見出し画像

洗って磨く

館のオーナーNaokoです。

このあいだ、引っ越してしまう友達がさよならフリマ的なものをやっていて、そこで、ル・クルーゼの鍋を譲り受けてきた。

画像1

画像2

キャンプとかでも使ったのかな。
使い込んで味も出ていていい感じ。
やっぱり、いい道具というのは使い倒してなんぼだな…と思う。

キャンプとかアウトドア生活に憧れがあるけど、いま現在、私がそういうライフスタイルを送っているわけじゃないし、今すぐ行けるわけじゃないから、このル・クルーゼもひとまず館のなかで使うことにする。

そうなると、この味わいもちょっと館では浮いてしまうから、磨いてみることにした。

とはいえ、特別な道具や洗剤を使うわけでもなく、いつも使ってる普通のECO STOREの食器洗い洗剤と、3Mのスコッチブライトのスポンジ

最初に洗剤とお水で、全体に泡を付けていくような感じで優しく撫でるように。

それから、スポンジの緑の面(ザラザラした焦げ落とし用)で焦げの端っこの方から攻めてみる。

そもそも落ちる汚れや焦げなのかどうかもよくわからなかったけど、ちょっとチカラを入れて洗い始めてみたら、少し落ちた感じがした。

だから、少しずつ、チカラを込めて洗う。

そうしているうちに、気づいたら焦げや汚れはほとんど落ちてすっかりきれいになった。

画像3

画像4

さすがに新品同様とは言わないけれど、それでもピカピカ。
鍋もルンルンして見える。

画像5

ル・クルーゼとともに、カッパー(銅)製品、ブラス(真鍮)製品も譲り受けてきた。

そのままでも味があるけれど、鍋で磨きモードにスイッチが入ってしまったから、こちらも磨いてみることに。

画像6

画像7

こちらはゴシゴシ力を入れて磨くようなものではないので、お酢につけ置き。

お酢にしばらくつけておいて、その後、柔らかいスポンジ面か布で優しく撫でるぐらいできれいになる。

画像8

画像9

わかりやすい達成感があるから、鍋磨きとか靴磨きとかそういうの好き。

鍋磨いていると、人間もこうかもしれないな〜とか思う。

ル・クルーゼはル・クルーゼらしく、銅の入れ物は銅の入れ物らしく、真鍮の一輪挿しやトレイは真鍮の一輪挿しやトレイらしく、本来の姿に戻る。

それが美しい。

だけど、汚れている姿もそれはそれで美しく、いい味になってる。
炎にさらされたり、油にまみれたり、グツグツしてる間に飛び散った料理が付着したり…。

そんなことがあって、くもったりくすんだりしていても、焦げがついてても、それはそれだけ一生懸命使ったということだし、誰かの役に立ったのだとも言える。

自分を生き抜くということはそういうことなんじゃないのかな。

だって、使われていない、買ってきたまま奥にしまってるだけの鍋は汚れることもなくきれいだけれど、誰かの役に立つこともなければ、鍋として作られた意図が全うされてもいない。

鍋は鍋らしく、人間は人間らしく、作られた、生まれたときの意図をきちんと全うする。

全うしていく中で、汚れが積もっていったら、都度落とせばいい。

鍋なのに「電気炊飯ジャーになりたい」「電気フライヤーになりたい」って、他の何かになりたいと思うよりも、「一つの鍋でご飯も炊ければ揚げ物だってできる!」例えばそんな良さに気づいて、きちんとそれを使ってみることのほうが、無理がなくてそして尊いんじゃないかなぁ〜。

そうやって見方を変えれば、ただの鍋も魔法の鍋に見えてくるかもしれない。

そして決して、ル・クルーゼを銅鍋にしようとか、真鍮を金に変えようとかじゃない。当たり前だけど。

だけど、ただの鍋が、いろんな風につかえて、いろんな価値を生み出せる。
それって、錬金術のようにも感じられる。

先日、書いた「名前とアイデンティティ」という記事で、私の名前に使われている「尚」という漢字には「高くする」という動作を加える意味があるということを書いた。

なんだか名前の意味にも通じるところがあるような気がしてくる。

昔、yujiさんと仕事をしてた頃にyujiさんの鑑定を受けたら、いくつかキャッチーな言葉がそこにはあったけど、そのなかに私は「精錬所」であり「伊勢丹や最先端を取り扱うセレクトショップ」というようなキーワードがあった。

石ころのような原石を私に突っ込むと宝石になって出てくるような意味で、人でも情報でもモノでも、私という精錬所に入れることで価値をあげることができ、また、これまで、世界中のさまざまなラグジュアリーを体験しているがゆえに、そうした経験や、それらを通じた本質や本物を見極めるチカラや美的感覚を用いて世界観を構築し、世の中から面白いものを集めてきて最先端を提示していくような。

そういうキーワードだった。

伊吹の母の鑑定では、私のサビアンのなかに「高価な宝石に満ちた宝石店」というものもあった。

ぱっと見では気づかないような美しい本質や才能を見抜き、汚れてても曇っててもかすんでても、そのなかに光を見つけて、輝きを取り戻し、価値の高いものとして世に送り出す。

館ってそういう場所でありたいな…と思って。

鍋を磨きながらそんなことをずーっと考えてた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?