2024/01/23

今日YouTubeで適当な動画をなんとなく観ていたら、塾(か通信教育)の広告が流れてきた。そこでは「お子さまの学習を徹底的にサポートいたします!AIが苦手分野を特定し、さらに添削の先生が途中式まで見て到達度をチェックします!」みたいな文言で、流行りのAI学習システムが大々的に宣伝されていた。

時代だなと思うのだけど、最近こういったタイプの塾の広告を本当によく見る。というか、もはやほとんど全ての塾が、単に学力を伸ばすことではなく、「勉強習慣をつけられます!」「勉強法まで教えます!」といった文言で、子どもの勉強を一から十まで、手取り足取り教えようとする宣伝文句を使っている。
生徒に対して、先生となるべき人たちが単なる「サービス提供者」に成り下がってしまい、子どもたちは「サービス消費者」つまり「お客さん状態」になってしまっている。

子どもが「お客さん状態」になっている教育界の現状はかなりまずいのではないかと思う。学びの基礎になる先生と生徒の権力構造が逆転してしまうからだ。

教育現場において、先生と子どもの間には必ず権力関係が生じる。そうでないと学びは始まらない。子どもが先生に対して、「この人の言うことは絶対だ」「この人のようになりたい」といった感情が湧いてきて、その人の全てを模倣し、その人自身になろうとするような「欲望」が生じて、初めて「学び」が可能になる。(そういった意味では、ホリエモンの「教育は洗脳だ」という言葉は的を射ている)
このとき先生は、子どもにとって「自分の知らない深遠の世界を知っているミステリアスな人間」でなければならない。というかそもそも、大人はみな子どもにとってミステリーなのだ。


子どもが「お客さん状態」になっている現状では、「生徒=お客さん」に対し、先生がサービスの提供者となり、権力構造が反転してしまう。この状態で学びが生まれることはない。
先生は「自分の知らない深遠の世界を知っているミステリアスな人間」ではなくなり、「必要なときに必要なものを与えてくれるコンビニ人間」に成り下がってしまう。

現代において、先生は生徒と同じ目線に立ち、フラットな関係の中で「伴走者」であることを求められる。しかし子どもに必要なのは伴走者ではなく、常に前を走って道を切り拓いてくれる存在なのではないか。大人はそうやって背中を見せ続けることでしか子どもを感化することはできないのではないか。

今の時代、子どもを強烈な価値観でもってグイグイ引っ張ってくれるような先生はなかなか現れない。そんな中で子どもたちは何をめじるしに生きてゆけばいいのだろう。

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