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はじめての隔離生活③細胞が暴れてますの巻

「インフルエンザA型」に罹患した私。

今回は、発熱外来でインフルと判明してからのお話しです。

検査結果を見落とされかけたのですが、その時はもうただただ“しんどい”の一言で、早く帰りたいの一心。

ピークを過ぎた今こうやって冷静に考えてみると、色んなことを思うわけです。

ひとつは、間違われたことに対しての詫びがなかったこと。

医師からも、その前に『マイナスでしたよ〜』って笑顔で伝えてくれた看護師からも。

そして、そもそも院内の診察室に入れて良かったのか?ということ。

そして何より診察が雑だったということ。

前回発熱した7月には、担当医師は非常に丁寧な診察をしてくれました。

今回の医師は、症状どころか既往歴や内服薬の内容も確認しませんでした。

今思えばこんな怖いことはないですよね。

カルテの書き方にはルールがあります。

私の顔も見ずにパチパチ打っていた医師。

ほとんど何も話してないのに、一体何を書き込んだのでしょうね(カルテ開示をしてもらいたいくらいだわ)。

検査結果を伝え間違えたのも、れっきとしたヒヤリハット事例。

報告書あげるかな?

いや100%あげていないでしょうね。笑

そんなこんなで病院をあとにし、またフラフラ運転(行きよりもさらにロースピード)でかかりつけの調剤薬局へ行き、初めてのお薬『イナビル』を処方されました。

薬剤師さんの説明を受けたあと「ここで使っていきますか?」と聞かれ、やり方もわからなかったのでお願いしました。

1本で4回、それを大人は2本吸入。

そのあと同じ薬局でアクエリアスを買おうと思いレジに並びましたが、前のおばさまが大量購入されていて、なかなか進まず。

店員さんがレジ応援を呼び出してくれましたがなぜか来てくれず、アクエリ持ったままぶっ倒れるかと思いました。泣

そこからまた自転車でなんとか帰り着き、ベッドに雪崩込みしばらく動けず。。

インフルは発熱の翌日から5日間は移る可能性があるらしいので、これはこのままではいかん、と長女に LINE で相談。

その日母はデイサービス。

週3デイへ通っていて、ドアツードアでヘルパーさんが送り迎えをしてくれます。

頭もまだしっかりしている方なので、お留守番も出来ます。

なので、母を預かってもらうのではなく、私を長女の家の一部屋に隔離してもらうことにしました。

幸いなことに長女がもう産休に入っていたので、すぐに対応してくれて。

なるだけ母と接触せずに出たかったので、帰ってくる夕方までに、私も重い体を引きずりながら準備を。

でもね、本当にダメージ強くてね。

体力ないんですよねー。
高熱のあとは特に。

少し動いては寝転び、また動いては寝転びを何回繰り返したことでしょう。

必要な持ち物を準備し、家中のゴミを全て片付けて、マンションのゴミ置き場へ移し、自分が触ったであろう箇所を全て消毒し、布団やカーテンに消毒スプレー振り撒いて、ぎりぎりセーフで家を出ました。

長女もちゃんとこの短時間で一部屋を私専用に準備してくれて、お布団とイスとミニテーブルとテレビの設置までしてくれてまして、もう本当に感謝。

妊婦さんなのに無理させちゃったかも。
ごめんね。

帰宅したであろう時間に母に電話で報告。

驚いてました。

「入院したかと思った」と。笑

母は症状なく過ごせているようで、ひとまずやれやれ。

食事のことや飲みもののことなどひととおり伝え、なにか変わったことがあればすぐ電話するよう伝えました。

あと長女家族にも絶対移さないようにしないと!

特に妊婦さんに移すわけにいかないので、完全引きこもり決定です。笑

薬の副作用なのか、その日の夜は頭痛と嘔気がほんの少し。

ただ熱がグッと下がったのは事実。

『イナビル』すげー。

しかし!
なぜかその晩全く眠れなくなるという…。

お布団が変わったせいもあるのでしょうが。

熱がかなり下がり、体もずいぶん楽になり、それまでほとんど眠れてなかった私。

『今夜は熟睡できるぞー!』と喜び勇んでお布団に入ったのに…。

なんというか、私の細胞が暴れているというか。闘っているというか。笑

まさに「インフルウイルス vs イナビル」。

がんばれーイナビルー。
がんばれー私の細胞ー。

なんて言ってる場合じゃないんです。

生まれてはじめての隔離生活。

さてこのあとどうなったのでしょうか。

続きは次回へ。。



最後までお読みいただき有難うございました♪

ではまた。        Tomoka (❛ ∇ ❛✿)

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