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作家 長月達平の「#蓮ノ空感想文」-第2〜6話編-

『作家 長月 達平の「#蓮ノ空感想文」』とは?
ライトノベル作家である長月達平 氏が、『蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ』(蓮ノ空)の活動やスクールアイドル応援アプリ「Link!Like!ラブライブ!」(リンクラ)についてアツく語る、『ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ』公式noteと長月達平 氏との投稿企画です。複数回にわたりお届けする企画となっており、今回はその第3回目の感想文となります。どうぞお見逃しなく!スキもぜひお願いします!

作家 長月達平の「#蓮ノ空感想文」-初心者編- はコチラ
作家 長月達平の「#蓮ノ空感想文」-第1話編- はコチラ



■前書き

 前回、『Link!Like!ラブライブ!』(以下、リンクラ)の魅力に触れるにあたり、台詞に注目して第1話の感想を述べさせてもらった。自分としては改めてリンクラの『活動記録』を振り返ったことで、あれもこれもと様々な魅力を再発見できて役得だな? と思った次第なのだが、いかんせん楽しみすぎて進捗が悪すぎた。
 これではいくら書いても、依頼されている範囲を書き切るのに辿り着けない。
 そこで今回からは心を鬼にして、エピソードをある程度まとめながら、自分の筆力の全力で『蓮ノ空のこと好き好きクラブのみなさん』の意地を見せたいと思う。
 そのため、今回は第2話から第6話のお話――自分の中では『スリーズブーケ編』と『DOLLCHESTRA編』と呼んでいるお話に的を絞って、感想に着手させていただく所存である。


■第2話『ダメダメ→世界一!?』

『ボクたちは先輩だけど、先輩としてはまだ、一年生なんだから』

 さて、順を追って第2話の内容から話し始めたいところではあるが、この第2話の中で飛び出すこの綴理の台詞こそが、今回の感想の対象である2話から6話のお話のテーマそのものであり、ある意味ではこの一年間の『活動記録』の総括でもある。
 言うまでもなく、スクールアイドルの活躍を描いた『ラブライブ!』というシリーズは学校生活を舞台としたものだ。そこには学年という区分があり、メンバーたちには先輩や後輩、同級生といった関係性の枠組みがある。このリンクラにおいても、乙宗 梢と夕霧綴理、そしてこの時点では未登場の藤島 慈は二年生の先輩枠としての登場だ。
 自分も経験があるが、学生にとっての一年の差は大きい。同じ学生という括りでも、一年生と二年生、二年生と三年生には歴然とした差を感じたものだ。
 物語においては特に、そうした記号的な特徴は強烈に印象付けられやすい。
 それは「この登場人物は何なのか」を知ってもらうことが、その人物に興味を持ってもらう上で最初に乗り越えるべきハードルでもあるためだ。
 おそらく多くの場合、『先輩』という単語に覚える印象は頼もしさだろう。そこには下級生と比べ、一年分の経験値の蓄積があるという前提がある。
 しかし、この綴理の台詞はそうした『先輩』という立場にあるべき、揺るがざる頼もしさを真っ向から否定している。
 当たり前の話だが、梢や綴理、それに慈が経験したのは彼女たちが一年生だった頃の出来事だ。そして彼女たちがこれから経験するのは、二年生になってからの出来事。どれだけ頼もしい先輩でも、一年生のうちから二年生の経験はできない。
 蓮ノ空女学院に入学し、スクールアイドルクラブで初めてのことを経験し続ける花帆やさやか、慈と同じくここではまだ未登場の大沢瑠璃乃が初めて一年生をするように、梢たち二年生も初めての二年生を、初めての先輩をやらなくてはならない。
 何事も初めてには戸惑いがある。最初から何でもうまくはやれない。
 綴理のこの台詞はまさしく、互いに初めての先輩後輩をやっていく蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブの102期生103期生の歩みの象徴でもあると思うのだ。

『これで明日から毎日ライブできます!』

 ――日野下花帆は行動力の怪物である。
 第1話でも、「花咲きたい!」という願いを叶えるために発揮された花帆の行動力だが、この第2話でもそれは遺憾なく発揮される。
 第1話で望まぬ環境とわかった学院から脱走を試みた花帆は、しかし、大切な先輩となる梢とスクールアイドルクラブに出会い、願いを自分で叶えることを決意する。
 その決意の真っ直ぐな叶え方が、花帆のこの毎日ライブをやるという結論に出ている。
「なんでさ」とまたしても言いたくなる結論だが、正直に言えば、自分が『日野下花帆』という子を一番最初に好きだなと実感したのはこの結論だった。
 第1話で悩みを吹っ切った花帆は、すでに環境に対する鬱屈は抱えていない。ある意味で押し込められていた上での行動力が第1話での花帆の動きだったとしたら、そこから解放された彼女の行動力が爆発するのが第2話以降である。
 あまりにライブが楽しすぎた実感から、彼女は怒涛の一週間毎日ライブを実行する。野心としては一ヶ月、あるいは三年間毎日ライブも目論んでいたが、この話の中で一度足を止めるタイミングがなければ、実現させていても正直驚かない。
 主人公には物語を動かす、強い強い行動力が必要だ。
 降りかかる問題に追われるのではなく、自ら動いて問題に直面し、それを誰かが解決するのを待つのではなく、走り回って解決法を探し、率先して壁をぶち破る。
 日野下花帆には、そうした主人公が持つべき大きな主人公性がある。
 それが、自分が花帆を好きになり、同時に彼女がけん引する蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブという物語に強く惹かれた一番の理由であったろうと思う。

 まぁ、この一週間ぶっ続けライブのあと、自分のライブ映像を確認した花帆はその勢いばかりが空回りしたパフォーマンスを大いに恥じ、自分で掘った落とし穴に自分で嵌まるようなメンタルブレイクを起こすのだが、その猪突猛進ぶりも彼女の魅力であり、そうした花帆の勢いを柔らかく受け止め、諭す梢の在り方も『スリーズブーケ』の魅力だ。

『••••••スクールアイドルにも、本当は誘いたかったのだけれど••••••』

 第2話の感想を〆るにあたり、この部分の梢の台詞に触れてからにしたい。
 第1話の乙宗 梢のムーブは、あの状況に置かれた花帆の導き手として満点の動きであったと個人的に評価している。
 学院からの脱走を試みた花帆に、部活動紹介のステージでのスクールアイドルクラブのパフォーマンスを見せ、その後は花帆を部活のマネージャーへ誘う。そのマネージャー活動の中で、歌や踊りといったスクールアイドルに欠かせない技能の基礎を花帆に馴染ませると、最後の決断だけは花帆に委ね、彼女の答えをどっしりと待った。
 第1話はまさに、全て乙宗 梢の掌の上の出来事だった――と言いたいぐらいだが、実際には梢も一目惚れした花帆に引かれまいと、ものすごく慎重にあれこれと提案していたことがわかる。
 努力家かつ慎重な梢のことなので、もしかすると花帆が部室に訪ねてくる前は、その日の予定や会話の流れを先にシミュレートしていた可能性すらあるのではないか。
 究極、それが実を結んで『スリーズブーケ』が結成されたのでホッと一安心だが、実は第1話の裏で梢が花帆と同じか、それ以上に奮闘していた可能性を思ってほっこりする一幕と思うのである。


■第3話『雨と、風と、太陽と』

『あたしたちが、いつか立派に花咲くまで――。あたしたちの、雨と、風と、太陽になってくださいー!』

 第2話が『スリーズブーケ編』の前編だとすれば、第3話はその後編に当たる。
 順風満帆に見えつつも、花帆が自分で作った落とし穴に自分で落っこちた第2話の展開を乗り越え、第3話では花帆と梢の二人に試練の時が訪れる。
 それは期待されることに慣れていない花帆と、冒頭でも語った『先輩としては一年生』である梢との間で起こった、お互いに臆病になった結果のトラブルだ。

 2話での自分の空回りぶりを反省した花帆は、逆にライブをすることへの自信を喪失し、次のライブは自分が完璧になってからと二年後の卒業寸前のお披露目を提案する。
 もちろん、その花帆の後ろ向きな思いつきは梢に却下され、代わりに数日後のイベントへの出演を目標に猛特訓が始まる。ここで梢が花帆に指示するトレーニングは、スクールアイドル活動を楽しむ花帆に水を差したくないと、そう口出しするのを躊躇っていた梢が満を持して出したもので、花帆は人生初の朝練に苦しむほどだった。
 ともあれ、日数がない中で、梢も花帆には失敗させたくないであろうから、オーバーワークギリギリのみっちりメニューを組んだことは想像に難くない。
 そして、そのメニューを何とかこなしながら、徐々に近付いてくるイベントに向けて、花帆は絶対に成功させたいという思いのあまり、梢が組んだメニュー以上の厳しさを自分に課してしまい――結果は、言うまでもなく失敗へ繋がった。

 このとき、イベントでの失敗の前に、花帆はさやかとこんな話をしている。
「花咲きたい!」と強い願いを抱く一方で、花帆は『花』の入った自分の名前のことが昔は好きではなかった。名前にまつわるエピソードは現実にもあることだが、花を育てていた家の関係上、『花=管理されて育つもの』という印象を持っていて、それをプレッシャーに感じていたという話はなかなか捉え方が重たい。
 色々と思いつきのままに突っ走りがちな花帆だが、実は自分は1話の段階から、花帆が各所で見せる賢い子疑惑な発言が気になっていた。

 これはどちらも1話からの抜粋だが、彼女の言動には一定以上の教養がある。
 それは芸術分野の実績がない状態で、一般入試で蓮ノ空女学院に合格したことをさやかに驚かれたことにも通ずる、「意外と勉強できる子?」という疑惑にも繋がる。
 いずれにせよ、二人の妹たちのおかげで自分の花帆という名前への捉え方も変わり、「花咲きたい!」という願いを叶えるために蓮ノ空へ入学した花帆は、ようやく見つけた自分なりの夢の叶え方をやり遂げるため、スクールアイドルクラブの活動にのめり込み――失敗したくないあまりに失敗するという、苦い経験をすることになった。
 それも、自分のオーバーワークが原因で、それをフォローしようとした梢に怪我をさせてしまうという、おおよそ考え得る限り最悪の失敗だ。
 第1話では、スクールアイドルになったことで花帆の問題は解決された。が、第2話と3話ではスクールアイドルになったことで生まれた問題が花帆を苦しめる。

 面と向かって梢と話せなくなった花帆はその場を逃げ出し、たまたま行き合ったさやかと言葉を交わし、自分の目を背けたい弱さと直面する。
 ここでのさやかの態度は、失敗した花帆を責めるでも、過剰に慰めるでもない絶妙なものだと思うが、そこには彼女がフィギュアスケートで伸び悩み、何度も大会で勝ち負けを繰り返した経験が活きている。
 早い話、ここで花帆とさやかの間にあるのは、初めて失敗したものと失敗し慣れているものとの対比だ。言い方は悪いが、負け慣れしているさやかだから、このときの花帆の心を的確に切開することができたのだと言える。
 このあと、花帆は部室に残されていたスクールアイドルクラブ伝統の、歴代のスクールアイドルたちが記録してきたノートを読み、過去の先輩たちも自分と同じ悩みに直面した事実と、梢が自分のために一生懸命考えてくれていたこと、自分の存在に一喜一憂してくれていたことを知り、もう一度梢と話そうと決意する。

 年間百人以上が迷って骨になると噂される大倉庫、そんな場所で梢を見つけた花帆は、自分の胸の内を全部ぶちまけて、梢と一緒にやっていきたいと改めて訴える。
 このときの、自分のオーバーワークを「失敗したくない」という焦りだったと片付けずに、指示されたメニュー以上のことをしたのは梢を信じ切れていなかった証拠と断言する考え方には、自分の名前を苦手に思っていた頃と同じ、花帆の考えすぎてしまう姿勢が強めに滲んでいるのは言うまでもないだろう。
 指示以上のことをしたのを、指示した相手への信頼の欠如なんてそうそう言わない。
 行動力の怪物で、思ったことをすぐ実行してしまう花帆と、何事も慎重に検討して、行動を起こすのに心の準備がいる梢。正反対に見えるこの二人は、何か一個の物事について深く深く考えてしまうという意味で似た者同士なのかもしれない。
 そんな二人だからこそ、隣り合って同じ問題に直面したとき、一人では出せない、二人にしか出せない最適解を出せるようになっていくのだと思う。

 お互いがお互いを思い合っていることと、お互いがお互いを思い合っていくことを改めて誓い直した二人は、伝統の衣装を着て『スリーズブーケ』として舞台に立つ。
 そこで大勢の観客を熱狂させるパフォーマンスを披露したところで、花帆は冒頭に挙げた台詞である『あたしたちが、いつか立派に花咲くまで――。あたしたちの、雨と、風と、太陽になってくださいー!』を口にすることになるのだ。

 この、迷いの晴れた青空の下のような彼女の笑顔と、自分と梢という二人が晴れ晴れと咲くために必要なものを堂々と欲しいと言える姿勢が一段と眩しい。
 そして、『蓮ノ空のこと好き好きクラブのみなさん』に求める応援を、雨や風、太陽に例えるその言葉選びに、やはり確かな教養を感じて「好き」と思うのである。


■第4話『わたしのスクールアイドル』

『踊ろう、さや。今ならすごいことができそうだ』

 第1話がスクールアイドル入部編であり、第2話と3話で描かれたのが『スリーズブーケ編』だったとすれば、この第4話から6話にかけて描かれるのが『DOLLCHESTRA編』のお話になる。
 そのトップバッターである第4話、そこで一番印象的な台詞が何かと言われれば、これはわりと全会一致でこちらの台詞になるだろう。
 実に天才肌で芸術家肌でもある夕霧綴理らしい言い回しであるが、この台詞に辿り着くまでに、順風満帆に思われた綴理とさやかの関係にも一悶着が起こる。

 花帆と梢、『スリーズブーケ』として確かな一歩を踏んだ二人のステージを見て、はしゃぐさやかの隣で綴理はそんなことを感慨深げに呟く。
 このときの、いつもきっちりした村野さんがとても楽しそうにステージを楽しんでいる姿も愛らしいのだが、綴理の態度は何とも意味深だ。
 特に、「きみは、なれたんだね」という客観的な一言は、彼女がその枠組みから自分を外してしまっている何よりの証でもあった。
 というわけで、第4話は村野さやかの物語――ではなく、夕霧綴理の物語なのだ。
 もちろん、『DOLLCHESTRA』というユニットは綴理とさやかの二人のものなので、綴理の物語にはさやかの存在が大きく関わる。が、物語の最初に問題を提示し、その解決に最も心を砕くのが綴理である以上、これは綴理の物語だった。

 最初の一声からもわかる通り、綴理は自分をスクールアイドルとは思えていない。
 舞台上での彼女のパフォーマンスは素晴らしく、その実力の高さは間違いなくトップクラスの表現力を持つだろう梢すらも「天才」と称賛するものだ。
 しかし、周囲がすごいと持て囃すものに特別感を抱けない綴理は、自分の何がすごいのか明確な答えを持てず、自分がきらめいていると感じたスクールアイドルに近付くために何が必要なのか、その糸口を掴むことができないでいた。
 さやかという後輩を迎えて、ユニットを組むことになっても自信が持てない。
 そんな足踏みする自分を差し置いて、同じように足踏みしていたはずの梢は、花帆と一緒に一足先にスクールアイドルになってしまった。

 もちろん、すでに4話まで見ている自分たちは花帆と梢が何の障害もなく絆を結べたわけではないとわかっているし、それは綴理も同じだろう。ただ、それでもやはり、梢に先をゆかれたことは、マイペースな彼女をして焦りを抱く結果になったと思う。
 何かしなくてはと焦る気持ちと、何かをすることを恐れて動けない気持ちと、雁字搦めになった綴理は「溺れそう」と、花帆と梢の輝きを「眩しくて痛い」と表現する。物事の本質を的確に捉えた彼女特有の言い回しは、紛れもない彼女の本音だった。

 そんな綴理を一喝するのが、このときの梢の一言だ。
 この時点では明かされていないが、梢と綴理が一年生だった頃に決定的な何かがあり、それが昨年のスクールアイドルクラブの活動を不完全燃焼にさせたと随所で匂わせている。
 二人の間では、そのときの話をしないということで蓋をしているが、未解決のまま蓋をした傷が、今なおじくじくと痛みを発しているのは火を見るより明らかだった。
 その痛みの経験が梢にこれを言わせ、それを聞いた綴理は昨年の、梢との間に起こったこととは別の決着を求め、さやかの下へ走っていくことになる。

 さて、物語は綴理とさやかが対面し、綴理がこれまで言葉にすることを躊躇い、諦めてしまってきたことを頑張って言葉にすることで円満な解決へ向かう。
 しかし、そのエンディングに向かう前に、自分がこのリンクラにおける秀逸だと思っている部分について一つ触れておきたい。
 それは花帆やさやか、後々登場する瑠璃乃も含めた彼女たちが、『スクールアイドル』というものに対して無知で、フラットな状態でそれを知るということだ。
 この4話から始まる『DOLLCHESTRA編』では、「自分にとってスクールアイドルとは何なのか」という命題と向き合っていく。
 この命題に対し、一年生だった頃の失敗を抱える綴理と梢は非常に大きく悩み続けているのだが、入学したばかりのさやかと花帆にはこれがない。
 入学時点でスクールアイドルについて全く知らなかった彼女たちにとって、自分たちがスクールアイドルクラブに所属する決定打になったもの、それこそが彼女たちにとってのスクールアイドルに他ならなかったからだ。

 スクールアイドルになりたかった。でも、なり方がわからなかった。
 憧ればかりが先行し、同じ悩みを抱えていたはずの友人にも置いていかれ、らしくない焦りと戸惑いに溺れかけていた綴理に、さやかは真っ向からこう告げる。
 この言葉の力強さたるや、さすがは村野さんである。
 常日頃、自分は物語における登場人物同士の関係性は、その当事者たちでしか成立し得ないものであってほしいと考えている。
 その瞬間、その場所にその人が居合わせ、その言葉を言えるからこそ、登場人物同士の関係性というものはかけがえのないものとして成立する。

 夕霧綴理はスクールアイドルになりたくて、でもなれなかった。
 そんな彼女を、彼女に憧れた村野さやかだけがスクールアイドルにできる。

 相変わらず、綴理の中では自分の何がスクールアイドルなのかはっきりした答えは言語化できていないかもしれない。だが、答えは言語化されなくても、いつでも自分の隣で、自分をキラキラした目で見つめる後輩としていてくれるのだ。
 その確信を持って、迷いの晴れた顔で綴理はさやかに真っ向から告げる。

『踊ろう、さや。今ならすごいことができそうだ』と。


■第5話『顔を上げて』

『わたし、今なら凄いことができそうです!』

 賢明なる『蓮ノ空のこと好き好きクラブのみなさん』の諸氏であれば、4話の台詞があれなんだから、5話の台詞はあれやろなぁという気持ちがあったと思う。
 うん、そうだよ。ひねる必要もひねくれる必要もなく、直球勝負でこれである。

 4話が夕霧綴理の物語であったなら、5話はいよいよ村野さやかの物語である。
 4話から始まる『DOLLCHESTRA編』だが、抜粋した台詞のみならず、二人の間で交わされる台詞とシチュエーションの対比が非常に鮮やかで美しい。
 二人がお互いの、日常で交わした些細な言葉のやり取りをちゃんと覚えていて、そして相手も覚えてくれているという確信があるからできる、言葉にされない信頼関係が窺える先輩後輩のいちゃつきだ。いいぞ、もっとやるがいい。

 台詞に注目した感想文を書くぐらいなので、自分はこうした細部の言葉遊びや、言葉遊びを成立させるやり取りというものが非常に好きだ。
 ツッコミ役であるさやかは語彙が豊富でなければその本分を果たせないし、奇抜な言葉で物事の本質をかいつまむ綴理の言動には読み解く面白さがある。

 これは練習の最中、さやかのパフォーマンスを「ご飯粒ついてる感じ」と表現し、その上で一言付け加えた綴理という一幕だ。
 個人的にはここの一言、4話を経た綴理の成長が窺えて非常に好きなものである。
 難読漢字か余所の国の言葉のように難しい言い回しをするところが変わらない綴理だが、「ご飯粒を取ってあげたい」という彼女の言葉には、自分をスクールアイドルにしてくれたさやかに対し、何かをしてあげたいという前向きな親愛が溢れている。
 何ならちょっと、わかりやすい表現を選んでくれているのではないか? とまで深読みしたくなるぐらい、ここのやり取りはいいのである。

 さて、5話の話の中核になるのは、さやかが蓮ノ空女学院を選んだ理由だ。
 子どもの頃からフィギュアスケートをしてきた彼女は、あるときから急激に成績に伸び悩み、周囲の人々から『表現力』の不足を指摘されて行き詰まっていた。
 その原因を解消できないまま、時の流れに解決も任せられない性分の彼女は、芸術分野に秀でた実績を持つ蓮ノ空女学院に縋るように辿り着き、夕霧綴理と出会った。
 スクールアイドルとして活動する綴理に、自分に足りないものの片鱗を見たさやかは、持ち前の行動力(この、問題解決のために惜しまず動く姿勢は花帆と似ている)を発揮して綴理に指導を頼み込み、スクールアイドルクラブへの入部を決断した。
 入学前に散々悩んだことの答えが、入学してすぐ人の形をして現れ、あまつさえ直接の指導を引き受けてくれたのだから、さやかの高校生活はバラ色のスタートだ。
 しかし、順風満帆に思えたさやかの日々は、思うようには進んでくれなかった。

 自分と同じスクールアイドルクラブへ入部し、ある意味、自分と同じ悩みを抱えていたはずの花帆が、梢との関係性に自分なりの答えを見つけ出していく。
 それ自体は友人として心から喜べたと同時に、さやかの中にも、綴理が梢に抱いていたものと同じ、自分が変われていないという焦りが生じていたのだろう。

 綴理が自分の言葉に感動し、自分とスクールアイドルをやりたいと願ってくれた事実を喜びながら、一方で変われずにいる自分に不甲斐なさを覚えるさやか。
 そんなさやかの悩みというご飯粒を取ってあげたい綴理が提案したのが、朝五時起きというハードスケジュールで始まる近江町市場の手伝いである。

 市場で働いていると知った花帆が、さやかの頑張りすぎ体質を心配して駆け付けたのと同じように、自分もまたさやかが頑張りすぎるのではと危惧していた。
 綴理の考えはわからずとも、綴理に任された仕事を果たさなければと、綴理の期待に応えるためにオーバーワークしてしまうさやかという絵面が浮かんだのだ。
 しかし、さやかは自分の貧困な発想力とも、高校に入るまで碌々運動もしてこなかった花帆の体力とも鍛え方が違ったので、それ自体は苦ともしていなかった。
 自分の体との付き合い方をちゃんと弁えている。さすが村野さやかさんだ。

 ただ、自分の体の付き合い方とは裏腹に、自分の心との付き合い方は未熟だった。そこはまだ高校一年生、そこまで達観しろというのも無理な話だ。
 ましてや、さやかは姉の想い――フィギュアスケートの選手として自分よりずっと優秀で、しかし怪我が原因で未来を断たれた姉の分までと気負っていたのである。
 体のオーバーワークではなく、心のハードワークでいっぱいいっぱいになっていただろうさやかだが、近江町市場での慌ただしい時間は意外にも彼女に安らぎを与えた。
 やることなすこと初めてのことが目白押しで、さらに客商売ともあれば迂闊な失敗で迷惑もかけられない。
 そんなめちゃめちゃ大変そうな環境が、かえってさやかに普段から考え込まさせている姉の代わりに、綴理のようにといった雑念を忘れさせたのだ。

 綴理は綴理なりに、自分をスクールアイドルにしてくれたさやかのご飯粒を取ってあげたいと、先輩としてできることを一生懸命考え続けていたのだろう。
 自分のパフォーマンスに目を輝かせてくれるさやかを思い、自分が自分らしくあれるのはどうしてなのかを考え、昨年、自分が先輩にしてもらったことを思い出し、彼女は彼女らしい言葉選びと行動で、さやかにそれを教えようとする。
 それは誰かのためであったり、自分以外の何かになろうとしたりして、綴理の好きな村野さやかを蔑ろにしないでほしいという、愛情以外の何物でもない答えだった。

 近江町市場の慌ただしい時間と、その上でもたらされた綴理からの親愛の言葉に、さやかは自分が何者であるかを見つめ直し、いてもたってもいられなくなる。
 きっとこの瞬間まで、さやかにはスケートリンクの上でも、綴理の指導を受けている中庭や部室でも、ずっとこれでいいのかという不安が付きまとっていたはずだ。
 だがこの瞬間、自分が与えられたものと、自分が持っているものに思いを馳せたさやかは、不安なんて全部忘れて踊り出したい気持ちで夢中になる。

 そうして飛び出したのが、『わたし、今なら凄いことができそうです!』と、自分のきらめき方を知った綴理と同じ、大切な瞬間の言葉だったのだ。胸が熱くなるな。


■第6話『わがまま on the ICE!!』

『綴理センパイも、さやかちゃんのお姉ちゃんも、さやかちゃんが要らないからそう言ったってわけじゃないってこと!』

 こうして1話から6話まで振り返ってひしひしと感じたことだが、自分は日野下花帆がだいぶ好きだなぁという意外な事実であった。
 いや、もちろん好きな自覚はあった。だが、思ったよりも好きだったのだ。
 彼女の放つ真っ直ぐな言葉と物怖じしない姿勢が、自分にとってはキラキラと眩しく見えるというのが、たぶん一番の理由なのだろう。

 ともあれ、今回の感想文の最後に当たる第6話は、4話から始まった『DOLLCHESTRA編』の完結編というべきエピソードである。
 そもそも、4話と5話でさやかと綴理の問題は一段落、円満解決して希望の未来へレディーゴーとちゃうんか!? と思ったものも多いだろう。自分もその一人だ。
 綴理がさやかのおかげでスクールアイドルになれて、さやかも入学前から背負っていた重たい十字架の背負い方を学び、二人は幸せなライブをして終了――と、そう思っていたところでまた別の問題が勃発するのだから、心を休める暇もない。
 別に1話ぐらい、蓮ノ空女学院のスクールアイドルクラブの子たちが楽しそうに日々を過ごしているだけのお話があってもいいのでは? それは『With×MEETS』でやっているからなし? そうだな。ぐうの音も出ない。

 6話の物語の発端は、5話の出来事を経験したさやかがスケートリンクへ戻り、そこで行き詰まっていたはずのフィギュアの舞台で高評価を得たことから始まる。
 スクールアイドルクラブでの経験はフィギュアスケートの演技にも活き、蓮ノ空女学院入学前から抱いていたさやかの悩みや問題は一挙に解決したのだ。めでたい!

 復帰して最初の大会で優勝も果たしたさやか、フィギュアスケートで結果が出せたことで、綴理や花帆は「これでさやかがスクールアイドルクラブを辞めるのでは?」と恐れおののくのだが、さやかはそんな二人の懸念を蹴っ飛ばし、今ではフィギュアもスクールアイドルも自分のしたいことだと笑って言ってのける。

 ちなみに、その感謝を告げるときの切り出し方が辞めそうな言い方だったのを反省したときのさやかの言い回しだが、なかなか味わい深い。
 もしかすると、さやかが本気で怒ったときは相手を「愚か者!」と一喝するシーンが今後どこかで拝めるかもしれないと思うと、奇妙な胸のトキメキがあるほどだ。

 ともあれ、スクールアイドルの活動もフィギュアスケートも順風満帆、さやかの日々はうまく回り出し、それは姉からの嬉しい報告――さやかの演技に触発され、踏ん切りのつかなかった引退を宣言するアイスショーの開催をも引っ張り出した。
 まさに、何もかもが好転し出したと言える流れだったが、次なる問題はそんな順風満帆な展開の最中に勃発することとなる。

 次のスクールアイドルのイベントと、姉のアイスショーの日取りが重なってしまう。それも、件のイベントは綴理にとって大きな意味を持つものだった。
 4話と5話の関係性の進展を受けて、綴理はさやかと一緒にそのステージに立つことを期待し、胸を弾ませて過ごしていたことだろう。
 そこに舞い込んださやかの大切な姉のアイスショーの報告に、このことをさやかに伝えまいとした綴理の先輩らしさと、健気な心情は胸に突き刺さる。

 物語ではしばしば、誰も悪くない悲劇というものが起こる。
 このお話もそうした話の一例であり、二つのイベントが同じ日になってしまったことに誰の悪意も働いていない。
 どうしようもないものはあると綴理はさやかに言い、自分の気持ちは押し込めて、さやかにワガママでいいと彼女の意思を尊重しようとする。

 綴理に言われ、雨の中に飛び出していったさやかを見つけたのは、彼女が何もかもうまくいっていると信じて疑っていなかった花帆だった。
 雨に打たれるさやかに傘を差し出しながら、花帆はさやかの話を聞いて、『綴理センパイも、さやかちゃんのお姉ちゃんも、さやかちゃんが要らないからそう言ったってわけじゃないってこと!』と、どちらもさやかのしたいことをすればいいと、さやかの気持ちを尊重しようとする綴理とさやかの姉の気持ちを代弁する。
 このとき、スクールアイドルとフィギュアスケートの二択なら、自分はスクールアイドルを選んでほしいと明言する花帆が、そうした本心を告げるのはズルいことだと、そんな風に優しく自分を悪者にし、綴理とさやかの姉を慮る流れも胸に迫る。

 誰も悪くない悲劇というのは、概ね、誰かと誰かが思い合った結果であることが多い。
 花帆の言葉はその本質を捉えていて、頭の中がごちゃごちゃになったさやかに一呼吸させる余裕を生んだ。その上でさやかは、自分に許されたワガママというものがどんなものなのか悩んで、答えを出すことになる。

 さて、ついに迎えたさやかの姉の引退の日。アイスショーを観覧し、イベントの時間に会場を出ようとした綴理たちを引き止め、さやかの一世一代の告白が始まる。
 村野さやかは悩みを抱えて蓮ノ空女学院に入学し、その悩みが解決したかと思えば、またすぐ次の悩みに直面し、きっとそれを繰り返していくことになるキャラクターだ。
 周りがどれだけ彼女に優しく向き合い、彼女に自由やワガママを許そうとしても、生真面目で律儀な彼女はその優しさを与えられる資格を自分に問い、自分に許されたワガママをちゃんと扱えているか大いに悩み続けることになる。

 そんな自分の性分がちゃんとわかっているから、さやかはどうせ同じことに躓くことになる自分の道しるべに、夕霧綴理に隣に立ってほしいと望んだ。
 全部楽しくて全部頑張りたいから、だ。

 さやかの告白に、生まれて初めてのスケートリンクに引っ張り出された綴理は、何の前準備もしていない氷上のライブへ誘われ、それを全く恐れないで堂々と引き受ける。
 そこで交わされる二人の言葉は、4話と5話で出来上がった関係性の結実で、これ以上ないくらい『DOLLCHESTRA編』の集大成感のあるやり取りで天晴れだ。

 きっと、「何かすごいことができる」という漠然としていて、キラキラと胸を期待でいっぱいにするこの言葉は、今後の『DOLLCHESTRA』が歌や衣装と同じように引き継いでいく伝統の一個になると、そう予感させるものであったと思う。
 改めて、『DOLLCHESTRA編』は台詞のやり取りにもシチュエーションにも、美しい対比となる場面が多く、物語の鮮やかさを感じさせる出来栄えとなっている。

 自分も作家の一人として、こうした台詞が作り出す物語の彩りをひしひしと感じ、また作り出せる一人でありたいと、切に願うばかりだ。

 さて、これにて今回の感想文は決着となるが、1話のときと同様に物語の流れとは無関係だが、どうしても触れておきたい部分を二ヶ所ほど。

 日野下花帆が好きだなぁと改めて自覚したので開き直って花帆の一幕だが、これはさやかが久しぶりのスケートリンクへ足を運んだ際、同行したときの彼女の一言だ。
 足の遠のいていたスケートリンクへ戻ることに不安のあったさやか、そんな彼女の不安を感じ取って同行を申し出た――わけでは全くなく、完全に友達の大事な場所に一緒にいきたい以上の何物でもない理由だったが、そうしたさやかの心情とは無関係に、スケートリンクに連れてきてくれた事実にこう言える花帆は素敵だと思う。
 友達が大事にしている場所に連れてきてくれた事実、それを言葉にしてはっきりと「ありがとう」と言える彼女の感性に、むしろこちらがありがとうと言いたくなる。

 そしてもう一個が、3話の大倉庫で遭遇する生徒会長こと沙知先輩との一幕と、それに付随した1話での梢の台詞だ。
 当初、1話を見返した自分は、裏庭で雑務に追われる梢が花帆に飛ばしたこのジョークを聞いて、「なんだか梢らしくないなぁ」と思ったものだった。むしろ、梢はこの手のジョークはあまり言わず、真っ当な理屈で学校からの脱走を図った花帆を諌めようとするという方がよほど梢らしいと思われたからだ。
 だが、そんな梢に覚えた違和感は、この沙知先輩の発言を聞いて一気に解消された。
 間違いなく、梢が1話で飛ばしたジョークは沙知先輩から学んだものなのだ。おそらくどこかの機会で、梢も沙知先輩からこのジョークを聞く機会があったのだろう。常識的な梢のことだから、当たり前だがこんなジョークを信じたりはしなかった。
 しかし彼女にとって、気さくな先輩が後輩と距離を詰めるための話術、軽口、ジョークの類として沙知先輩の言動を参考にしていたとしたら、あの場で梢が梢らしくないジョークで花帆を驚かせたのも納得がいくのである。
『ボクたちは先輩だけど、先輩としてはまだ、一年生なんだから』
 この台詞が、この一年の『活動記録』のある種の総括だと最初に話したが、先輩として一年生の梢が参考にしたのが沙知先輩のジョークと思うと、良くないかね?

作家 長月達平の「#蓮ノ空感想文」-第7〜12話編- へ続く


【長月達平(作家) プロフィール】
代表作『Re:ゼロから始める異世界生活』のほか、『異世界スーサイドスクワッド』『Vivy -Fluorite Eye’s Song-』など多数のアニメやゲームにも携わっている。

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少女たちと「いま」を描く青春学園ドラマ、新年度スタート!

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