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この戦争は、どう始まったか -Wikipedia編集者(1)

5月9日 ラジオ・リバティ:

「誰も検閲には屈しない」 戦時中のウィキペディア

ウィキペディアはロスコムナゾール(注:ロシアのメディア検閲機関)の要求に屈さず、この戦争の取材を続けました

このため、同局はウィキペディアをブロックすると脅迫し、裁判所はアメリカのウィキメディア基金に500万ルーブルの罰金を科しました
ロシアのウクライナ侵攻に関する記事作成者であるオレグ・ユナコフに、戦争中のウィキペディアの活動やロシア当局からの圧力について話を聞きました

オレグ・ユナコフ

現在(2022年5月9日)、ウィキペディアは、ロシア人がVPNが無くても読める、「戦争」に関する検閲を受けていない数少ない情報源になっている

ロシアの侵攻に関する最初の記事は、2月24日の早朝に登場し、オレグ・ユナコフによって作成された
初日、この記事は80万回閲覧され、ウェブ・エンサイクロペディアとして記録的な数字となった
さらに翌週には、その記事の閲覧数は500万回に達した
当初は「ロシア・ウクライナ戦争」だったが、後に「ロシアのウクライナ侵攻」と改名している

オレグ・ユナコフ:ソ連時代のキーウで、生粋のキーウ人4世として生まれた
キーウの学校に通った後、海外で2つの大学の学位を取得し次席で卒業
多くのコンピューター・システムの開発に携わった
現在、これらのシステムは、シティバンク、ペプシコ、サノフィ・アベンティス、ファイザー、GEアセットマネジメント、モントリオール銀行などの企業で使用されている
さまざまな国でコンサルタントとしてチームを率い、数々の賞を受賞し、ビジネスシステム構築に関する数多くの社内出版物を執筆
また、著名なWikipedia編集者である

「『戦争《война》』は2014年から続いているのが事実です
ウィキペディアのすべての言語セクションで、これを侵略《вторжение》と呼んでいるのは、この言葉が状況を最も正確に反映しているからです
時間が経って、たとえば印刷された百科事典などに正式名称が現れたりすれれば、記事のタイトルが変更されることもありえます
しかし、今のところ、私たちは利用可能な情報源で仕事をしなければなりません」

ウィキペディアのルール

オレグ・ユナコフは10年以上にわたってウィキペディアを編集しており、当初はウクライナ建築に関する記事を書くためにウィキペディアに参加していた
現在、彼はロシア語版ウィキペディアの仲裁委員会の6人のメンバーの一人だ
仲裁委員会はウィキペディア編集者間での紛争や対立の解決に取り組んでいる

ウィキペディアは誰でも記事を書き、編集することができますが、百科事典の規則を遵守しているかどうかを監視する明確なシステムが存在します
経験を積むと、ウィキペディアのメンバーには「フラグ」が与えられます
 フラグは彼らにさらなる技術的権限を与えるものです

初心者の記事はチェックされなければなりません
これをパトロールと呼びます
ウィキペディアには管理者レベルがあり、権限があれば、たとえば削除された記事を復元することができます
管理者は記事の編集を制限することもできます
これは荒らしが行われたときや編集戦争が起きたときに必要です
ウィキペディアにおける破壊行為とは、挑発的な情報や卑猥な言葉を記事に追加することを指します
編集合戦は、二人の編集者が相反する情報を投稿し始め、互いの編集を取り消すときに起こります
これを止めるために、管理者は記事の編集機能を一時的に停止させることができます

参加者間で、当事者だけでは解決できない紛争が発生した場合、調停者に助けを求めることができます
それでも解決しない場合は、仲裁に頼ることができます
このために、経験豊富な編集者と管理者の中から数名の審査員が選ばれます
ウィキペディアでの紛争を解決するための最高位は、仲裁委員会です
仲裁人は6ヶ月ごとに投票によって選ばれます

「ウィキペディアでは、情報をつくるという点では中央の権威というものはなく、全員が責任者なのです
誰かが匿名で文章を投稿しても、その人は管理者や仲裁者と同じように責任者なのです
管理者や仲裁者には異なる権利がありますが、それは対立を解決するためのものです
ウィキペディアの規則によれば、記事に情報を寄稿する人は、自分で創って寄稿することはできません
どのような情報も、何らかの権威ある情報源を参照するものでなければなりません
そして、ルールに従うという点で、誰もが平等なのです」とユナコフは言います

戦争によるルールの修正

ウクライナ戦争が始まると、ウィキペディア・コミュニティは、ロシア語版ウィキペディアの歴史上かつてない問題に直面しました
そのひとつが、どのような情報源を使ってよいのかという問題です
ウィキペディアにとって、MeduzaとRadio Libertyは権威ある情報源です

「ロシア人とウクライナ人の情報源を、軍事的な出来事を正確にカバーするために使用することを、禁止しなければなりませんでした
彼らは国家の公式見解を反映するためにのみ使用することができます
ロスコムナゾールはロシアで検閲を導入し、多くのメディアがブロックされました
そして、残ったメディアもロスコムナゾールの指示に従わなければなりませんでした

例えば、MeduzaとRadio Libertyは評価の高い情報源ですが、これらのオフィスはロシアにありません
ロシアやウクライナにあるメディアを参照することは、一時的に禁止されています
それは終戦まで続きます

しかし、誰か評価の高い情報源が、ロシアやウクライナの情報を再出版すれば、私たちはその情報をウィキペディアに利用することができます
ここで重要なのは、その情報が再検証されていることで、最終的に虚偽である可能性を大幅に減らせるということです
もし、その情報が真実でないと分かれば、削除されます」

ロシア人とウクライナ人の情報源は、例えば死傷者のデータのように、国の公式声明や立場が反映されていることがあります
この場合、ウィキペディアは国連やイギリス情報局などの第三者によるデータを使用します
「このルールは、時には不合理な点まで達することがあります」とオレグ・ユナコフは続けます

「多くのウクライナ人とロシア人の情報源とコミュニケーションはありました
しかし、それらはすべて禁止されるもので、どれも使うことができませんでした
結局、アルバニア・ポストを情報源にしました
そこのスタッフが情報をチェックしています
情報には何らかの追加的なフィルタリングが必要なのです」

新しいルールを導入して以来、編集合戦は大幅に簡略化されました
現在では、編集者は記事に情報を追加する前に、第三者の情報源を見つけなければなりません
たとえば、ロシアやウクライナの情報源が「何かが爆撃された」と言ったとします
その情報は、第三者の情報源によって確認されるまで、ウィキペディアに入力することができません

ウィキペディアの記事で侵略を特別作戦と呼ぶ試みは、このルールが明記されるまで、かなり頻繁に起こりました
ウィキペディアの記事を長年編集している人たちからさえ、持ち込まれたのです

「しかし、正直なところ、ほとんどの人が何が起こっているのかを完璧に理解していることに驚きました
戦争があり、プロパガンダが全てを事実と異なるものに変えようとしていることを、彼らは理解しています
時々、『特別作戦』に置き換えられることがありますが、これはほとんどなくなりました
どこの国でも『侵略』と呼ばれています
人々は、ロシアが見せようとしているものが、他の国から見えているものと全く違うことを理解し始めています」

「戦う前はさまざまな意見があり、人々は何かを実際よりもよく見せようとしたり、悪く見せようとしたりします
だから、誰かが入ってきて、実情を反映した内容に修正する手助けをするのです
それが第三者意見というものです」

エコー・チェンバー

オレグ・ユナコフによれば、情報空間の分断が顕著になっており、人によって現実をまったく違ったものとして捉えているという
 
「とても簡単な例があります
ルカシェンカのミーム『では、ベラルーシへの攻撃はどこで準備されたのかお見せしましょう』の記事を作りました
毎日、このミームの新バージョンが送られてきて、とても人気となりました
訪問者数の統計を見てみると、毎日4,000人以上の人がこの記事にアクセスしています
これは、特定のフレーズとしてはかなり良い方です
同時に、ロシアからアクセスする多くの人がこのミームを知らないという事実にも直面しました
この記事は、中国語を含む7カ国語で書かれているので、とても不思議でした
とても有名なもののはずですが、ロシアでは情報へのアクセスが制限されているため、聞いたことがない人がいるのかもしれません」

「もうひとつ、こんな例もあります
チェルノバイカの戦闘について記事を作りました
そこでは、ロシア軍はウクライナ部隊に18回も撃退され、多くの兵士が死亡しています
ロシアのテレビ司会者ソロビョフは、番組中でチェルノバイカのことを何も知らないふりをしました」

ソロビョフ

「彼は、チェルノバイカは公式報告書に記載されたことさえないと述べています
この戦争で死んだ将兵のほとんどはチェルノバイカ空港で殺されているのに、ロシアの一部の人々は、情報空間の中でこの村に言及された場面に出会ったことがないのです
そして、同時に、ウクライナではチェルノバイカが歌もになり、『ウクライナ全体がチェルノバイカになった』といった普通名詞として使われたりして、チェルノバイカは人気者になっています」

「つまり、情報空間の分断があるのです
ある情報の流れの中にいる人は、ある現実の反映を見、別の情報の流れの中にいる人は、全く別の現実の反映を見ているのです
私は、プーチン氏がこの作戦を展開したとき、単純に、現実からかけ離れた情報に基づいていた可能性があると考えています
プーチンは本当に2、3日でキエフを占領できると信じていた
そこに多くのナチが存在し、ウクライナ市民がロシアの解放者を支持すると本気で信じていたのです」

「現実を切り離すことは非常に危険です
人はあらゆる情報を見てから判断しなければなりません
そしてロシアでは、ソ連時代からラジオ・リバティーやボイス・オブ・アメリカを妨害し、コインの片側だけを見せようとしてきました」 

ロシア政府からの検閲と弾圧

3月1日、ウィキペディアはロスコムナゾールから最初の通知を受け取った
ロシア検察庁によると、ロシアのウクライナ侵攻に関する記事に、法に反して流布された情報が含まれているというのである
ロシア軍の攻撃でウクライナ市民(子どもを含む)に多数の死傷者が出たという情報が、その批難の対象だった
ウィキペディアはさらに5つの記事についても同様の通告を受け取った
「キーウの戦い」「ロシアのウクライナ侵攻における戦争犯罪」「マリウポリの病院への砲撃」「マリウポリの劇場の破壊」「ブチャの大虐殺」です
ウィキペディアのコミュニティは記事の削除を拒否し、その結果、裁判所は 「不正確な情報」を削除しなかったとしてウィキメディア財団に300万ルーブルの罰金を課した

「私たちは記事を削除しませんでした
なぜなら、誰も検閲に屈服しないからです」
とオレグ・ユナコフは言います

「これは完全な検閲です
すべてはウィキペディアのルールに書かれた通りに行われており、これらの記事はいかなるルールにも反していません
彼らは戦争を特殊作戦と呼ばせたいのです
せめて『平和作戦』と呼んでください
こんなことで平和になるわけがないのです
ウィキペディアのロシア語セクションで、ある国が別の国を爆撃し、戦車を送り、都市を占領し、そこに新しい法律を制定しようとして民間人が死ぬのは、特別作戦ではなく、別の国家に対する公開戦争だと考えられます
たとえ記事の非削除がロシア・ウィキペディアのブロッキングに影響したとしても、ウィキペディアコミュニティの判断が変わることはありません
ロシア語版ウィキペディアは、ロシア出身の人々によってのみ運営されているわけではありません
ロシア語を知っていて、お金をもらわずに自発的に何かを書きたいと思う人々たちがいるのです
彼らは、全世界のロシア語コミュニティが利用できるように、百科事典に情報を詰め込んでいるのです
そして、大多数の人々はロスコムナゾールに屈服することが正しいとは考えていません」

「それに、ブロッキングは回避することも可能です
ロシアはすでにFacebook、Instagram、Twitterをブロックしていますが、人々はそれらを使い続けています
同志ロゴジンは、いまだにTwitterでイーロン・マスクに出会おうとしています
ウィキペディアも同じです
もしブロックされても、人々はそれを読み、記事を書くことができます
問題は、そのような人々の数がかなり少なくなり、ロシアからの編集者の割合が劇的に減少することです」

オレグ・ユナコフによれば、誰もがウィキペディアの仕組みを正確に理解しているというわけではないそうだ
たとえば、ロスコムナゾールはロシアのWikimedia Ru財団に通知を送ったが、この財団はアメリカの財団とは法的なつながりが全くない

「 Wikimedia Ru財団はウィキペディアの代表事務所ではありません
ウィキペディアはどこにも代表事務所を持っていません
ウィキペディアにはどこにも代表事務所はありません
Wikimedia Ru財団は、ウィキペディアとは何の関係もない非営利団体です
ウィキペディアからいかなる資金も受け取っていませんし、ウィキペディアにいかなる影響も与えていません」

「同時に、アメリカのウィキペディアの中央事務局も、どのような情報が入力されるかを検閲することはありません
たとえば、ロシア語版ウィキペディアのコミュニティが、これは戦争ではなく特殊作戦だと決めたとしても、アメリカからはこれを変更する必要があるとは言われないでしょう
ロシアでは、ボスがいて、誰かが決めるということに多くの人が慣れています
誰かが賄賂を受け取って、違うことをするように頼むことができます
ウィキペディアは完全に非中央集権的なプロジェクトであることを、ロシア人達は理解する必要があります
ウィキペディアでのすべての決定は集団的なものであり、いかなる意見にも支配されることはありません」

ロシア軍に関するフェイクに関する法律が採択された後、ウィキペディア編集者たちまでも迫害の脅威にさらされていることが明らかになった
3月10日、匿名テレグラムチャンネル Мракоборец が、ベラルーシのウィキペディア編集者の一人マーク・ベルンシュテインの個人情報を公開したのだ
「この人物は偽の反ロシア資料を配布している」とメッセージを付け、さらに「このチャンネル作者は、現実を歪曲する編集を行った、少なくとも1000人のウィキペディアのメンバー情報を持っている」と主張した
翌日、ベルンシュテインはGUBOPに拘束され、さらにその翌日、裁判所は警察への不服従に関する罪で15日間拘留した

GUBO:ベラルーシ国家安全保障局。市民の誘拐や拷問なども行う治安組織。

その後もマーク・ベルンシュテインは釈放されず、拘置所に入れられたままである
マーク・ベルンシュテインに対して、公共秩序に著しく違反する行為の組織化および準備という罪で裁判が提起されている

また、ベラルーシの別のウィキペディア編集者パヴェル・ペルニコフは、ベラルーシの信用を落とした罪で2年の実刑判決を受けた
ベラルーシの裁判所は、ウィキペディアに「故意に虚偽の情報」を掲載し、ベラルーシの信用を3回失墜させたとして有罪判決を下している

「私たちの誰もが、パヴェル・ペルニコフやマーク・ベルンシュテインのようになる可能性があります」と、オレグ・ユナコフは言う

編集者の匿名性の確保

「デフォルト設定では、記事編集者は全員、変更履歴が残ります
以前、ウィキペディアに個人情報が記載されたのであれば、編集履歴をその人にリンクさせることができるのです
そこで、裁定委員会は数ヶ月前に前例のない決定を下しました
軍事的な話題に関する記事編集の編集者をすべて非表示にしたのです
彼らは編集者のままですが、外部からは見えないようにしました
したがって、今、特定の誰かを非難することはほとんど不可能でしょう
私たちが決定する前に、マークとポールが実行していました
さらに、ウィキペディアの投稿者は、記事を編集するために別の匿名的なアカウントを作成し、投稿者ページから個人データをすべて削除するよう推奨しました
嫌がらせを受けている人は、ウィキメディア財団に連絡して助けを求めることもできます」

「ロシアにいる管理者全員を一時的に制限する価値についても議論されました
私は、それは検閲になるので、できないと言いました
私たちは、一つだけ変更を行いました
チェックユーザーと呼ばれる参加者を作り、誰かがウィキペディアの参加者が規則に違反した場合、そのIPアドレスをチェックすることができるようにしたのです
ロシアのチェックユーザーもいて、彼の善意を疑がったわけではないのですが、仲裁委員会の決定で一時的に彼の権利は剥奪しました
彼を守るためにしたことです
もし、FSBが彼の家にきて、家族を投獄すると脅し、参加者たちのIPアドレスを要求したら、彼は従わざるを得なくなるからです
こうしておけば、終戦まで、彼に脅威はありません
ロシアの管理者は、そのような脅威にさらされずに済みます」

(終わり)

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