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長女気質とコンフォートゾーン#3(コンフォートゾーンの修正)


こちらの記事の続きです。

コンフォートゾーンを修正するための
自分が機嫌よくいることを優先するチャレンジ。

一番にやってみたのは子供の学校の時間に合わせて朝起きないこと。

前もって家族には、「しばらく自分の機嫌を優先させて過ごすチャレンジをしたい。今までやっていたことをやらなかったり、自分勝手に見える時があるかもしれないけど、怒っているとかではないし、見守ってもらえると嬉しい」と説明した。
でも、朝はいつも通りの時間に目が覚める。
家族がガタガタ準備をしていても布団から出ない。
罪悪感がハンパなくて「こんな思いするくらいなら今まで通りでいいんじゃない?」と何度も思った。
でも、これはチャレンジ。その気持ちの向こうに何があるのか見るまでは止めないと決めた。
それまでは毎朝、子どもを起こしていた。それもしないので、何度か子供は学校に遅刻した。
朝ごはんも作らなかった。各自適当に食べていた。

ちゃんとしてない。
すごくちゃんとしてない。

とても気持ち悪いし、誰かに何か言われそうで、怖かった。
怒られるのではないかと思った。
がっかりされる、軽蔑される、見捨てられる、離婚される、親戚から責められる、子どもに悲しい思いをさせる、あらゆるマイナスがいつも浮かんでいた。

でも、恐れていることが一つも起きないまま、私が起こさなくても子供は自分で朝起きるようになって(夫が声をかける時もあったけど)、誰からも責められなかった。

機嫌よくいられる気持ではなかったけど、穏やかでいようと思った。
子供の頃、ぷりぷり怒りながら家事をする母に「怒らないでいてくれるなら何もしない母で構わない」と思ってたのに、私がぷりぷり怒りながら家事をして察しろオーラを放ちまくっていたから。
それがいつも「お皿洗い」だった。

だから、お皿洗いもお休みしてみた。
家族にまた説明して「手伝えそうなら手伝ってくれると嬉しいけど、自分の機嫌が悪くなると思うときは無理しないでほしい」と話した。
初めは夫がお皿を洗ってくれてた。でも、途中からやらなくなって、子供達は1回も洗わなかった。
シンクにはお皿や鍋が溢れて使えるお皿がなくなったので、紙皿を使い捨てた。
お皿を洗わないなんてありえないことでしかなかったけど、やれるもんだなぁと面白くなってきた。
そして誰も何も文句を言わないし、責めないし、毎日が終わってはまた始まっていった。

何日つづけたかはっきり覚えていないけど、ある日突然、
「私はこんな汚いシンクの家にいるような人間ではない!」と急に思い立って、一気にばぁぁぁーっと全ての食器も鍋類も洗い上げた。
スッキリしたし、爽快だった。
それ以来、お皿洗いが全く苦ではなくなった。
やってもいいし、やらなくてもいいことが分かったからだと思う。それまでの私にとってお皿洗いは「やらなければならない、それ以外ないこと」だったから。

なんだか私はいろいろ山のように勘違いをしていたのかも。と気づいた。
今まで「これが正しい」と思っていたものが必ずしもそうではないこと。
自分を縛っていたのは自分自身なこと。
自分の気持ちを大事にしないで、辛くなって人に当たっていたこと。
それしか方法がないと思っていたこと。

そして、今まで感謝だと思っていたものが何一つ感謝ではなかったと思い知らされるような「感謝ってこんな気持ちなんだ!!」という気持ちが家族に溢れてきてびっっくりした。

続きます。

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