ピアノを弾けばいいことがあると子どもが思える家族の文化をつくろう(2)
この文章は、以下の記事の続編です。
気がついたら、私の周りにはいつも音楽があった
そして、私の育った環境・家族には常に音楽がありました。
ピアノ指導者だった母は忙しすぎて、当時の私に「練習しなさい」と言ったのは数えるほどです。
それが私にとっては良かったのです。私にとってピアノは自由の象徴になりました。レッスンのための練習は、ピアノで遊んでいる時間の10分の1ほどでした。
レッスンの宿題はしないでピアノで遊んでばかりいた時期でした。
そんな私の家族は
会社員で忙しすぎる父
ピアノの先生で忙しすぎる母
3つ違う姉
私
の4人でした。家族皆なが音楽好きでしたし、音楽が好きという自覚がないまま、しょっちゅう誰かが歌っていました。
休日にはレコードをかけたり、
姉と学校の曲を歌って二重唱をしたり
母の歌う演歌や歌謡曲の歌唱指導をしたり
姉が行っていたヤマハ音楽教室のテキストを開いて歌を歌ったり、
友達の好きな歌手やアニメソングを必死に覚えてピアノで弾いたり、
していたのです。
父はソニーに勤めていて、ソニーで出しているレコードが家にはたくさんありました。わけもわからずレコードのタイトルや絵を見て気に入ったものをかけていくのが小学生の私の楽しみでした。
そのような経験で「クラシックの曲」を知っていくことになります。
ピアノで遊んでいたこと
そしてその当時、私がピアノで遊んでいることといえば
小学生時代
自分の好きな、レッスンで習っていない曲を弾く
学校の音楽鑑賞で聴いた曲を楽譜店で見つけて弾く
歌謡曲を聴いて、真似して弾く
学校の合唱伴奏を弾く(当時はオーディションなどなくジャンケンでした。ジャンケンが強かったです)
夜のドラマの歌をカセットテープに録音して、友達と交換をしていました
中学生時代
友達が好きなヒットソングやアニメソングを耳コピして弾く
友達が好きな曲を友達の音域に移調して弾く
浮かんできたメロディーを発展させて弾く
合唱の伴奏者に立候補して弾く
でした。今思えば、クラシックをコツコツ弾くなどはあまりしておらず、自分流に弾きたいように弾くという形が多かったように思います。
とはいえ、レッスンで「練習をしていません」とはとても言えなかったので、前日、当日に目を皿のようにして初見をしていました。ゆっくりであればなんとか弾けていました。
ピアノの発表会は派手で人気のある曲は全く弾けず、音階のある地味な曲ばかりでしたから、有名曲を弾けないうっぷんを、レッスン以外の曲で憂さ晴らししていたかもしれません。
自分のピアノに優劣がつく!という苦痛
中学二年生の時、東京都文京区に新しく出来た尚美学園という音楽専門学校に高校生に交じって夏期講習に行きました。その経験で、はじめて自分から音楽を勉強をしようという気になりました。
でも音楽高校に入ってから、意外と苦手なことが多く、ピアノの練習に励むことはありませんでした。
その時についた先生が無口で親しくお話しができなかったのもありますが、自分のピアノ演奏が、いきなり比較対象になったせいもあります。
優劣がつくのは非常に苦痛だったのです。
そんなわけで、高校1年生~2年生まで、ピアノをほとんど練習していない時期です。私はこの頃、全く練習せずに自宅で寝てばかりいました。そんな私を見兼ねて母のススメ(!?)で私は地元のゴルフ場の厨房でアルバイトをすることになります。
高1の夏ごろから高3の12/31までアルバイトをしています。
ピアノの練習はしないで済む環境ではなかったので少しはしていたかと思うのですが、あまり記憶にありません。
子どもの頃に遊んでいたピアノは、作曲につながっていた
高2で再び尚美の音楽学校に夏期講習に行きます。そこで作曲科の女性の先生と出会います。
そこで、作曲の魅力に触れ、作曲科を受験することを考え始めました。当時の音楽高校で担任の先生と相談をすると、その時たまたま高校に赴任された芸大出身の作曲専攻の先生に和声を教わることになります。そこで、小学生から中学生の間にピアノ遊んでいた経験は、作曲の下地になっていたことに気づきます。
大学生時代はピアノも作曲もかなり比重を置いていた頃です。
就職先も必死で動いて作曲ができる職場で働けることになりました。
いろいろ問題のある家族ではあったけれど、おおむね音楽をする環境は良かった
私はこのnoteで、母がモラハラでNPD(自己愛性パーソナリティー障害)であると書いています。実際母はいろいろ問題のある人だと思いますが、音楽の環境を確実に確保してくれた人です。環境だけを切り取ってみればかなり良い方なのではないかと思っています。
問題のある母でも、音楽は好きだったと思うのです。実際、私はピアノを弾いている時は孤独ではありません。
誰かが私のピアノを承認してきたと私が思えるからでもあります。今にして私はピアノを弾くだけで自己受容ができるようになっています。
自分ができないことも、さらけ出して、出来ない自分があるからこそ、成長できる自分が楽しくて仕方がないのです。
むしろ、はじめは弾けない方がいいのです。
この”弾けない”がなかったら、効果が半減してしまうだろうと思うほどです。
そして、ピアノが孤独な練習だなんて思っていません。私がピアノを弾いている時は、いつも誰かに聴いてもらっている気持ちなのです。
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