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長女気質とコンフォートゾーン#4(幸せになる許可)


こちらの記事の続きです

皿洗いしないチャレンジを終えて、シンクに何もない状態を前に、私はずっと背負っていた荷物を降ろせたような気がしていた。
とっても清々しくて、生きてる心地がした。(生きていないような気持だったわけじゃないのに・・・)

それまで「しなくてはいけない」と、それ以外の選択肢にバツをしていたことが「やってもやらなくてもいい」と自分で選べるようになっただけで、あんなに嫌いだった皿洗いへの嫌悪感が全くなくなっていた。

そして、こんなチャレンジを何も言わず、何のオーラも出さずに、ただ付き合ってくれた家族になんとも言葉にできない気持ちでいっぱいだった。
「ありがたい」が一番近いのかもしれないけど、ぴったりくる言葉は見つからなくて、ただ気持ちが溢れて止まらなかった。
これが本当の感謝なんだな、ということは感じていた。

頭で考える「こうした方がいい」ことなんて、驚くほど大したことなかった。
自分が握りしめているそれのほとんどを私は認識していない。
だから悩みが生まれて、変える必要があるコンフォートゾーンを教えてくれるのだと思う。
悩みをネガティブに捉えず、その根っこを見ると、握りしめているマイルールに辿り着くはず。

コンフォートゾーンは「それを正しいと信じて疑わないこと」「それをしないと罪悪感を感じること」だ。
それは自分以外の誰か(主に親や世間)の価値観がもとになっているか、自分以外の誰かの幸せを優先させていることが多い。

Noを言えない、頼まれたら断れない、無理をしても家族や職場のためにやりがち、自分の気持ちを伝えない、など、どれも握りしめている価値観がそうさせているはず。
子供の頃はそれも必要。
でも大人になったら自分の価値観に微調整していくことだ。それが自立だから。

自分の価値観に調整することは良くないことのように捉えていたし、実際チャレンジはとっても勇気が必要だった。
悪人になるのでは?
そう評価されてしまうのでは?
という恐れがあったけれど、調整をしたことで自分の心が驚くほど軽くなった。

そして子供たちの変化にも繋がった。
それまでは、食事のあと各自の部屋にすぐ行ってしまっていたし、業務連絡のような会話ばかりだった。
でもこのチャレンジを通して、私自身に心の余裕ができて子供たちの気持ちを尊重する言葉が増えた。
すると、子供たちがリビングでのんびりしたり、笑っていることが増えたのだ。
やっぱりお母さんが心に余裕を持つことはとてつもなく大切だと思う。

私は子供の頃、母がぷりぷり怒りながら家事をきちんとしていたことを改めて思い出した。
母はそういう人だったけれど、それはそれ。
そのおかげで私がある程度まともに育ったのもある。
でも、私は自分の気持ちを大事にして生きることを選びたい。
私は幸せに過ごすことを大切に生きていこうと思ってる。

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