見出し画像

冷たい街からやさしい街へ2 明石市の挑戦 

 全国のどこの町にもみられるように過去の明石市も人口減少が続き、駅前の商店街はこれもどこの地方の町にもあるようにシャッターが目立っていました。

2011年市民の後押しにより、69票という僅差で選挙に勝利した泉房穂氏は、困っている人を誰一人置き去りにしない、みんなでみんなを支える持続可能な街づくりを目指して自治体経営のあり方を変えていきました。

その結果、地方都市異例の6年連続の人口増加、交流人口(観光などの来訪者など)出生数の増加 税収の増加、地域経済の向上、5つのV字回復に転じました。

前回記事と重なる部分もありますが、今回は子ども世策を詳しく書いていきます。

前回記事


すべての子どもを対象に社会全体で

所得制限をしないことで分断を生まない、無駄なエネルギーを使わない

明石市は高校3年生まで医療費無料化をはじめとした5つの無料化施策を書きました。どれも所得制限はありません。

明石市は全ての子どもを対象にしていることが、従来の子ども支援政策とは違って突き抜けているところです。
子どもの貧困がクローズアップされて、ひとり親家庭など低所得世帯の貧困対策が社会問題になっています。
元明石市長泉氏は貧困対策をするつもりはないといいます。

所得制限を設け対象を絞った対策では子どもが線引きされ、ボーダーラインでこぼれ落ちてしまう子どもが出ること、貧困の烙印を押されて傷つく子どももいるだろう、そしてどこで線引きをするのかという無駄な議論にエネルギーを費やすことになるからです。

さらに今の時代に必要なのは、子ども自身に焦点を当てた支援をすることだと主張します。
もし所得制限をするというなら、子ども自身にしてほしいと。
そうすれば子どもの収入は有名な子役などの以外 収入はゼロです。

親と子どもの収入を一緒に考えるのではなく、分けて考える、それが子ども自身に焦点を当てた支援の考え方です。

子どもは親の持ち物ではない

「子どもは親の持ち物ではない」この捉え方は子育て施策、これからの未来の社会に向けて大切なところだと思います。

以下「子どものまちのつくり方」明石市の挑戦 から引用をします。

日本社会の悪しき風習で、法は家庭に入らずという考え方があります。
昔のままの家族任せ、親任せでは、子どもは親の持ち物になりがちです。

日本社会ではいまだに子どもが人格ある主体として扱われていません。

子どもを保護する児童相談所にしても、親の同意がなければ虐待から救う事が困難なのが現状です。
児童虐待では、子どもの最大の敵が親である、という理不尽に社会がどう向き合うかが問われています。

簡単に同意が得られず、親が悪いから仕方ないと靄の責任で済ませてしまうなら行政が存在する意義はありません。

親も悪意からでなく、よかれと思って子どもの社会参加を阻んでしまうこともあります。その悪循環を断ち、行政がどうかかわるかが問題なのです。

 子どもは親の持ち物ではありません。

親の意思で自由にできるものではなく、子どもの人生を親が勝手に決めていいわけでもありません。子どもの人生は、子ども自身が決めるものです。

子どもはみんな、何らかの支援なくしては生きていけない存在です。家族の中だけで完結させるのではなく、行政、地域、まちを挙げて子どもをしっかり支えていく必要があります。
 「子どもが大事」と口では言いますが、日本社会はいまだに方向転換ができていません。
すべての子どもたちに行政が責任を持つ、とまでいかず、家族に対して重すぎる責任を負わせ続けています。

子どものまちのつくり方 明石市の挑戦

子育てには愛情、世話などの手間も労力も費用もかかります。
経済的に豊かだからといって子育てが楽かと言えばそんなことはないと思います。
経済的豊かさが有利に働くことはあるかもしれませんが、それが全てではないでしょう。
子どもは親の持ち物という思い込み=社会的通念があるかぎり、親の所得などによる経済的環境が子どもにとって良い環境には直結しないと思います。

所得制限をしない世策、子どもを親の収入などで分け隔てしない施策は本気で子供を応援するものだと思います。

保育は質も量も担保

2018年の時点で明石市の待機児童は571人、保育料無料化に伴い若い世代の爆発的増加で、保育園、小学校の教室も足りない状況になりました。

その後、1000人規模で受け入れを増やし現在の待機児童数は44人となっています。(明石市 HP 待機児童数)

保育所の環境についてまた少し引用します。

保育所は荷物を預けて鍵を閉めておくコインロッカーではないのです。
子どもは荷物でありません。
命ある人格ある主体です。
保育所は、建物も、人も、子どもにとってより良い空間であるべきです。
「暗い」「狭い」「うるさい」施設ではダメです。基準を緩和せず、しっかりとした環境を確保しています。

子どものまちのつくり方 明石市の挑戦

保育士も単なる数合わせではなく、保育士相互サポートセンターを開設、就労支援コーディネーターがサポートする体制を整え、待遇改善の助成、採用後も毎年20万円の一時金、7年間で150万円の支給、保育士宿舎の借り上げの家賃補助、キャリアアップのための研修の実施と質の担保と向上にも力を入れています。

小学校1年生の30人学級の導入

小学校1年生は保育所、幼稚園、在宅のそれぞれのルートから入学してくるので、いきなりの集団生活はかなり大変です。
明石では市の負担で学校の先生を雇い、30人学級を実施。
国は35人を40人にする方向ですから逆の方向です。

ヨーロッパなどでは1980年ごろから20人、30人学級です。

母子手帳交付時に面談 すべての子どもの育ちを支援

母子健康手帳の交付時に全員と面談は、お腹の中の胎児に面談しているという事で、市役所に来てくれた人だけではなく来ない人には家庭訪問をするなど、だれひとり取り残さないという明石市の市政がここにも表れています。

幼児健康診査を受けていない子どもには職員が直接訪問して100%必ず会うようにしているということ。
ネグレクトや虐待のリスクがありそうなケースを早期発見、早期解決につながります。

子どもがまちの発展に

子育て支援の拠点として、明石駅前には屋内大型遊具がそろった子どもの遊び場「ハレハレ」・子育て支援センターと図書館があります。
アクセスの良い場所に子育て支援の拠点を作ることで利用しやすくなっています。
無料ということで、その分の浮いたお金が食事や子どもの服などにまわり、周辺の商店街も潤います。

本のまちとしての顔

子育て支援センターや図書館が入った明石駅前のビルには大型民間書店のジュンク堂書店も入っています。
子育て支援センターの中にも絵本がおいてあり、ビル全体が本の空間になっています。

当初、この駅前の一等地の大型ビルの計画案はそうではありませんでした。
再開発の計画段階で最初に外されたのが、大型書店でした。
本屋は床単価が安くて採算が合わなという理由で、有力なのはサラ金、パチンコ、ゲームセンターなど、床単価の高いテナントでした。

幸い、着工前に市長になった泉氏は強い反対もあったのですが、図書館の専門家の「ともに人気が高まりますからお勧めします」との意見に自信を持って進め、図書館と大型書店の両方が共存する方向に舵を取りました。

図書館の蔵書数60万冊、ジュンク堂書店は約40万冊と大型の施設と店舗が同居する場所となり、互いも蔵書も検索できるようになっています。
どうしても読みたい本が図書館で貸し出し中であれば検索して書店で買うことができ、逆に書店で品切れや絶版の本でも図書館にあればすぐ借りることができます。
結果、本好きが集まる空間になり相乗効果も上がっているようです。

図書館の司書の対応も子どもには感想を聞いたり、次の読む本を提案したり、市民の調べものについても丁寧に対応しているそうです。

このような図書館に来る市民の層は広く、子ども,おかあさん、サラリーマン、お孫さんを連れたおじいちゃん、おばあちゃん、通学の帰りの学生、仕事帰りの方など多様で、利用者の年齢層も幅広いとのことです。

移動図書館も2台あり、病院、高齢者施設、子ども食堂にも出向いています。

(子ども食堂については次回に書きます。)

きめ細やかな支援ができるのは?

私はすでに子どもも育ちあがってしまったのですが、ここまでの支援が実現している明石市がとてもうらやましいと感じてしまいました(^-^;

本好きでもありますし、子連れで無料で遊べ、本に触れる機会もたくさんあるなんて幸せすぎます。
小さい子を連れていると出かけられる場所は限られます。
いろいろ気にせずに出かけられる場所があるというのはとてもいいです。
支援センターも同じ場所にあるので困ったことは相談もできます。

こんな町だったら、私の希望であった障害を持った子ども達の教育や支援に関わり続けられたかな~(*^_^*)という想いも持ちました。

泉氏の施策には私が障害児に関わる仕事をしていた頃、結婚し共働きをしていた頃、仕事を断念したころ、子育ての頃に「こうであったらよいのにな」「こういうのあったらいいな」と願ったことがほぼすべて含まれています。

自分の子育て中には叶わなかった望みだけれど、明石市ではその願いが叶っています。
きっと私の他にも過去のいろいろな人がいろいろな機会に望んだ願いが叶っているのだと思います。

では、このようなきめ細やかな支援ができた背景を探っていきたいと思います。

なんと言っても、明石市の元市長の泉房穂氏の信念が大きいと思います。

10歳の頃市長になって明石を冷たい町ではなく優しいまちにすると決心したというのは前記事で書きました。

泉氏は猛勉強して奨学金などを受けて東京大学に入学し、教育学部で教育哲学を学んでいます。
当初は経済学部だったようですが、途中から教育学部に移ったようです。

在学時にヨーロッパなどの諸外国の教育の事情などを知り、日本では子どもの教育や支援に予算が極端に少なく、このままでは日本はダメになると強く思ったそうです。

その思いは不幸にも的中し、日本は少子化と30年間の経済停滞、もはや先進国とよべる状況ではなくなりつつあります。

泉さんは還暦ですから学生時代は40年くらい前ですが、その頃からすでに予感していたことになります。

私自身も大学生だった時期と重なっていますが、そこまでの先見は持っていませんでした。

ただ、障害児教育に関わっていたこともあり、日本では家族の負担が重すぎることはとても感じていました。

子育ての負担を家族に丸投げしている状況のなか、親、特に家庭のことは女性という役割分担意識の強い日本では母親に過度の負担が重くのしかかっていました。

私が泉氏の思いや信念に一番感動しているのは、子どもは親の持ち物ではない と言い切ってくれるところです。

そのことが子ども自身に焦点を当てた支援 につながっていくところです。

子どものことを全て親・家族の責任に押し付けてしまうのでは、分断や差別が生まれてしまいます。

泉氏は子育て支援を市の人口を増やそうと思ってやったことではないと言います。

だれ一人取り残さない優しいまちづくりを目指してやってきて、結果として人口が増え、経済が活性化したのです。

結婚するのもしないのも自由、子どもを産むのも産まないのも自由だけれど、産みたい人が産めない状況は政治の力で変えていかなければいけないといいます。

産みたいのに産めないは我慢や断念になります。
そうしなくていい状況をつくろうということですね。
産みたいという望みが叶うまちになったいうことになります。

泉氏は明石で実績を作ったことで、他の場所でもできると言います。
地方により特色に違いがありますが、その特色に合わせながら自分の町なりの支援策ができるといいます。

また、泉氏は今の日本は変革の時期といいます。

苦しい時期でもありますが、それは逆に大きく変わるチャンスでもあると思います。
古い仕組みがほころび始めている、そんな感じもします。
今までできなかったからといっていろいろなことを諦めなくていいと思います。

私たちはいつも同じではいられません。
変化していくことの方が普通なのですから

続く






自分の実体験をもとに書いています。 悩むことも迷うことも多かった、楽しんできたことも多いにあった 山あり、谷あり、がけっぷちあり、お花畑あり、 人生半分以上過ぎたけど、好奇心はそのままに 何でも楽しむ気ありありです。よろしく!!