もやめました。
社長とは仲が良く、作業用の長靴などは買うお金がない・・・みたいな話をしたら社長がお下がりをくれました。
そんな可愛がってた私が辞めるということで、すごい微妙な空気になったのを今でも覚えてます。
この時、awkward(気まずい)という単語を覚え、脳みそにこびりつきました。
経験と紐付けると知識は定着するのですね。
意外に便利な単語なのでぜひ使ってみてください。
次回予告
カナダでの学びを活かし、最大限社会にとって認めてもらえる存在になりたいと思いました。
少なくとも社会人を経験してもう一度、カナダに戻った時に水産工場に就職することにならない程度の力を身につけなければいけないと思いました。
次回は、私の就職活動編です。
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