動機

 芥川龍之介編『近代日本文藝讀本』を入手してから、2年ばかり積読したままだったので、いい加減読もうと思う。でも、ただ読むだけでは代わり映えしないし、どうせ読まなくなること請け合いなので、読んだ感想なり何なりを備忘録代わりに書いてみることにする。

 さて、読むにあたり、本の情報は以下になる。全5集、総勢148篇の作品をおさめたこれらが発行されたのは大正14年11月8日(第一集)とのこと。芥川が編纂を依頼されたのが、2年前の大正12年9月1日__関東大震災の当日だと述べており(「近代日本文藝讀本」緣起より)、2023年からちょうど100年前ということになる。芥川、31歳の仕事であり、編纂にあたっては泉鏡花、久米正雄、菊池寛、広津和郎ほか錚々たる顔ぶれに、思いがけず感動した。私は鏡花が好きなので、なんとなく嬉しいと同時に、芥川と同時代人だったかと驚く。鏡花のほうが若そうな気がしたからだ。実際は鏡花のほうが19年年上(明治6年生)であり、文体も鏡花のほうが古文らしく、芥川の文体はどう考えても明治以降のものだ。そういえば芥川の葬儀にて、泉鏡花が号泣していたとかいう記述をみたことがあった気がする。

 精力的に活動していた文豪の急死、それも自殺のショックは大きく、のちの小説家に少なからぬ影響を与えた。彼の死については、近代文学を読み解く上では気に留めておいて損はない。とはいえ、本書は芥川ご存命なので、震災以降の(現代にもつながるであろう)「ぼんやりとした不安」の欠片くらいは見え隠れするかもしれないですね。

 諸作品のまえに、さきに引用した「「近代日本文藝讀本」緣起」が結構おもしろかったので、余談がてら。芥川じしんは、編纂の依頼を「やつて見ても好い」と軽く受けたらしい。しかしながら、ここまで大きな仕事になるとは思っていなかったようで、「如何に安請け合ひの自他ともに苦しめるかを僕自身末代までも忘れざらんことを期する爲」に序文(緣起)を書いたという。末筆にこれを書くのだから、相当難儀したのだろう。かわいそう。「末代までも忘れざらん」という本人が、依頼を受けた4年後には鬼籍に入ったのは言うまでもないが、未だ根に持っているのかどうか、真実は藪の中……どころか、神さえもわかるまい。

 最後に、本作は一篇一人でなしに、一篇一作家という収録方法だそう。よくわからんが、「小説家A」と「批評家A」は区別するみたいなことらしい。となると、同じ作家はほとんど出てこないわけだ。すこし寂しい気もするが、とりあえず読みすすめてみよう。私自身も「安請け合ひ」にならねばいいが。

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