私がラクになった理由とは?|「〜したい」と「〜しなければならない」の相関性の変化
私は最近、楽になったな〜と思ってる。
なんでそう思えるようになったのか?について、「〜したい(want)」と「〜しなければならない(have to)」の関係が変化したことに絡めてお伝えしようと思う。
「しなければならないこと」でがんじがらめになっていた私
私は頑張るのがスキだった。
でも、いつも「しなければならないこと」に追われていたようにも感じる。
努力しているんだけど、それがすべてタスクとして「〜しなければならない」になっていた。
そう。
全部が「have to」「must」になっていたのだ。
だから、いつも苦しかったし、辛かった。
それでも、頑張っている自分がスキ、努力している自分がスキ、と自らを励まし、鼓舞していた。
今振り返ってみると、苦しいのは当たり前だと思っていた。
だって、苦節◯年とか、石の上にも三年とか、そういう言葉があるんだから。
苦しくても、やりたいことはしなければならないことだ、と思いこんでいた。
きっかけは、ある一冊の本
そんなとき、人に勧められて読んだ本がある。
タイトルは「オレンジレッスン」。
犬飼ターボさんの作品だ。
そこには、歯を食いしばって頑張っている人の姿があった。
そして、とても苦しそうだった。
そして、分かった。
ああ、私って「頑張っている」という鉄の鎧を着けていたんだな、ということに。
私、頑張っているの!すごいでしょ?と見せつけたかったのかもしれない。
それとも、他の人を寄せ付けたくなったのかもしれない。
でも、頑張っても結果が出ないことばかり。
私って何を頑張っていたんだろう?
そう思うと、悲しくなった。
「Want」で始めても「Have to」になってしまう理由
最初にやりたい!と思って始める。
でも、いつのまにか「しなければならない」ことに変わっている。
そうすると苦しい。
自分に義務を課しているのだから。
なぜそのような現実が作り出されているのか考えてみた。
それは、
1.結果重視だったから。
2.やりたいことだと思って始めてみたけど、やっぱり違う、と思うことをそのまま続けていたから。
3.「しなければならないこと」がたくさんあって、やりたいことを優先できなかったから。
結果より過程を楽しむ
やりたいことをやっているんだけど、苦しい。
それは、結果がでるまで自分に鞭打っていたから。
例えば、私は、社交ダンスの競技会で優勝するために練習していた。
優勝するためには、それなりの練習が必要だ。
だから頑張る。
でも優勝できないと、その努力を無にしてしまっていた。
頑張っても報われない、という世界観にハマっていた。
その努力している過程が大事なのに、その努力している姿が美しいのに。
途中で「よく頑張っているね、素晴らしいね、私!」とねぎらっていなかった。
高校生のとき陸上部で走っていた頃は、毎晩、自分の足をマッサージしながら「今日もよくがんばったね。」と自分の努力を認めてあげられたのに。
そういうことを忘れて、ただストイックになっていた。
結果ではなく、過程重視でいくと決めた。
走っていた頃のように。
「やっぱりやめた!」を決める勇気をもつ
やりたいことを始めたときは、「want」がいっぱいだ。
なにしろやりたいのだから。
でも、やってみて、コレ違うな、と思うことってないだろうか?
幼稚園のとき、エレクトーンが習いたい、と言ったつもりだった。
でも気がつけば、私はピアノを習っていた。
しばらくやってみたら、苦しくてたまらない。
でも、やめたい、と言う勇気がなかった。
結局、5年生までただひたすら練習する、ということをした。
今、あまりピアノに触りたいと思わない。
そんなことばかりあるのは悲しすぎる。
だから、やってみて、違うことをやりたいと言えるといいな、と思う。
違うと思いながらやっても、ちっとも楽しくないし集中できないし、どこかしら自己犠牲している。
だから、「しなければならないこと」になってしまう。
やりたいことをやってみて、違った!と思ったら、別のことにチャンレジできる、そんな世界だったらいいなと思う。
本当にやりたいことを優先する
自分の本当にやりたいことをやらせてあげる。
それをやるために、「しなければならないこと」に対しての考え方も変わった。
例えば、私は「書きたい」を優先する。
このようにブログを書くことだったり、書籍にする原稿を書くことだったりだ。
でも、「部屋を掃除する」という「しなければならない」ことがある。
それについてよく考えてみる。
部屋がきれいなほうが集中力が上がって、気持ちよく書ける。
それなら「自分のしたいこと」のために「しなければならないこと」をしよう、という氣になる。
そう。
「have to」を「want」と関連付けることで、日々の家事や雑用もあまり苦ではなくなったのだ。
そして、なにより「しなければならないこと」を減らした。
私の場合、母のご機嫌取りだった。
はっきり言うと、しなければならない、と信じ込んでいた。
でも、あなたの言う通りにホイホイ動きますよ、を止めることにした。
親に愛されたいという気持ちで自分のやりたいことを犠牲にしていた。
母のことは大好きだ。
だからといって、母の都合に自分を合わせていたら、自分は本当にやりたいことがおろそかになる。
自分を犠牲にしない。
やりたいことをやらせてあげることを最優先にすると決めた。
母に逢いに行ったら、部屋の掃除はできるけど書いている時間はない、という状況だったから。
自分にも周りにも優しくなれる
今、こうやって「書きたい」を満たしている。
そして、日々の「しなければならない」こともこなしている。
それでも、時間に余裕ができる。
だから、精神的にもゆったりできる。
追い詰められる感じがないからだ。
犬の散歩に、パートナーとゆっくり時間をかけて行くことができる。
そうすると、そこには和やかな空気が流れる。
ゆったりとした時間を味わえる。
自分に優しくなれる。
そして、周りの人に対しても優しくできるようになってきたと思う。
もし、あなたが「しなければならないこと」だらけだったとしたら。
1つでもいい、それが小さいことでも。
なにか自分をしたいことをさせてあげてほしい。
あなた自身のために。
少しでもこの記事があなたの参考になれば、と思う。
長い文章を読んでくれて、ありがとう。
心からの感謝を込めて。
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