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豪州備忘録35日目

今日が出国の予定日だった。そのため飛行機での長距離移動に備えてしっかりと睡眠をとる必要があった。しかし深夜1時ごろに頭に妙な感触があったので目が覚めた。髪をさすって枕元に目をやると、巨大なゴキブリが枕を這っていた。びっくりして完全に目が覚めてしまった。ゴキブリを見たのは久しぶりだし、なんといってもその大きさが桁違いなのだ。オージーサイズとでもいうべき見たことのない大きさのやつがいた。

恐怖と怒りが込み上げてきた。せっかく昨日ソニアおばさんと最後の夕食を共にしてしみじみとした気持ちで寝ていたのに、明日のために寝ないといけないのに、こんな怪物に無遠慮に安息を踏みにじられて許せなかった。殺してやろうと思った。しかしそれと同時に恐ろしくもあった。もし攻撃して逆襲されようものなら一生のトラウマになるだろう。ゴキブリは普通は飛ばないが、危機を感じると羽を動かして初めて自分が飛べると気付くという。もし下手に刺激して部屋中飛び回られようものなら殺す前に私が殺されると思った。私もまた負の感情に支配された化け物だったのである。

私はビーチサンダルを片手に一撃で仕留めるタイミングをうかがっていた。そうしているうちに一時間以上がたった。私はいろいろなことを考えていた。ゴキブリを叩き潰した後でとんでもなく汚くて大きい死骸を処理しなくてはいけないとか、ルームメイトのSさんを起こさないようにしないといけないとか、一匹だけじゃないかもしれないとか。その間にゴキブリは至る所を這いまわっていた。ビニールや紙の上を歩くときは物凄い音を立てるし、挙句の果てには寝ているSさんの体の上にも乗っていた。好き放題するゴキブリを私は許せなかった。何度かビーチサンダルで叩いたが避けられてしまい、やつはベッドの下に引っ込んだ。それからしばらく現れるのを待っていたが現れる気配はなかった。一時休戦である。これでやっと眠れるかと思ってベッドに入ったが、またいつ頭の上に乗ってくるかわかったのもではない。私は部屋の些細な音にも敏感に反応し、眠るどころではなくなってしまっていた。仕方なく私は自分の部屋を離れ、リビングのソファの上で眠ることにした。私は敗北したのだ。時刻はもう午前4時を回っていた。

朝8時くらいにSさんが私をおこした。
「なんでソファで寝てんの?」
「事情があるんです。」私は答えた。そして再び眠りについた。それから1時間くらいしてまたSさんが私を起こしに来た。こんどは焦った様子で
「部屋にデカいゴキブリいるんだけど!」
「それです。」私はそう言った。
どうやらゴキブリはSさんの肌着の上に乗ったまま動かないらしい。私はゴキブリも消耗してきていると思った。今なら殺せる。部屋へ戻ってビーチサンダルを手に取った。Sさんは肌着のことはいいからやつを殺してくれと言った。私は肌着ごとゴキブリをサンダルで叩きつぶした。ゴキブリは逃げようとしたが私の方が早かった。これまでの恨みも込めてサンダルを10回以上は床にたたきつけた。ここまでくると殺すというより粉砕すると言った方が適当だろう。最終的に粉々のゴキブリを肌着で包んでゴミ箱に入れた。これで少しはこの家に貢献できただろうか。そもそも家の窓がところどころ開きっぱなしなのが問題なのだ。

ついに平穏を手に入れた私たちはふとスマホを見て驚いた。なんとフライトが延期されているではないか!それも半日も延期である。後になって分かったことだが飛行機のトラブルがあったようだ。そのため今夜の20時出発だったフライトは明日の朝7時に変更になり、明日は朝3時に起きる羽目になった。ソニアおばさんもびっくりしていた。驚きながらも予定外の一泊の追加と朝3時の空港までの送迎を快く了承してくれたソニアおばさんはやっぱり優しい。

ともあれこの日の午前はゴキブリ駆除と荷物の整理に追われていた。午後はSさんと友人たちと大型のショッピングモールで最後にお土産を買いに行った。昼食はレッドルースターというオーストラリアの至る所にあるフライドチキンとバーガーのチェーン店へ行った。今までなんだかんだで行ってなかったのだ。私は結局お土産は買わなかった。もう十分買っている。

家にはバスで帰った。明日の朝に備えての荷造りを終えて、夕食はチキンカレーをソニアおばさんが作ってくれた。臨時なのにちゃんと夕飯を作ってくれて感謝してもしきれない。そのあと大のラグビー好きのソニアおばさんは近くのスポーツパブにラグビーを観戦に行くと言って、私たちも連れて行ってくれた。ちょうど今日がオーストラリアのラグビー国内リーグでブリスベンのラグビーチームであるブロンコスが準決勝だったのだ。スポーツパブは大賑わいだったが幸いテーブル席が空いていたので座れた。巨大なモニターが正面に見える席でビールを飲みながら試合を観戦した。みんな点数が入るたびに声を上げて大喜びしたり嘆いたりするので楽しかった。地域のラグビー少年たちとも話したが彼らは16歳でタトゥー入れているのでこりゃ敵わないなと思った。

試合はブロンコスの勝ちで気持ちよく帰ることができた。よく考えるとアンガス少年の試合も、テレビで見るラグビーの試合もなかなか応援したチームが勝たなかったので最後に勝てたのはなんというかカタルシスである。夜9時に帰り、眠ったのは10時頃だったと思う。それから3時に目が覚め、空港まで送ってもらった。最後にソニアおばさんにこれまでの感謝をしたためた手紙を渡してお別れした。いい人だったしいい家族だった。また会えればいいと思う。学校の友人たちともまたいつか会いたい。そう思いながら出国した。



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