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またパニック発作を起こした私へ


※暗い記述が多いので、ご覧頂く際にはご注意ください。






うつ病には希死念慮があるという。「死にたい」、「自殺したい」と思うと世間では思われている。

だが、少なくとも私は「死にたい」と思ったことはない。ただ、ずっと「(私なんか)死ねばいいのに」と思っていた。思い続けていた。

2つの考えは、第三者から見れば同じように思えるかもしれない。だが、少なくとも私にとっては大きく違うことだった。


駅のホームに電車が入って来るとき、妄想なのか分からないが、自分が線路に落ちるイメージが浮かんできた。それは一度や二度でなく、毎日、毎回、駅に行くたびにである。駅のホームだけでない。

階段を降りる時に下まで転げ落ちるイメージや、道路で車に轢かれるイメージ、ベランダに出た時に下に落ちるイメージなんかでさえも浮かんできた。


その時私は、「怖い」と思うのだ。自分がそうなってしまいそうで、それが現実味を帯びていることに怯えていたのだ。

要は、「(自分なんか)死ねばいいのに」と心から思っているはずなのに、自発的に死ぬ勇気などなかったのだ。


ただ、ごく稀に自分が死ぬイメージが浮かんでも「怖い」と思わないことがある。自分が死ぬということに何も感じない時がある。


そうして、あとからそれを思い出した時、「その時」の自分が何よりも恐ろしいと思う。

「その時」は妙に冷静なのだ。過呼吸も起こさないし、目眩も立ちくらみも、倦怠感ですらない。

ただ「普通」の私がいて、ただ「自分が死ぬ」ことを恐ろしいと思わないのだ。


ああ、きっと自殺してしまう人は"こう”なのだろうと思う。

死ぬことを恐ろしいと思わなくなった瞬間、自殺ということが何よりも大きな選択肢になってしまうのだと。


そこまで自殺を考えた時、「自殺方法」なんてものを検索する人も多いのではないだろうか。google検索で「自殺 方法」と検索すると『心のけんこう相談ダイヤル』の番号が真っ先に出てくる。


思考の停止した頭で、「まだ自殺しなくてもいいのかもしれない。」そんな儚い思いと共に、そのダイヤルは私を救ってくれるかもしれない。そんな思いで電話すると、「只今回線が混み合っていてかかりません」。電子音の返答が返ってくる。


それがとどめのように、借家で自殺したら、線路に飛び降りたらなんて選択肢が留めなく、思考に溢れてくる。「お前はいらない」そう言われた気がした。

息が上がった、段々と呼吸が早くなった。過呼吸だった。


あの時、何を考えていたかわからない。

そこからの記憶が全くないが、どうやらLINEで妹に電話していたらしい。妙な時間に姉からかかってきた通話に彼女が何を思ったのか、未だにきけていない。


ただ、妹の声を聞いているうちに、目の前が見えてきた。目の前には、一緒に暮らしている小さなチンチラのるいちゃんがいた。


私が死んだとしても、動物好きな家族が可愛がってくれる。そんなことは分かっていた。なんの心配もいらないとしっていた。


それでも、産まれたショップでずっと一緒過ごした店員さんから引き剥がされたこのこは、漸くなれた同居人ともまた、引き剥がされるのかとおもった。


小さくて、いたずら好きで、気まぐれで、食い意地ばかりはっていて、けど姿が見えなくて慌てていると必ず顔を出してくれるこのこの環境を私が勝手に変えてしまうのかと思った。


るいちゃんは真っ黒な目をキラキラされてこちらを見ていた。スマホを触ったとき、ペレットの瓶を倒したのだろう。傍らではからからと音がしていた。


「まだだめだ」そう思ったことだけははっきり覚えている。変な時間に禄に会話も出来ない状態の通話に応じてくれる妹にも、住環境の変化に弱いチンチラのるいちゃんにも、申し訳が立たなかった。


その後姉が家にきて、諸々の手配を行なってくれた。私はあの職場に一度も行かないまま、退職した。


今でも完治には程遠い状況だ。薬は手放せない。夜中悲鳴をあげる上に、外でも過呼吸を起こす。


それでも、1つだけ自分について理解したことがあった。辛いとき、私を追い詰める声はよく聞こえるのだ。そんな場所から救おうとしてくれる声は、逃げ道は聞こえないし、見えなかった。

自ら耳を塞ぎ、目を閉ざした。


2度目のハラスメントをうけたあの時、退職することに納得も同意もしていなかった。

けれど、1度目のハラスメントをうけたあの時、無視した声聞くべきだ。

回らない頭でそれだけは理解していた。


あの場所を離れて暫くして、漸く自分がされたことへの嫌悪や怒りが湧いてきた。それまでは、自分が悪いと思っていたことが、少なくとも、悪いのは自分だけでないと思えるようになった。

責任を逃れるためにすべてをこちらに擦り付けてた彼女達に怒りがわいた。わくことができた。


うつ病になると考えが狭まる。医学的にも認められることらしい。


私がこのまま完治できるかどうかは分からない。もしかすると、また悪化するかもしれない。 だが、2度受けたそれぞれの仕打ちで学んだこと、「味方の声にこそ耳を傾ける」ことを思い出すようにしたいと思う。


今日もパニック発作を起こした私へ

自分の味方が誰か理解すること。

私を追い詰める声はどんなに本人が主張しようと、決して私のためにならないこと。


ちゃんと思い出すことができるように自戒の意味も込めて、ここに記すことにする。

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