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アイドルと偶像崇拝

アイドル。それは皆の憧れであり、目標であり、恋を抱くようなそんな擬似的体験。夢を商売にする特殊な職業だ。アイドルというのは、まさに日本の固有文化なのではないかと思う。期限が決まっているからこそ、儚さと美しさの一瞬を応援する。それがアイドルとオタクなのだ。

アイドルというのは不思議で、人によっては希望にもなるし、人によってアイドルに求める形が違う。ここで勘違いしてはいけないのは、アイドルであるから好きなのであり、アイドルから1歩抜け出すと、また好きの形が変わるということだ。彼女や彼らが自分達で作り出した幻想、偶像こそを愛しているのだ。

これは正しく偶像崇拝なのではないだろうか?
そう考えると、日本でアイドルという文化が栄えるのも納得である。
日本というのは、宗教がスタンダードではないからこそその人間にとって都合のいい幻想をつくりあげ、それを無条件で信じるような、そんな文化が昔から根付いているような気がする。天皇の話である。

色んな人間が、アイドルという存在に魅了されている。
非日常的なビジュアル、愛嬌、ダンス、歌唱、前衛的な曲、自分のことを見てくれてるのではないかというサービス…前述した通り、人がアイドルに何を求めるのかはそれぞれ違うのである。
その中でも求められるものが多い比率として、「容姿」がある。
「容姿」は魔性だ。身近にいない非日常的なビジュアルに憧れを持ち、そんなビジュアルを持つアイドル達が自分のことを見てくれるような機会が設けられたり、彼女らも自分がオタクにどう映っているのかよく考えてるように見える。
アイドル達のことを考えると、容姿が優れている人がが非常に多いと思う。アイドルに求められているものがビジュアルの比率が大きいのはオタクが非日常感のある憧れを求めているからだ。

確かに容姿は、自衛にもなる。
指を1本動かすだけで批判されるような芸能界で、容姿が優れているだけで論争や批判を緩和できる自衛にもなれば、容姿が優れすぎていることで、性的に消費されないという自衛にもなる。
ルッキズムが進むこの世の中で容姿が優れているということは、何よりもファンも静かにさせる確かなものなのだ。

アイドルを好きなオタク側が同性なのか異性なのかで求めるものが違く、容姿を求められる場合は同性に多いのだが、比率としてはどちらも容姿に関するものをが多いのではないだろうか。
とはいいつつ、このような感覚は世間的には異常である。他人の容姿を上から目線でジャッジし、「彼女は容姿が優れていないからアイドルには向いていない」等と鋭利な言葉を向けるような人間もいる。
色んなジャンルのかっこよさや可愛さが多様性として認められてきている中、異常であることは間違いない。
芸能人だから、アイドルだからと個人の容姿を批判していいことにはならない。

誹謗中傷は絶対に許されないことは大前提だとして、ひとつ理解して欲しいのだが、アイドルというのは要はお人形なのだ。誰だって特別に自分の好みなかわいいお人形、かっこいい人形で遊びたい。自分の好きなように、都合のいいように動いて欲しい。偶像なのだから。
そういった考えが根本にあるのでオタク達は過度に自分には手に入れられないものを手に入れようと求める。
そんなお人形コンテンツを皮肉るような曲がアイドル側から出されたりするので、きっと彼女達は私達より理解している。都合のいいように消費する文化に、こちら側から正当性を求めるのはとても難しい。

お人形コンテンツとして、今アイドル文化が栄えてしまっている証拠は、事務所に属すグループが若年化している事が顕著に感じれると私は考えている。
なぜなら、若いうちからアイドルという当たり前のルールに従わせ一緒に仕事をしていくうちに、それが当たり前になり、本当の自我がない人形になるからだ。
勘違いしないで欲しいのだが、私はこのアイドル文化を愛すると共に人権を無視したこの文化は、時代と共に変える時が来たと思っている。
だが、これは難しい問題で、この気持ちの悪い文化を愛している人間がこの世にもいて、支えてきた人間もいるということだ。
突然の変化は、そのような偶像的なアイドルを愛しているファン達への裏切りになってしまうのではないかと懸念している。
実際私も、気持ち悪いとは思いつつもこの偶像をまだ愛しているので突然の変化には最初はついていけないのかもしれない。

人権を無視され、消費されるアイドル達はどんな形で変化していくのがいいのだろうか。いまやアイドルにとっての音楽市場はアメリカではなく、日本になっていると感じる。
音楽的には、もちろん世界、ひいてはアメリカで売れることがきっとアーティスト達の夢だとは思うのだが、アイドルにとって1番稼げる場というのは日本であるように感じる。オタクにとっての需要が、市場に直接影響する難しい市場だ。
そう考えると昔の時代のアイドルプロデューサー達は、儚さと容姿を元に基盤を作り、文学性を重んじたアイドル文化をここまで確立した立役者でありつつも、日本のアイドル文化の停滞を促してた部分もあるので、最初から終わりに向かっているコンテンツなのかもしれない。
なんにせよ、きっと結論は出ない。
ここまで話しておいてなんだが、不変が重視されるような保守的な国で、新たな改革はやはり難しいのである。
偶像を作り上げるアイドル達と、それを愛するファン達が時代とともにどう変わっていくのかは、もう少し見守る必要がありそうだ。

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