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読書所感#001 Z世代・さとり世代の上司になったら読む本 引っ張ってもついてこない時代の「個性」に寄り添うマネジメント 竹内義春著

概要

本書はベテラン社員(30代・40代≒いわゆる「氷河期世代」)を対象としたものであり、若手社員(20代≒いわゆる「Z世代・さとり世代」)のマネジメントに関して論じている。

概要は以下の通り。

・ベテランと若手では育ってきた時代背景が異なるため、考え方・価値観が異なる。

・お互いが主観的な「解釈」で会話すると噛み合わない。客観的な「事実」を共有すること、齟齬を改善できる。

・「事実」の共有はベテラン側が傾聴スキルを身に着け、コミュニケーション力を向上させることで実現できる。

・若手社員は内発的動機(「〇〇したい」という自発的な欲求)に働きかけることで動かすことができる。

・内発的動機はベテランにも重要であり、筆者含めてベテラン社員には楽しく働くべき。

・ジェネレーションギャップを乗り越えて、ベテランと若手が連携し、チームで大きな成果を出すことで内発的動機は満足できる(みんなが楽しく働ける)。


感想

読む前はタイトルに引っ張られて、「Z世代・さとり世代」特有の会話や思考、それに対する処遇などの記述を勝手に期待してしまっていたが、

・「Z世代・さとり世代」に特化したコミュニケーションの処方箋はない
・「Z世代・さとり世代」にレッテルを貼ることで対立が深まってしまう

という本書中の指摘で目が覚めた。

ネットニュースなどを読んでいると、「Z世代はこんなにも特殊で変わっている」という趣旨の見出しが多く、無意識のうちに身構えてしまっていたようである。

ブログ筆者はいわゆる「氷河期世代」に該当するが、就職活動で困った経験もなく、雇用状態は新卒から一貫して安定している。このように世代の名前に当てはまらない人は相当数存在するだろう。

個人の性格は地域や環境の影響を大きく受けるため、時流は因子の一つでしかないことを肝に銘じておかなければならない。

「〇〇世代」はマスコミ御用達の用語であり、個人レベルの会話で使用するのは失礼であり、不適切であるとも言えよう。

今度入ってくる新人はいわゆるZ世代だ
 →Z世代は扱いがめんどくさくて、理解するのが難しそうだ
  →あんまり深く関わらないでおこう

このような姿勢ではうまくいくものもいかないということである。

本書はコミュニケーションに潜む問題点を指摘し、解決方法も提案している。それらは基本に忠実かつ実践的なメソッドであるため、すぐにでも職場で実践できるものであると言えよう。

実体験を例示しているのも分かりやすくてよかった。

個人的に本書のハイライトは最終章である。

中堅世代が楽しく働けることこそが、これからの時代をつくっていくんだ!

P193

この言葉が刺さった。

というのも、最近、

無味乾燥になりがちな会社員生活で、「楽しさ」をどこに見出すべきなのか

を考えることが多かったからである。

本書を見つけたのも上記がきっかけだったりする。

最終章には内発的動機(「やりがい」や「やりたい」)が「楽しさ」の源泉であり、自分ひとりで頑張るのではなく、チームで仕事をする重要性が説かれている。

チームで成果を出すためには、多様的な人材のポテンシャルを発揮させるコミュニケーション力が必須であり、中堅社員は管理職、リーダーとして頑張って欲しいとエールが送られている。

ポジティブさに勇気づけられた。

会社にはしがらみがあって、いきなり全部を変えられなくても、自分の手が届く範囲から始めて欲しい。

という注釈も、実際の会社員生活を意識した配慮であり、心が軽くなった。


INSIGHT

「氷河期世代」と「Z世代・さとり世代」は結局何が違うのか?

残念ながら、主人公のはずの2世代のみにフォーカスした対比に対する明確な考察は本書には見られない。

本書では「Z世代・さとり世代」は内発的動機を重視し、仕事において「やりがい」、「やりたい」、「能力・個性を生かす」ことに興味を持っていることが書かれている。

この対比として、昇進や昇給といった「外発的動機」が挙げられており、高度経済成長期には特に顕著であったと言及している。

いわゆる、「昔は頑張ったら頑張った分だけ報われた時代だったから、みんなモーレツに働いた」論だが、これは「氷河期世代」には当てはまらない。

下図は日本の1人当たりのGDPと各世代の働き盛り(20~40歳)を重ねて示した。生年は便宜的に世代の中心年を代表としている。

GDPと各世代の働き盛り時期の関係

1990年代半ばまでのGDPの伸びを体感できたのはバブル世代までであり、氷河期世代が働き盛りとなる1996年以降はGDPの伸びは鈍化しており、ゆとり・さとり世代と大差ない。

実際にブログ筆者も「頑張ったら高確率で昇進・昇給」という雰囲気で働いた記憶がない。

「外発的要因」に解を見いだせなかったので、別の視点から考察する。

ブログ筆者は「氷河期世代」と「Z世代・さとり世代」の生い立ちに注目しした。つまり、幼年期にどのような環境下にある傾向があったのかという比較をする。

下図は出生率と双方の生年を重ねて示したものである。生年は便宜的に世代の中心年を代表とする。

出生数とZ・さとり世代

氷河期世代はまだまだ子供が多かった時代だ。上の世代が第二次ベビーブーム世代で、上級生が異様に多かったことが特徴である。

これに対してZ・さとり世代は少子化が進行し、子供の数が相対的に少なく、上級生も下級生も同じくらいの数である。

ブログ筆者が子供の頃を思い出すと、放課後の公園は子供で溢れかえっていた。2人きょうだいは普通で、3人きょうだいも珍しくなかった。そして、圧倒的に上級生が多かった。

当然ネットはなく、ゲーム機も据え置き機がほとんどだったので、外と家で遊ぶのが半々だった。外に遊びに出ると、上級生と関わらずに遊ぶことは不可避な環境だった。

上級生が遊びの場にいると、大小なりの「理不尽」が伴う。

遊具を占拠されたり、順番待ちで後回しにされたり、体格差・知識差で負かされたり、

こういった理不尽が日常でありふれていた。
今思えば苦い思い出も多いが、抗うこともできず、子供ながら仕方がないと割り切っていた。

この状態と比較して、「Z・さとり世代」の幼年期はどうだったか?

おそらく上記のような上級生の「理不尽」を体感する機会が相対的に少なかったのではないかと想像する。
逆にネット上での赤の他人とのやり取りは慣れているのかもしれない。

こういった幼年時代のバックボーンを考慮すると、

・直接対人で上の世代との距離感が計りづらい
・「理不尽」に対する感度が高いので、繊細でショックを受けやすい

こういった傾向があるのではないかと考えた。

本書でも「人口構造」の変化は指摘されているが、前述した「氷河期世代」特有の生い立ちは言及されていない。

上記背景があるがゆえに、本書の内容と併せて、

「氷河期世代」の上司は、「Z・さとり世代」に対して、
自発的に話し易い雰囲気を作らなければならないし、
相手の話をよく聞いて事実ベースで話を進めて、
「理不尽」を感じさせないように努めなければならない

んだと感じた。




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