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「お金」とは何ぞや?

相変わらず思いつくままに書いてみる。

現代社会は貨幣経済で成り立っていることには異論の余地はない。
まあ極々ミクロな範囲で言えば物物交換で暮らしが成り立っている場所も無くもない。
何から何まで自給自足できるほどのスキルがあるなら、おそらくはお金など無くとも生きていけるのかもしれない。
人間は社会性の生き物である。個々の存在は非常に弱い。だから多様性を持った集団で生活することを選んだ。
「お金」とは、集団内の価値観を統一するためのシステムであり、その実態は幻であると思う。
そもそも「お金」とは物流を円滑に行うための手段でしかない。
基本に立ち返って考えてみる必要があるのではないか?
一万円はただの印刷物であるし、預金残高はただの数字だ。昨今は電子マネーの普及で現金すら手元を通過する機会も少なくなった。
もともと通貨というものは「価値あるもの」を原資として発行されていた。
金貨や銀貨、銅貨などはそれ自体が価値あるものであったし、宝石なども同様である。
それが金本位制を経て、現代社会における変動相場制に移行して久しい。
変動相場制において「価値あるもの」は、その通貨の発行主体の信用である。信用度が高いほど、相対的に価値が上がる。そういう仕組みになっていると自分は理解している。
ここ数か月、円安が進んでいる…というかドルだけが一人勝ち状態で上がっているように思う。中でも相対的に円の価値が下がっている。
これは要するに円の信用度が下がっているということではないのか?
国債残高が1千兆円を超えているから財政再建しなければ…と報道されているけれど、それはその分余計に通貨発行されている証拠であり、その発行された通貨が適切に市場を循環していないから価値が産み出せないのであって、循環する通貨が足りないのならば足りるようになるまで発行すべきではないのか?
まして昨今の状況を鑑みれば、国債残高を増やして通貨発行するだけである。数字の記載だけだし、事務手続きをすれば済む話。新たに紙幣を印刷する必要も貨幣を鋳造する必要もない。
実際、戦後の高度経済成長は雇用の創出と通貨の発行で実現したのだから。
私たちは国民国家という枠組みの中で暮らしており、「勤労」「納税」「教育」の義務を負っている。その代償として国家は国民の暮らしと安全を担保しなければならない。
それを個々人の責任に落とし込んではいけない。

また脈絡のないことを書いてしまった。
もともと何を書こうとしていたんだっけ?
ああ「お金」のことだった。
それ自体には何の価値もないし、ただのデータや数字に過ぎないってなことを書き綴るつもりだったのだが、明後日の方向に行ってしまった。

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