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冷たい街からやさしい街へ3 一人もとりのこさない 明石市


子どもに冷たい国=日本を変える


ー日本ほど子どもに冷たい国はないーと泉氏は言います。

泉氏の弟さんは先天的に障害がありますが、弟さんの小学校の送迎は小学校5年生であった泉さんがしていました。当時、誰も手を貸してくれる人いなかったそうです。
冷たいまちの空気を感じながら、こんな理不尽な思いをするのは自分も嫌だし他の人にもしてほしくないと思ったのが、やさしい街をつくろうとする泉氏の原点です。

泉氏は弁護士としての仕事もしていますが、様々な問題を抱えた子どもと関わるなか、社会の冷たい現実に何度も何度も接してきたそうです。

明石市がほかの自治体と違うのは、子育ての負担軽減策だけでなく、子どものセーフティネットにも重点を置いて取り組んでいる点で、全国初の取り組みが目立っています。

親を亡くした子ども

両親を亡くして二人だけで暮らす子どもがあり、親権者のない子どもは高校で預かることができないので、退学処分になるということになりました。

それは酷いという事で校長が相談に来たのですが、児童相談所は高校生は担当しないといい、親戚も誰も引き取ろうとはしない、子どもにはお金がかかるからです。

泉氏が裁判所に相談し、未成年後見人になり法律事務所の裏のアパートに住まわせ成人するまで面倒をみたそうです。

個別救済には限界があります。
社会全体で支える仕組みをつくっていかなければと泉氏は思ったそうです。
この例は氷山の一角にすぎず、現行の行政の仕組みから零れ落ちてしまう例はたくさんあります。

離婚後の子どもへの養育支援

離婚後の子ども達への対応にも、日本社会の冷たさが典型的に表れていると言います。
弁護士も裁判所も支援が必要な子ども達に関心を持たないでいるのが現状です。

少し引用をします。

調べてみると、そんな国は、いわゆる先進国の中では日本だけでした。
他の国では離婚の時に、行政か裁判所が、子どもの生活に昇進が責任を持ち続けられるかどうかチェックしています。

養育費確保の制度も設けられ、行政が養育費を立て替え払いしたり、取り立ても行っています。養育費を給与から天引きする国や、支払わなければ運転免許証を停止、収監する国もあるのです。

子どものまちのつくり方 明石の挑戦

明石市では、離婚後の養育支援については2014年に議会の全会一致の承諾を得てスタートしました。
メディアによって取り上げられ全国に広まっています。

明石市では離婚や別居に伴う養育費の取り決めや親子の面会交流などのサポートがあります。

養育費を払うべき親(多くは元夫)は市から請求されると支払う人が多いとのことです。

(私自身の経験からもそうだろうと思います。
 元夫も最初の2,3か月は払いましたがその後は払ってくれませんでした。元公務員、しかも元教師の夫ですら自発的な支払いは続きませんでした。役所からの請求があったのなら支払ったと思います。)

無戸籍者への支援

離婚調停や訴訟が長引くことにより、子どもが戸籍のない状態に、
出生届が行われなかったために戸籍に記載されていない子どもが存在します。

2014年に明石市独自で無戸籍者のために相談窓口を開設し、養育、就学など生活支援や教育支援を含めた総合的支援を実施し、戸籍がない場合でも多くの行政サービスを受けることができます。

児童扶養手当の毎月支給

児童扶養手当は年3回まとまって支給されますが、明石市では貸付金として毎月支給とし、4か月ごとの本来の支給日に返済してもらう方法です。

2019年から年6回の奇数月支給となりました。

私自身、年3回支払いの国の制度は大変不満でした。
月給、光熱水費、すべて月単位で請求されるのになぜ手当が年3回なのでしょうか?
当時はこのような事は言えませんでした。
生きるのに必死だったこともありますし、貰っているだけありがたいと思えとかえってくることは容易に想像できましたから。
それなりに働いていた時期もあり税金も年金も納めてきたのにシングルになった途端、半人前・お荷物のように扱われているように感じました。
今は冷たく扱われる当事者の体験をしたことは良かったと思っていますが、すべてのことに余裕のなかった当時は辛かったです。
離婚したことは後悔していませんし、20年余り経過した今、自分の決断は間違っていなかったと思っています。
話を戻します。

気づきの拠点・子ども食堂を全小学校区に

子ども食堂は単にご飯を食べるだけでなく、子どもが発するSOSに気付きやすい場所です。
子どもが歩いていける範囲の場所になければ子供が自力で歩いていくことはできません。

運営は地域の方々、ボランティアの方々が中心となり市は助成金で応援しています。
開設する場所がなければ公民館、小学校の家庭か教室、高齢者のデイサービス施設を夕方に開放している場合もあります。
子ども食堂は地域の支援者の育成の場所でもあり、里親の普及にも関係します。

子ども食堂は後にあらゆる世代が利用できる「みんな食堂」になりました。

児童養護施設はまちなかに

児童養護施設の多くは辺鄙な場所に設置されていますが、明石市は街中に作ることでクラスメイトが遊びに来たり、地域の方との交流があります。

施設の中で親子で暮らせる部屋があり、いきなり分離しない、また一時保護の後の帰宅前など親子の様子をみる等、中間的支援もしています。

児童相談所をまちづくりのシンボルに

明石市の児童相談所はJR駅の真ん前にあり、職員は国の決めた定員数の2倍です。
多くの自治体では実際に児童虐待に関わっている職員はパートタイムの家庭児童相談員が多いのが現状です。

明石市は弁護士、児童福祉士・児童心理士などの専門資格を持つ職員、また一般職からも自主的な希望を出した職員を配置しています。

ここまで手厚くするのに泉氏は 「そうしないと子どもがしんでしまうから」と言います。
「助けられる子どもの命を助けずして、何のために市長をしているのか」
とも言います。
警察とも連携を取ったうえで、1名は児童相談所に常駐しています。

児童虐待は単に親を叱って解決、が虐待する親を懲らしめる、分離して隔離したらいいという問題ではなく、心の傷ついた子どもが、その後どのように育っていくのかを視野に入れたフォローが必要です。

子どもの頃に受けた虐待の経験から、将来結婚した後に精神が不安定になりお金に困っているわけではないのに窃盗を繰り返すパーソナリティ障害が影響している事件なども弁護士時代に数多く対応してきました。

子どもの頃に愛情と栄養が行き届いていないと、本人が制御できないような精神状態になり、様々な社会的リスクを伴うことがあります。
これは地域にとってもリスクであり、早い段階でしっかりと社会が向き合うべき問題です。

そのことに日本社会はあまりにも目を瞑りすぎてきました。
対処療法的に目の前の児童虐待を止めればいいだけでなく、事情ある子どもが大人になり、家庭を築き、自立して生きていけるところまで、総合的にフォーローする必要があります。

対症療法的な対応だけでなく、自立して生きていけるところまでフォローする必要がある

子どものまちのつくり方 明石市の挑戦


冤罪事件の多くは親が子供を見捨てたことによって起きている


私は弁護士時代、刑事弁護の際に、たとえ家族、親族全員が疑っても、自分だけは被疑者本人を最後まで信じようといつも思っていました。
本人が「僕、やってません」と言っているのに、親の方が子どもを信用しきれずに、先に「すいません、うちの子、嘘ついています」と言ってきたりもしました。
それでも弁護士の自分だけは本人を信じようと思っていました。

(中略)

何故なら冤罪事件の多くは、親が子どもを見捨てたことによって起きているからです。
親が「正直に言いなさい」と言った瞬間に親に見捨てられたことに絶望し、やってもいない虚偽の自白をしてしまったりすることもあるからです。
一生取り返しのつかない冤罪のいくつかはこうして起きてきました。

子どもにとって最後まで見捨てない誰かがいる、最後まで愛情を注ぐ人間がいるという事は、大きな支えです。
たとえ、親が見捨てても、明石市だけは見捨てない。例え、親が愛情を注がなくても明石市だけは注ぎ続ける。
その愛情が報われずに裏切られることになったっとしても、注ぎ続けるというメッセージを伝えることは、きっとその子どもにとって意味があるだろうと本気でそう思っています。

子どものまちのつくり方 明石市のの挑戦

子どもは未来


明石市のセーフティネットについて書いてきました。
縦割り行政のはざまでこぼれ落ちてしまう子どもを何とか救おうと努力してこられた泉氏の行動に感銘を受けました。

子どもに冷たい国 子どもを親の持ち物のように扱う日本
個々の親御さん、又かかわる養育者、教育者、そのほか週の方はは子どもに愛を持って接しておられる方の方が多いだろうと希望をもって考えています。

けれど、社会としての日本は子どもに冷たい と思います。
どんな両親(片親・養育者)のもとに生まれても、愛情のある養育、温かい食事、本人が望む教育にアクセスできる権利が子どもにはあってよいと思います。

その子どもの権利があるのが当たり前だよね と言える日が来て欲しいと願います。

泉氏はどんなにセーフティネットを構築して、職員が頑張っても、それでも救えないこともあると言います。

けれども、逆に多くの場合は環境が改善され、よりよい環境で子どもが過ごすことができるようになっています。

明石市では里親100%プロジェクトも行っています。
児童相談所で一時保護した子どもで親の元に帰るのは半分程度、残り半分近くの子ども達は親元を離れ別の空間で暮らしていくことになります。

諸外国では里親のもとで育てられることが多いのですが、日本では1割程度です。
住宅事情や日本の伝統的な血縁主義的な考え方などもあるでしょう。
それに経済事情もあるでしょう。

過去の日本の税収は71兆円です。
3年連続の70兆円超です。

国民から集めた税をどのように使うか、政治家の手腕の発揮するところです。
今の日本は子どものある家庭で極端に例えたら、過去最高の給料をもらいながら超高級車にお金をつぎ込んで、子どもにはひもじい思いをさせているようなものかもしれません。

経済学者はいろいろな立場の人がいろいろなことを言いますが、リアルな生活者の日常は年々厳しいと感じる人の方が多いでしょう。

どん詰まりの閉塞感すら感じる状況から新たな未来への希望が生まれることを期待します。
このような時だからこそ、人の優しさや愛情を感じる言動、前向きな言動がとてもうれしいと感じます。







自分の実体験をもとに書いています。 悩むことも迷うことも多かった、楽しんできたことも多いにあった 山あり、谷あり、がけっぷちあり、お花畑あり、 人生半分以上過ぎたけど、好奇心はそのままに 何でも楽しむ気ありありです。よろしく!!